「熱ぃんだよ。おれもう限界」
「もうあがるのか?貴様は烏の行水どころではないな。せいぜい雀くらいか?」
「なに言っちゃってんの?雀は綺麗好きですよ、水浴び大好きだからね?」
「では、なんだ」
「なんでもありません。銀さんは普通で、ヅラ君が長湯な質なだけなんですぅ」
年寄りみたいにーという言葉は、ざばんと湯を浴びせられて続けることが出来なかった。
「ヅラじゃない、桂だ!そもそも年寄りがこんな熱い湯に長い間つかっておれるわけないだろうが、死ぬぞ!」
あー、はいはいやっぱちょっと熱いんじゃん。でもって、おれ、違う意味で死にそうなんです。

「韜晦」

名も知らぬ、それでいて雄大な山懐に抱かれた小さな集落。荒れ果ててはいたがそれでもつい先頃まで人が住んでいたらしく、そこかしこに生活の痕跡が残っていた。慌ただしく出て行ったものか、家によってはそこそこの食料や中味が入ったままの酒瓶などが見捨てられてもいた。
銀時達一行はここをしばらくの逗留地と決め、集落一大きな、おそらく庄屋の家ででもあったのだろう廃墟にしばしの居を構えることにした。
村中を探索してかき集めて来た食料やわずかな酒で、男達はしばしの休息を楽しんだ。住民達を立ち退かせるに至った原因が天人なのか自分たちなのかという不安はこの際頭から追い出すことにして、体も心も休めることに専念しようとみなで決めた。
さすがに甘味までは手に入らなかったが、それでもそこそこ酔える程度の量の酒が回ってきて、銀時はそれなりに上機嫌だった。銀時、とちいさく声を掛けられるまでは。

「ね、なんでこんな良い気分の時にわざわざ肌寒い外に出てこなきゃなんないんですか?せっかくの酔いが醒めちまうでしょーが」
二人で座を抜け出し、とぼとぼと歩きながら、銀時はぶつくさ言った。
「うむ。食料を探している時に、山裾の方にまで行ってみたのだ。そしたら、きれいな川があってな」
「すいませーん、話が見えませーん」
「だから、落ち着いたら来ようと思っっていたのだ。髪を洗わないと気持ち悪くてかなわん」
「この肌寒いのに?今は夏じゃありませんよ。秋ですよ秋。いくらヅラ君が風邪をひかない××だからって、ちょっときついんじゃない?せめて明日の昼間にすれば?」
「馬鹿じゃない、桂だ!」
はっきり言わなかったのに、馬鹿だって解ったのか、くそ。
「寒いんだから、巻き添えにしないでくれる?おれ風邪ひきたくねぇし」
「む、貴様、湯浴みしたり水浴する時は必ず自分に言えと言ったではないか!」
ああ、そーですね。言いましたね。本当に酔いが醒めてきた頭で、銀時は納得する。
「一人で行ってよいのなら、ここから一人で行く!」
「ああー、はいはい、銀さんが悪かったです。確かにそう言いましたっけ。行きましょ、行きましょ」
全く、何だというのだ…とぶつぶつ言う桂の背を押して、二人で川までやって来たのがつい先ほど。
見れば、確かに思いがけず幅広の川が流れていた。夜目には清流かどうかまでは判らなかったが、桂がきれいだと言うからには、本当にきれいな川なのだろう。しかし、よくよく見ると…
「え?なんか湯気たってね?」
「ああ。これは川湯だ。紀伊や蝦夷地に有名なものがあるらしいが、こんな所にもあるのだな。昼間見つけた時は驚いたぞ」と桂は嬉しそうだ。
「とりあえず、皆には明日教えてやることにして、おまえの為に先におれたちだけで入ろうと思ってな」
”お前の為”ってなにそれ。なにそのお誘い。天国なんだか地獄なんだか解りませんよ、銀さんは。
「おまえは恐がりの上に人見知りが激しい故、未だに一人では湯にも入れぬし、かといっておれがいないと他の者と一緒に湯に浸入るのも嫌がるのだから」 幾つになっても困った奴だ…という桂に銀時は何も言えない。
あ、お前の為、ってそういうこと。あー、びっくりした。でも、おれが嫌がってんのは、おめぇが他の誰かと風呂に入ったりすることなんですけどね…と心の中でだけ反論しておく。

