「夜光」


「坂田銀時だって?こりゃまたずいぶん威勢のいい名前だねぇ」

そう言うと、提灯屋の親爺はごくごく墨をつけた細い筆をそっと提灯に押し当てた。
節くれだった指が器用に流れるような線を描き出していく。

提灯は丁度銀時の頭くらいの大きさで、真ん中は円形に白く、外に向かって徐々に濃い緑色になっている。

所詮子供用、それも一夜限りの短い命、お世辞にも精巧とはいえないつくりではあったが、 そこに、銀時の名、四文字全ての輪郭が描かれると、提灯はそれなりに立派に見えはじめた。
これから、輪郭の中を もう少し太い筆で塗り込んでいくのだという。


銀時と同じ提灯を手に持ち、名入れの順番を待っている高杉も桂も、黒々とした文字が出来上がるにつれ、 銀時以上に真剣にその筆先を食い入るように見つめている。


村では秋祭りの宵宮に、子ども達が手に手に名入りの提灯を持って提灯行列に参加する習わしがあり、 それがもう明後日のこととて、初参加の銀時はもとより、 高杉でさえそわそわと、もうかれこれ十日ほど前から早く提灯屋に行こうと桂をせっついていたのだが、 桂がようやく首を縦に振ったのがつい今朝方なのであった。


授業が終わるや否や、高杉・桂の馴染みの提灯屋に転がり込むようにして駆け付けた三人は、 誰の名を一番先に名を入れて貰うかで揉めることなくーこれは実に珍しいことで、帰り道、桂が「雨でも降らねば良いが」と余計な 一言を漏らし、二人から頭を小突かれるという制裁を受ける羽目になったー初めて提灯をこしらえてもらう銀時がまず名入れをして貰っているところだ。


「ほうれ、できた」

親爺が出来映えに満足そうに頷き、銀時達の方に出来上がったばかりの提灯を見せた。

高杉も桂も我がことのように頬を紅潮させ、墨痕鮮やかな”坂田銀時”の文字に見入っている。

「こうして見るとたいそう立派な文字だな」
と桂が感心したように言うと、

「当たり前だ、先生がつけられた名だぞ」
と、何故か高杉が自慢気に言うのが可笑しい。


「で、横の方には何をお入れしやしょう?そっちの高杉様と桂様の坊ちゃま方はいつも家紋をお入れでしたっけね?」

「うん、おれは今年もそれでいい」
、と高杉が元気よくこたえたものの、銀時はどう言えばいいか解らない。

さすがにもう家紋、というものは知っていたし、自分にはそんなご大層な物は関係ないのだということも弁えてもいた。
勝手に先生の御紋をいただくわけにもいくまい、ということも。

先生から行列への参加のお許しと提灯のお代をいただいてから、この時を待ちに待っていたというのに…。


思わぬ伏兵に、せっかくの高揚した気分に水を差されてしまった形になって言葉に詰まった銀時を、高杉が(あ…)と声にならない声を出して申し訳なさそうに見る視線が痛かった。

「おれ…なんでもいいです」

銀時はやっとそれだけ言うと押し黙った。
もう、本当になんでもよかった。
ささっとなんでもいいから描いてもらって、すぐに次の番を待っている桂と変りたい。


なのに。


「なんでもいいことはないぞ、銀時」

場の空気をよめない、よまないことでも塾一番の桂がとんでもない、と言うように口を挟んだ。

「なんでもいいって本人が言ってるんだから」
と高杉。
好きにさせてやれ、との思いを込めて目で桂に訴えるのだが桂は気づきもしない。
「なんでもいいことなんてないぞ、神事だからな」
そう繰り返して言うと、懐から折りたたまれた半紙を取り出し、
「銀時、おまえはこれを描いてもらえ」
と半ば命令口調で言いながら、そこに描かれた”もの”を指差した。

