銀時に出会う少し前、まだ本当に幼い頃、おれは飼っていた小鳥に夢中だった。
まあるいまん丸い真っ黒な目。
時折、ぱちくりと瞬きをするのが得も言われず愛おしかった。
羽毛をそっと撫でる時、擂り餌をやる時にその小さな嘴がおれの手をかすめる時、おれはなんとも言えない安心感を覚えたものだった。

小鳥は何羽もいたけれど、どれも愛おしく、ただ眺めているだけでも幸せだった。

「囚われ人」

おれは暇さえあれば小鳥たちと過ごしたし、たとえ暇がなくともどうにか時間を捻出した。
授業中であっても、素振りの最中であっても、ふと愛おしい小鳥たちのことを思い出すと、すぐに会いたくなる始末。
それが高じて、自分がいない間に誰かの不注意で籠が置きっぱなしにされ、猫にでも襲われてしまうのではないか?
そうして、この瞬間にも彼らを失っているのではないかという不安に苛まれることすらあった。

いつものように塾から戻って早速鳥たちに会いに行ったおれが見つけたのは、鳥籠の前にたたずむ母の姿。
大好きな鳥たちを気に掛けてくれたという喜びで駆け寄ったおれに、しかし、母はゆっくりと向き直るとこう言った。
「みな逃がしてやりませぬか、小太郎?」
あまりのことに泣いて抗議するおれを前に、母はあくまでも冷静におれを諭し始めた。
「神君、家康公とて幼い砌はおまえと同じような過ちに陥いられてしまうところだったのです。ですから御家来の鳥居様が御深慮の上、御愛育の小鳥を放たれますようご進言されたのですよ」
「で、家康公はなんと?」
おれはなんとか涙をとめようと必死になりながらも母に尋ねた。
「初めは家来の分際でーとお怒りになられたようですが、さすがは幼くても家康公、すぐにお考え直されて御自ら小鳥を放たれたのです」
母は更に、おれが小鳥たちに夢中になるあまり、勉学や日々の鍛錬が疎かになっていること。
執着は大望のよき家来の一人ではあるが、それが主人となる時はかえって己の身を滅ぼす事になりかねないこと等を懇々と諭した。
神君を持ち出された挙げ句なんどりと諭されてしまっては反論する術はなく、おれは泣く泣く鳥籠の底箱を開けてみなを空に放ってやった。
そうして、みないなくなってしまった。一羽残らず。

小鳥たちを失ってかなり気落ちはしたものの、おれは母の真摯な思いに応えるべく、それからは真面目に勉学や鍛錬に励むようになった。
そんな日々を過ごすうち、おれは思うようになったのだ。
小鳥たちは逃がしてやって良かったのだ、と。
いつまでも囚われていたら、逆におれが小鳥たちに捕らわれてしまうところだったのだ、と。
あんなに失うのを恐れていたのに、実際自らの手で失ってみるとどこか安堵している自分を見出して、おれは何と自分勝手なーと自嘲した。
そうして、おれは鳥たちへの執着から解放されたのだった。
それはみな遠い日の思い出。

今、おれの喉に掛けては外し、掛けては外し、同じ動作を何度も繰り返しているのは愛おしいおまえの両の手。
その指で、おまえはおれの喉を絞めたがっている。
と当時に、その気持ちをなんとか押しとどめようとしてもがいている。
おまえはおれが眠っていると思っているのだな。
でも、おれは知っている。
気付いてる。
おまえがそうやって幾夜も幾夜も一晩中、苦しんでいるのを。
ああ、おまえは囚われてしまったのだな。
幼いおれが愛する小鳥たちに囚われ、捕らわれてしまうところだったみたいに。
おれを失うことに怯え、いっそ自らの手でおれを断ち切ることすら考え始めている。
おれを愛することで、おまえはおれに捕らわれてしまったのか。
執着という檻から逃れる為、おまえはおれを失わなければならないのだな、銀時…。


あの日のおれのように。


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