「彼者誰」


「おぁぁ?ヅラぁ?」
思いがけず変な声を出してしまい、銀時は慌てて周囲を見回した。幸い明け六頃のこととて人通りもまばらで、誰ぞの注意をひいてしまった 恐れはこれっぽっちもないのだけれど。ただ、自分で自分が恥ずかしいだけなのだ。
今の今まで痛飲していたにも拘わらず、未だに懐ぽっかぽか。ほろ酔い加減の千鳥足。思わず鼻歌の一つも出ようかというそんな楽しい朝帰りのはずだった。のに!
ややもすればぼんやり霞む視界の端に、なぜかクッキリ捉えてしまったのは見慣れているはずの長髪。一つ通りを隔てた向こうからこちらへと歩く姿は、しゃんと伸ばされた 背筋といい軽やかな足捌きもあしさばきといい、いつもと変わらず。 けれど、その絹は扇形の簪で粋に結わえられ、まとう衣は深縹の付下げときている。
そんな格好で朝帰りですか、そうですか。
あー、もう!酔いが醒めちまったじゃぁねぇか!
くそっ。
高い金払ってやっとこさ昇った楽園から、もう追放されるなんてどんな罰ゲームだよ。あの莫迦に文句の一つも言ってやらねぇと腹の虫が治まんねぇ!
二日酔いでも素面でも責任転嫁体質は変わらないとみえ、銀時は急ぎ足に距離を詰め始めた。
ところが、肩を怒らせ、ことさらに大股でのっしのっしと歩き出した途端、 桂がつ、と視線を寄越した。常の銀時ならわるさの動かぬ証拠を押さえられた悪童並に狼狽えるところだが、そんな暇もあらばこそ、あろうことか桂はそのまま何事もなかったかのように視線をそらせてしまった。 その桂の態度ときたら。まるで、銀時などそこにいないとでもいうかのようで。
全無視!?
え?おれ、ひょっとしてなんかやらかしちゃってる?
あまりのスルーされっぷりに、むかつきを通り越して不安になる程。けれど、その「理由」らしきものが、これまた前から歩いてきていることに気付いた。 酔いが醒めかかっていたのが幸いしたらしい。
どうりで。
また変なのくっつけてやがるのか。
時に小走り、時に身を隠しながら、桂からつかず離れずの距離を保っている繧繝の角帯。本人は隠れているつもりらしいがー
バレバレなんですけど。
どこからどう見ても、世間知らずなうらなり。どこぞの大店の若旦那といったところ。銀時にガン見されていることには全く気付いていないようで、食い入るように桂を見つめているのが見て取れる。
ーなんか気持ち悪ぃ。
無視された理由が自分にないことが判明して胸のつかえはとれたが、となると、今度は桂が自分のことをあの繧繝男に気取られたくない理由が気にかかる。 桂のスルーにはお構いなしに足早で近づき、「よう、どったの?」いかにも気楽そうに声をかけてやる。 迷惑そうな色を隠さない桂に内心、ざまーみろ!と思わずにはいられない。
おれを遠ざけようったって、そうはいかねぇ。
「銀時、貴様……」
やっと聞き取れるかどうかという声。唇をほとんど動かさない桂の用心深さには感心しながら、 「なーに、あれ?」知っててわざと訊いてやる。
「幕府の狗だ」
即答。しかも真顔でこたえられて目眩がした……気がした。
二日酔い?違うよね、こいつのせいだよね。
どうしたら、あれがそう見えちゃうわけ?
「どうやら怪しまれたらしく、ずっとああやってくっついてきておるのだ」
ずっとーって。いつからよ。
「七つ鐘のあたりからだ」
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
かれこれ2時間くらいはたってね?くっつけてる方もくっついてる方も大莫迦じゃねぇの!?
「でかい声を出すな!ーとにかく、今、おれにかまわんほうがよいぞ。貴様まで怪しまれたらどうする」
怪しまれるっつっても、なぁ……。
「新八くんやリーダーに迷惑がかからんのであれば、おれは貴様が怪しまれようがしょっぴかれようが痛くも痒くもないがな」
ボコッ
おのれの今の姿と、ついでに後ろを憚っていることも忘れて豪快に笑う莫迦の頭にげんこつを一つ見舞ってやった。