それは”不思議な何か”としか形容できない物だったので、一体何の絵かと素直に問うた銀時に、

「見て判らんとは情けない」
というのが桂のこたえ。

「え?判るもんなの?」
「当たり前だ!見たままだろうが」

自信満々にそう言われると、答えられない自分が悪いのかと銀時は焦った。

「じゃあ…じゃあ……転がった編み笠とか?」
銀時も内心さすがに違うだろうなとは思いながらも、絵に似たもので思いついたのがそれ以外になかったため、正直に答えてみた。
案の定、
「お前はどんな目をしておるのだ!」
と叱られ自分の無知ぶりを申し訳なく思ったが、何に見えるかを問われた高杉も”あしのないスルメ?”と口ごもるように答えて同じように叱られるにいたって、判らなくて当然なのだと 気が付いた。
きっと、桂の絵が下手すぎるのだ。


人を責める前に、まずちゃんとした絵を描け!


銀時と高杉が内心、激しい突っ込みをしていようなどとは夢にも思わぬといった態で、桂は尊大に頭を振ると 、

「全く貴様らは…判らないふりなどしおってからに」
と溜息をつく。


「マジでわからねぇからきいてんだよ!一体何だこりゃ、なぁ?おい、ヅラ!」
判らなくて当然だということに気付いた銀時は、打って変わって積極的に桂を問い質した。
親爺の手前、こくこくと頷くだけに止めているが、高杉とて本音は銀時と同じ。
きっと溜息をつきたいのはこっちだ、とばかりに秘かに舌打ちしているはず。

「ヅラじゃない、千鳥だ」

あっさり与えられた意外な答えに銀時は、そして多分高杉も、驚き、呆れた。


これが千鳥だって!?


「千鳥って…え?え!鳥の?どこをどう見たらこれが鳥に見えるの?おめぇの目はどうなってるの!?」
「何を言うか、貴様の鍔の模様と同じであろうが」
平然とこたえる桂の言葉を聞いて、高杉がちらりと自分の腰の物に目をやったのに銀時は気づいた。
そうして、片頬を引きつらせたままかたまってしまったのにも。

「え、これ?これがこれ?嘘!」
「貴様、このおれを嘘つき呼ばわりするとはいい度胸だ!」
「いやいや、嘘つきだなんて言ってねぇけど……でもよ…」


やっぱどこをどう見ても編み笠じゃん…晋ちゃんの”あしのないスルメ”もいい線いってるし。


「ほうほう、その鍔の模様を描けばいいんじゃね?これはなかなか良いのが出来ますよ、坊ちゃん」

助けを求めるように周囲に視線を泳がせる銀時のそれを捉え、親爺が穏やかに割って入った。

その声に、桂は満足そうに大きく頷くと、
「こう、斜めに三羽描いて下さい」
と、提灯の上を指でそっとなぞった。

「はいはい。三羽の千鳥ですね、そういや坊ちゃん方もお三人ですしね」
親爺の言葉に桂は、先生も同じように仰ったと喜んだ。
「先生が?」
先生のことになるとちょっと異常なくいつきをみせる高杉が、どこか羨ましげな調子で念を押すように桂に聞く。

桂は、そうだ、と答え、
「実は銀時には何の絵がよいか散々考えて、昨日やっと千鳥を思いついたのだ。それで…先生には先生のお考えがあるかもしれないので、お許しをいただこうとお話ししたら、 先生は、仲良く三羽の千鳥ですか。よい思いつきですね小太郎、と褒めて下さったのだ」
と得々と語った。


それでおれ達は十日も待たされたの?
おまえが提灯に何を描いて貰うかを考える間?
しかも描いた絵がこれ!


