梅雨入りだと言うだけで鬱陶しい事この上ないというのに、例年、高等学校の六月にはその上を行く鬱陶しいことが付きものだ。


休日がない、なんていうありきたりなもんじゃねぇ。

学校によっちゃ受験対策だとかで文化祭を早め、この時期に済ませちまう所も多いという。

文化祭も鬱陶しい行事には違いない。

が、お世辞にも進学校とは言えない銀魂高校には関係ねぇ。


もっとも、この学校でこんな厄災を引き受ける羽目になったのは何年振りかという話だから、今年がたまたま、滅茶苦茶、サイテーに運が悪かったんだろう。


その厄災は、五月の三十一日、職員室の扉をご丁寧に三回ノックしてから、おれの机のところにやって来ると深々と頭を下げてこう言った。


「明日からお世話になる、中村京次郎と申します」


あーあ、教育実習生なんて面倒くせぇ。



「陽氷」1



二週間。

二週間も、おれはこの中村という男の世話をしなければならない。

いわゆる指導教諭として、だ。


本来、実習生を大事な受験前である三年生を担当させることはまずない。

はず、なのだがこの学校では事情が違うようだ。

三年だろうと一年だろうとお構いなし。

そもそも生徒や実習生に気を遣う神経があるなら、3Zを担当させようなんて思う訳ねぇ。

おれを指導教諭にする訳がねぇんだ。


要するに、面倒ごとはなるべく他人に押し付けろ!という裏校訓があるらしい。


「あー、中村君?」

「はい、坂田先生。二週間、よろしくお願いします」


そう言って、中村はまた深々と頭を下げる。

よくよく頭を下げるのが身についているらしい。

今時の若いもんにしちゃ、珍しくね?

ちょっと好感持っちゃうけど、もっと気楽にいこうよ、ね?


「それで、明日からの事なんですが…」


おれの内心など知るよしもない中村は、てきぱきと話を先に進めようとする。

真面目だねぇ。


「おう、ちょっと待ってな」


おれは一番近くにある電話機を掴むと、「あー、三年Z組のヅラ君、今すぐ職員室の担任のとことまで来なさい」と校内放送を入れる。

同じ内容を繰り返し、おれが受話器を置くと中村が不思議そうな顔をしている。

そりゃそうか。


「もうすぐヅラ…学級委員が来るから、そいつと一緒に話そう、な?」

「はい、わかりました」


んー、返事もきちっとしてる。

本当にここの卒業生か?


おれが疑問を口にすると、中村は確かにそうです、と答えた。

ただ、卒業してから随分と経ちます、と。


「どういうこと?」


中村が言うには、一旦大学を卒業し、民間企業に就職したもののどうしても教職が諦められず、大学に入り直したのだそうだ。

だから実質おれと年齢はそう変わらないらしい。


あー、大学から送られてきた書類になんかそんなことが書いてあった気がするわ。

納得。

落ち着きすぎだもんよ、こいつ。

そういう奴ならもう立派な大人。

頭でっかちな学生なんぞよりよっぽど扱いやすいだろう。


「そうか、がんばれよ。おれも応援すっからよ」


まんざら社交辞令でもなくそう言う言葉がついて出た。

やれやれ、二週間、なんとかなりそうだ。

おれが少し肩の荷を下ろした時、「失礼します」と中村とは違うタイプの真面目ちゃんが職員室にやってきた。


「おう、速かったなヅラ」

「ヅラじゃありません、桂です。先生、いいかげんにして下さいよ、校内放送でまで…」


ちょっと唇を尖らして言うのが可愛い。

マジ和むわ。


先月、一緒に保健室で寝込んだ仲だもんな。

おれは仮病だったけど。


あれ以来、おれとヅラの仲はすこぶるいい。

少なくともヅラ呼びしても、返ってくる抗議が口先だけになったのを感じる。


「先生?」


ヅラ君が中村を見て問う。

ああ、つい和みすぎて呼び出した理由を忘れてた。


「あのね、こちら明日からうちのクラスに来ることになってる教育実習生の中村君」


中村がヅラ君にまで頭を下げて、中村です、よろしくと言う。

ヅラ君も慌てて頭を下げている。

かーわいい。


「でね、この子が3Zの委員長のヅラ君。あのクラスはクセがあるから、彼から予め生徒たちの様子を聞いておいて」


おれが改めてヅラ君を紹介すると、中村が不思議そうな顔でヅラ君を見ていた。


あれ?

おれなんか変なこと言ったかな?


ヅラ君も中村の様子が変だということに気付いたらしく、やはり同じように不思議そうに中村の方を見ている。


「坂田先生、今、なんて仰いました?」

「ああ、ヅラ君のこと?」

「先生がヅラ君なんて仰るから中村先生、困ってらっしゃるんじゃないですか?」


ヅラ君が助け船を出してくれる。


「あ、悪ぃ。癖でよ。こいつ、本当は桂ってんだ。鬘扇の鬘じゃなくて桂離宮の桂。桂、小太郎だ」


なんだ、と中村が声を上げて笑った。


笑い声は先ほどまでの礼儀正しい青年とは思えないほどよく響く大声で、坂本の馬鹿といい勝負だと感心する。


「そうか、桂君か。いや、坂田先生がヅラ君言われた時は、一体どげんな漢字かと思うたわ」


すっかり楽しそうな表情を見せる中村は、いつの間にかこれが素なのだろうという独特の言葉遣いになっている。

ヅラ君もなんだか可笑しそうに中村を見ている。


しかし…


国語の実習に来てて、そりゃないんじゃないの?

ヅラ君ってどんな漢字思いうかべた訳?


中村センセ、実は夜露死苦系のとんでもねぇ野郎じゃねぇだろうな、とおれは急速に不安になったのだった。