「Our dreams will take wing, into the faraway sky」


「そんなもん持ってきたのかよ」
土方は、隣の席の桂が弁当を取り出そうと開けた鞄の中からひょっこり顔を出したものに軽く驚いた。実は、全く同じものを土方も持っている。 ただし、彼にはそれをここまで持ってくるという発想は微塵もなかったので家に置いてきたものだ。 正直、受け取ってから軽く2週間も過ぎた今となっては、どこにあるのかも定かではない。だって、ただの年賀状だ。確かに、どこからどう見ても不精者でしかない彼らの元担任が、わざわざ クラス全員の合格を祈願して送ってくれたものとはいえ、宛名すらプリントされたものに有り難みなどあるはずもないのにーと土方はそう思うのだが、桂はそうではないようだ。
そういやこいつ、あのくそ担任には妙に懐いてたっけ。あんな奴のどこがいいんだか。教師以前に人としてたいがいだったろうが!
なんとはなしにむかついて、お守り代わりだーと桂が、それをどこか嬉しそうに鞄から取り出し、机の上ー受験票の隣ーに置くのを目にした土方は、つい声を荒げてしまった。
「しまっとけよ! 不要なものを机に出しておくのは拙いだろうが!」
「休憩時間中だけだ。テスト中に出しておくはずもなかろう?」
「そ、そうだよな。そうに決まってるよな。すまん、俺、なんか緊張しちまってんのかもしんねぇな」
慌てて謝る土方の様子に桂の表情もすぐに和らぎ、
「あ、いや謝ってもらうほどのことでは……。俺のほうこそ、嫌みな言い方をしてすまなかった」
頭まで下げられ狼狽えかけたところに、さらりと流れる黒髪に目を奪われた。絹のような光沢のあるこの髪を、切るようにと何度自分は迫ったことだろう。 惚けた頭とちくりと痛んだ胸のせいで箸を取り落としそうになった。床に落ちる前にキャッチしたが、そんな醜態をあろうことか頭を上げた桂に確り見られた。
更に狼狽え、頭に血が上るのを感じて土方は、情けない自分にげんなりして箸を置いた。
「どうした? 試験はまだ二科目もあるぞ」
ちゃんと喰っておけーと桂が眉を顰める。
「食欲ねーんだ」
まんざら嘘ではない。もう昼食なんて気分じゃない。
無理矢理詰め込んで気分悪くなるよりマシだからなーなんとか取り繕って作り笑いを浮かべると、桂が目を丸くした。そうして、一体何を思ったものかふんわりと笑みを浮かべ、
「……そんな顔で笑えるんだな」
くすくす笑い出した。
「はぁ? んだよ、それ」
「だって思い出しても見ろ。土方が俺に何か言うとき時は大概『髪を切れ』の一点張りだったろうが。風紀委員の副委員長様?」
瞳孔開きっぱなしで、仏頂面もいいところだったしーと桂は、笑みをいっそう深くして言った。
「そりゃ生憎だったな。おまえこそ『嫌だ』の一言で愛想もくそもねぇったら」
おかたい委員長様の癖にーと土方も負けじと言い返した。
「大学生になったら委員長も風紀委員も関係なしだな」
「そういうことは志望校にちゃんと合格してから言えよ」
からかう様に言えば、
「するさ。そうだろ?」
不敵に嗤い、
「初めから勝ちに行かなくてどうする? 俺は絶対合格する気でいるぞ」
大胆なことを言う。
「おまえ……なんかとんでもねぇ野郎だな」
「俺が? 俺には沖田などの方がよほどとんでもない男に思えるが?」
違いねぇーと笑う土方に、
「そろそろ少しは食べられるようになったのではないか?」
桂が唐突にそんなことを言い出した。
「は?」
「弁当だ。気分が少しでも楽になったのなら、食える分は食っておいたほうがいいぞ。言うであろう? 『The mill stands that wants water.』とな」
「……そうか、次のテストは英語だったな」
「確か得意だろ、英語は?」
「馬鹿にするなよ。全教科得意だ」
「なら十分に実力が発揮できるようにさっさと腹に何か入れておけ」
「おまえはおれの母ちゃんか!」
「母ちゃんじゃない、桂だ」
「まだ言ってやがる。『A fool's bolt is soon shot.』だな、てめぇは」
吹き出した土方が、素直に箸を取るのを見て安心したのか、それきり桂は前に向き直り黙りこくった。横目で盗み見ると、少し項垂れてじっと賀状を見つめているようだった。
やがて、次のテスト開始時刻が迫ると、桂はそれを取り上げファイルに挟み込んだ。
けれど、土方は見てしまった。鞄に仕舞い込む前に、桂がファイルをそっと胸に押し当てるのを。
何とも言い様のない身体の裡側から突き上げてくるのを感じたが、土方は耐えきった。
なに、これから四年もあるじゃねぇか。
問題用紙が配られ始めた時、土方はすっかり腹を据えており、隣を気にするのを一切やめた。そうして、これから全力で問題に取り組むべく深く深く息を吸った。



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