うわぁ、と思いはしたが、銀時も流石に桂を責められない。

桂の絵心では嫌がらせすれすれだが、それでもきっと精一杯の心遣いなのだろう。
一生懸命に考えて、先生のお許しまでちゃんといただいて。

高杉も、先生がらみの話となると文句のつけようもない。
それどころか、確かによい図案だ、などと言い桂を喜ばせ、今となってはあしのないスルメとまで言い放った絵さえも褒めちぎりそうな勢いだ。


簡単な意匠だから、と文字とは違い一気に筆をはしらせると、親爺はあっという間に千鳥を描いてみせる。
一羽、二羽三羽と。

その出来映えに心の方もすっかり軽くなった銀時は、桂の半紙を改めて眺めながら、
「で、こっちのこれはなんなの?」
と冗談めかして言った。

それは、桂が千鳥だと言い張っている絵のすぐ横についているただの細長い墨の染みで、銀時としては軽口をたたいたつもりだったのだが、桂は
「ああ、そっちはおれの兎さんだ」
と真顔で言い、銀時と高杉をもう一度驚かせた。


「あいつ、今兎って言ったよな」
「言った。聞こえた」
「で、おれのって。てことは…」
「まさか…おれのも…?」


銀時と高杉はひそひそ声で桂のとんでも発言を確認しあった。
銀時はただひたすら呆れきった表情をしていたし、高杉は…多分、怯えていた。

そんな二人はしばし顔を見合って絶句した後、恐る恐る桂を見た。

「可愛いであろう?」
あろうことか頬まで染めてうっとりと染みを眺めている。


うわ。
神事だのなんだのとご大層に言ってたのはどこのだぁれ?


「兎ねぇ…。桂様の坊ちゃん、ちょいとお待ちになって下せぇよ」
何も言葉が出てこない二人と違い、親爺は平然としたもので、せっせと作業机の隣にある小箪笥の中を探り始めると、 すぐに、何枚かの紙を取り出して三人に差し出した。

「これはみんな、兎の模様の家紋なんですがね、この”三つ後ろ向き兎”なんて如何です?坊ちゃんの絵に一番似てますでしょう?」
と、見せられた絵は、確かに太った黒い餅のような物体が三つぴったりとくっついて並んでいて、それぞれに対になった長い耳さえなければ、その一羽の姿は染み、もとい桂が描いた兎に似ていなくもない。
「兎が三羽?」
上擦ったその声だけで充分。

ことは決まった。


「では、高杉様の坊ちゃまも何か?」

家紋はそれぞれの型が用意されているため、あっと言う間に三羽の兎を描き終えた親爺が問う。


その時、銀時には、ひっ!という高杉の悲鳴が聞こえた気がした。


「いや、おれは…」
「いえ、晋助はいつも通りでお願いします」
後ずさりせんばかりの高杉にかわって、桂が答えた。
「すまん、高杉。貴様のだけは父上も、先生もそのままでなければならぬと仰って…。祭祀を司っておられる数家の内で 一番格の高い高杉家の嫡子が好き勝手なことをすると他家を困らせる、と仰るのだ」
心から申し訳なさげに頭を下げた。
貴様には亀さんを選んであったのに、といかにも残念そうに付け加えながら。


亀、晋ちゃんの、亀になるはずだったの!?
亀?なんでおれ亀なんだ?


内心の動揺を押し隠しているのだろう、高杉はしぼり出したような低い声で
「や、いい。そんなこと気にすんな」
とだけ言った。

普段なら本心はどうあれ文句の一つ位は言いかねない外されっぷりのはずだが、それ以外の言葉が見つからない 高杉の狼狽ぶりを目の当たりにして銀時は必死で笑いを堪えたし、桂はひたすら申し訳ないと頭を深く下げつづけた。



ともあれー



その日の夜、自分たちの名と三羽の千鳥、三つ後ろ向き兎、そして、丸に四つ割菱の描かれた提灯をそれぞれの家に持ち帰った子どもらは、 あさっての夜に思いを馳せながら幸せな心持ちで床に入った。



いよいよ迎えた宵宮。

村が夜の色を纏い始めた頃、季節外れの蛍が三つ、仲良く闇を抜けていった。

大勢の仲間たちと合流するために。
祭りは、まだ始まったばかり。