「へぇ、うまいもんだな」
体を浮かばせ、自分の横を滑るように流れていく銀時に、桂は声を掛ける。
「だが、遊んでばかりおらずに、湯冷めをしないようにしっかり温まっておけよ」とお説教も忘れない。
「こんな熱い湯じゃ、そんなゆっくり浸かってられねぇんです」とやる気のない声を返しながら、銀時は相変わらず仰向けのまま。
遅出の月をながめている…ふりをする。
そうして、チラと桂の方をみてみると、先ほどまでわしゃわしゃと音を立てて、身体や髪を洗っていたが、今は大人しく湯に身をゆだねている。
石鹸などはなくとも流れる湯で汚れを落とし、さっぱりした髪は光沢を取り戻して月の光に淡くきらめいている。そのうちの幾筋かが、結いきれずに白い項や肩に張り付いている様がなんとも悩ましい。
桂にはむろん、誘惑している意識は全くない。
自分たちは二人とも男だ。だから、無頓着に肌も見せる。
それが銀時には辛い。
いっそ、誘惑してくれているのであればどんなにいいだろうと思う。
しかも、桂にしてみればそれは特に銀時相手に限った話ではない。
それも銀時には辛い。
だからこそ、自分と一緒でないと湯浴みなどをさせないように気を配ってきたし、適当な理由をでっち上げて桂にも無理矢理そう約束させた。
お陰で恐がりだの(恐がりなのは少しだけ当たってるけど)、人見知りするだのありがたくないレッテルを貼られもしたが、なに、背に腹は代えられぬ。
だが、それが場合によっては自分を苦しめるだけになることに、その時の銀時に気付く余裕はなかった。
今、正にそれを痛感する。
密かに想う相手の素肌を間近で見るのは、もちろん嫌ではない。
それが例え傷だらけの男の身体にすぎないとしても。
今は薄紅色に染まっている肌をとらえるのは己の視線のみだという事実が、銀時を陶然とさせる。
しかし、いつか桂に自分の想いを告げる時の困難さをもまた、否応なく突きつけてくる。
桂が、自分のことを全くそういう対象としていないことの証。
また、それだからこそ長く続いてきた二人の友情の証。
だが、いつまでおれは無関心を装っていられる?
友情を壊すの怖さに、永遠にこの想いを封じ込めるのか、そんなことがおれに出来るか?
その選択をすべき時をとっくに迎えていることを銀時だけが知っている。
いつまでおれは耐えられるんだ?
いっそ、告げてしまおうか?
いま、ここで!

「どうした、えらく静かだな?のぼせたのか?」
銀時の葛藤など知らぬ桂が訝しげに聞いてくる。
その無垢な顔を見てしまうと、さっきの決意がひどく罪深いことのように 思え、銀時はただ嘆息した。
まだだ、まだ無理だ。
逸る己の想いを無視し、しっかりとその扉を閉じ、更にいくつもの錠を掛けて戒めた。
しかし、心はなんとか制御できても身体の方は正直だ。とても制御できたものではない。
今夜はもうこの辺りが限界。
銀さんにだって出来ないことの一つや二つはあるんですぅー。
「熱ぃんだよ。おれもう限界」
そう言うと、桂に背を向けるように立ち上がった。
そうして、先ほどのやりとりがかわされたのだった。

美しい桂の肢体から体全体を逸らしたままで適当に着物を纏うと、そのままなんの興味もない秋の空へと無理矢理に目を向けた。
「綺麗だな」
月に託けて想い人をそっと讃美してみる。
「ああ、本当にな」
何も知らない桂が相づちを打ちながら、川湯から上がる気配を感じる。
衣擦れの音がやけに大きく銀時の耳に届いてくる。
四、五、六…
数えたくもない星を数えながら、桂が身支度を調えるのを待つ。
「待たせたな、銀時」
おまえがそう声を掛けてくるまで、おれはこうしていつまでも数え続ける。



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