「痛いではないか!」恨みがましい目で言うが、今更小さな小さな声なのがやはりズレている。
「なんでまた小声!?もう意味ねぇだろ!つか、今頭からっぽの音したよね、やっぱ莫迦だろおまえ」
あんなの2時間もくっつけて歩いてるくらいだしな!
莫迦じゃない、桂だ!とのお決まりの科白に被せるように、「てか、なにやらかしたんだ?」訊く銀時も何故かつられて小声になった。
「幕府高官と天人の酒宴に首尾よくもぐり込んだのまではよかったのだがー」こちらもやはりひそひそ声。「どうやら、ああ見えて有能な男らしく、はなからピタリとまぁくされてしまってな」
桂がああ見えてーというだけのことはあり、繧繝野郎はどこからみても、おっとりとした気のよさそうな(ついでに気の弱そうな)優男。
「なるほど、人は見かけによらねぇもんだな」
「で、あろう?」
銀時の裡なる突っ込みなど知るよしもない桂は、我が意を得たりとばかりに頷いている。
ほら。やっぱ莫迦じゃねぇか。
「酒宴の間中、氏素性どころか住まいやら仕事やら、あれやこれやと詮索されてな。辟易した」
「やべぇわ、それ。おまえ絶対怪しまれてるわ」
やべぇよ、絶対惚れられてるよ。
「うむ。狗のくせになかなかに鋭い」
おめぇはマジで鈍いよね!
「でもよ、いくら相手が遣り手でも、おめぇがちょっと本気出しゃ、撒けるだろうが」
ほんとはただのど素人なんだしよ。
「赤い蹴出しを丸出しでか?」
「そりゃ、拙いな」
そんな色っぽいもん見せて走り出したりしたら、色んな意味で拙い。っつーか、色っぽいといやぁ、目の前にある項もヤバイ。 ぶっちゃけ、おれが今、そこにむしゃぶりついたら、問題が一気に片付くじゃね?あの坊や、絶対泣いておうちに帰るよ。おれも醒めさせられた天国気分が 復活で一石二鳥のナイスアイデアーなんだが……。でも、それをやっちまうと激昂した桂におれの人生が片付けられかねないわけで……。
あー、大莫迦な上に短気な奴と付き合うってマジ大変!
「そう心配してくるな、銀時。そろそろ増えてくる人混みに上手くまぎれるさ」
      思わず洩らした大きな溜め息を、勘違いしたらしい桂に慰められてしまう。
「わーった。じゃ、せいぜい気ぃつけてな」
脱力し、ともすればその場に頽れそうになる己をどうにか奮い立たせて、銀時は、桂にーしきりに誘惑してくる白い項にー背を向けることに成功した。桂の勘違いを訂正してやる義理はない。
「おれを誰だと思っている」不敵に呟くのを背に、そのままさっさと歩き始める。長居は無用。むしろ一刻も早く桂から離れたい。隙あらば、すっ飛んで桂に走り寄ろうとする両足を叱咤しながら銀時はまっすぐ歩き始める。 途中、すれ違った追尾者を追い払ってやる義理も、またない。
ーなのに。
「あれ、おれのもんだから」

横を過ぎる銀時に一瞥もくれず、直向きに桂の後ろ姿を追い続ける眼差しに、嫉妬したなんてことはない、多分。ただ、あまりにも在りし日の己や誰かさんを彷彿とさせたので……。恥ずかしいような、懐かしいような複雑な気持ちになってー。 つい、ぽろっと独り言が出てしまったー。
タイミングがよすぎたのは偶然だし、少々でかい声だった気がするのは酔っぱらっているせいだろう。従って可哀想なとっちゃん坊やが涙目で走り去ってしまったのは、不可抗力、のはず。なんせ独り言なんだから。
「出来心っつーかむしろ仏心だよな」
感謝してもらいてぇくらいだ。

徐々に増え始めた人通りに見えなくなった二つの背中。そのどちらも見送ることなく、銀時は今度こそ万事屋に戻ろうと、今来た道を戻り始める。どうやら少し、道を間違えてしまったようだ。多分それも、酔っているせいだと銀時は思う。 ただ、それが酒のせいか桂のせいかは考えないことにした。





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