そは、心ななり  前篇

その日、どん詰まりの戦況の最中で久々の大勝利をひっさげて鬼兵隊が帰還した。が、見張り台に交代で常駐し、彼らの英姿を真っ先にとらえて陣に知らせに走るはずの兵たちは影さえ見えない。 それどころか、放擲された陣地の如く、どこもかしこも静まりかえり、陰鬱な雰囲気さえ漂わせている。だが、戦闘の痕跡はない。急ごしらえの櫓も、門も、篝火の跡でさえ、彼らが出陣した時となんら変わらずそこにある。 ただ、人気だけが消えている。
変だ。
みな、どこへ行ったのか?おれたちのいない間に何があったというのか?
どんな時でも泰然としている総督を除いた鬼兵隊の誰もが不安を面に表し始めた頃、ようよう彼らに気付いたらしい仲間たちが、三々五々集まってこようとする様子がちらほらと目に入った。
なんだ、いたんじゃないか。
重苦しい空気がやっと晴れるかと思われたが、段々と近づいてくる者たちの様子にいずれ劣らぬ狼狽ぶりが見て取れると、再び鬼兵隊の面々に緊張が走った。
高杉は、これからもたらされるだろう凶事を予感してか、我知らず僅かに目を眇め、彼らが駆け寄ってくるのを待った。
まさ、か?
こればかりはおれの眼鏡違いであってくれよ!
その願いも虚しく、高杉を取り囲むように集った仲間たちは一斉にがっくりと膝をつき、申し合わせたかのように一様に項垂れた。 見れば、どの頭も激しく揺れており、中には激しくしゃくり上げる者までいる。
異様な事態に隊士たちがたじろぐ間もなく、銘々から怨嗟の声が迸った。
「白夜叉が……」
「これから……」
「突然のことで」
「桂さんが」
「われわれは?」
「一昨日の、一昨日の……」
「高杉さん!」
口々に訴えられる話は断片的にしか耳に入らない。が、その様子だけで高杉は、自分の不在中に起こった事を瞬時に理解した。
馬鹿野郎!
行き場のない怒りの焔が高杉を包み込んだ。
「馬鹿野郎!」
思わす叫んだ言葉の強さに狼狽える仲間たちに「どいつもこいつもみっともねぇ面晒してんじゃねぇ!いいか、弱音は今、ここで吐ききっておきやがれ!その情けねぇ面ぶら下げたままで陣に戻ってくるんじゃねぇぞ!」
言い捨て、高杉は駆け出した。 背後から追い縋るすすり泣きや悲憤の声には「おれがいる!桂もいる!」心の中でだけ叫び反し、それきり全部無視した。今は、何をおいても会わねばならないのだ。 桂に!

「帰ったのか高杉」
陣の最奥で桂はあっけなく見つかった。ここも簡素な造りの部屋だが、いつものように端然と座る桂がいるだけで、奥座敷の様相を呈してしまうものらしい。自分に向けられる 変わらず涼しい視線ともども、不思議なものを見ているような錯覚に陥り、高杉は、思わず目を瞬いた。
そんな高杉を不思議そうに見遣っていた桂は、口の中だけで小さく何事かを呟くと、先ほどまで読んでいたらしい文を高杉に放って寄越した。どうやらすっかり興味をなくしたものらしい。
が、高杉とてそんなものに興味はない。少なくとも今は。
「おれになにか、言うことはねぇのか」
咎めるような口調にも桂は慌てず騒がず、おっとりと小首を傾げ、苛つく高杉をよそになにごとか思案をし始めた。 やがて、ああ、と小さく声を上げ、「そのなりを見ると、どうやら圧勝しての凱旋らしいな。鬼兵隊はよくやってくれた」満足そうに微笑んだ。
……あり得ねぇ。
「てめぇ、なに余裕ぶっこいてやがる」
「おれが?そう見えるか?」桂は不敵な笑みを浮かべながら「まさか!」と鋭い視線を高杉に寄越した。「兵糧はつきかけー
「ろくな武器もねぇ」桂が言いかけるのに、高杉が続けた。
そうだ、と桂は頷き「あげくー
「ろくに兵もいねぇ」今度も高杉が引き取ったが、「大方が逃げたからな」なんということはないという風にさらっと付け加えられる。
それを、黙って見てたのかこいつは!
「敵前逃亡は死罪のはずだ」
「怖じ気づくような脆弱な連中に居座られても迷惑だ」キッパリと言う。 むしろいい口減らしだとも言いたげだ。
そのくせ、どうせ見て見ぬふりしやがったに違いねぇんだ。
昔から、こいつのこういうところが嫌いなんだ、と高杉は改めて思う。けれどーそんな桂だからこそ自分は……。なのに。
「どれもこれも……銀時が逃げやがったせいだ」
「違う!」
即座に否定された。余程心外らしく、珍しく激しく頭まで振って。
なんでだ。違うことなんてありゃしねぇ!
「何が違う?」自分でも驚くほど冷たい声音で桂に迫った。「てめぇのせいだとでも言うのかよ?」
昔からずっとそうだったように?
「そうだ」案の定、桂は認めた。それが忌々しい。
「坂本が去った後、あいつ一人に背負わせすぎた。無理をさせていると重々承知の上で」だからーと桂は言うのだ「おれが悪い」
「てめぇ一人のせいじゃねぇだろ」
「銀時とー」言いかけて、桂の声音がかすかに揺らいだ。が、すぐに気を取り直したらしく「一番長くともにいたのはおれだ。背中を預け、預けられていたのもおれだ」強く言う。だから、誰よりも気遣ってやらねばならなかったはずなのに、それが出来なかった。 だからー、と繰り返す。
「ふざけるな!」
「ふざけてなどおらん」
「怖じ気づいた白夜叉様がとんずらしたのがなんでてめぇのせいになるんだ!」
じっくりと納得のいくこたえを聞かせてもらおうじゃねぇか。それまではここを動かねぇ。
高杉は桂の前にどかりと座り込んで、琥珀の瞳を見据えた。




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