「角ぐむ春」


「いやー、まっことよかったぜよ」
人んちに上がり込むや否や、挨拶もそこそこに炬燵に陣取った坂本が大声を出した。
まっこと、まっこと。
しみじみと繰り返しながら、手土産らしき酒を手酌でひっかけていく。
こいつは高校の同窓だが、社会人としては随分先輩になる。卒業と同時にボンボン大学入ってすぐに海外の提携校に留学。帰国後は順調に単位を取って卒業し、今は教師をやってる。
一方のおれときたら、苦学生といえば聞こえはいいが、親類縁者がない、金がない、偏差値がない、やる気もあんまりないの多重苦で、大学に入るのも出るのにもちょいとばかし余分にかかっちまったクチ。
つい先頃、なんとか卒業と就職が無事決まったばかりだ。どうやらそれを聞きつけて、駆けつけてきたらしい。 こいつは女癖は悪いが面倒見のいい奴で、ついでに底抜けに人もいい。

「それ、おんしも飲め。祝い酒じゃ」
「ったりめーだ。おれの祝いなんだから、まずおれに寄越すのが筋ってもんだろうが」
「いやいや、おんしだけじゃなか。わしにとっても祝い酒ぜよ」
臆面もなくそんなことを言ってくれるので、咄嗟に上手いかえしができず、差し出された杯を一気に干した。実に旨い。酒もいいがわざわざ持ち込んできた杯も上等らしい。まったく用意のいい奴だ。

「それでも、おんしがよお教師なんぞになろうと思ったもんじゃ。わしゃぁ、てっきりそういうのは真っ先に拒否反応を起こすタイプだと思っちょったが」
「……好きじゃねぇよ。第一ガラじゃねぇ」
「そいじゃろ、そうじゃろ」
うんうんと頷いて、また杯を干していく。
一杯、二杯、三杯……おい、本当におれの祝い酒か、それ!?
「じゃったらー
「知ってんだろ、テメェも。一応新卒扱いはしてもらえてもよ、年が年だ。院に行ったわけでもねぇFラン卒の20代後半のおっさんなんて、一般企業からは門前払いだ」
「そうはゆうたちー
「新卒も、おっさんも関係ないなんていってくれるのは士師業ぐれぇだろうが」
「世知辛いのぉ」
「そんなもんよ?」
「ま、わしもおまさんと似たようなものやき、わからんでもないがよ」
「おめぇが?」
知らなかった。
てっきり好き放題の学生生活を経て好きな進路を選び、好きな職に就いたとばかり……。ま、確かになんで教師チョイスなのかは理解できなかったけどよ。 なにせーおれも人のことは言えねぇがーこいつもかなり教師にはむいてねぇ。

「そっか。おめぇも色々あったんだな」
「そうぜよ。留学先で知り合ったおねぇちゃんが追いかけてくるわー
それ、どこの舞姫だよ。鴎外気取りですか、このやろー!
「叔父に財産を誤魔化されぇー
そっちはマジで大事じゃねぇか。
「その上仲良ぉしてくれとったKを自殺に追い込んでしもうてー
おい、ちょっと待て。
「Kって誰だよ!?黙って聞いてりゃ、財産誤魔化しもひっくるめて漱石かよ!いい加減にしやがれ!」
「ばれてしもうたか」
「ばれてしもうたかじゃねぇんだよ!」
怒鳴りつけるが、呵々大笑するのみ。ほんと、こいつこんな奴だったよな。

「でもよ、てめぇみてぇなもんでもやれてんだから、おれもなんとかなるんじゃね?そんな気がしてきたわ」
「なるなる、なんとでもなるぜよ」
安請け合いして、坂本はまた笑った。

「それにしたち、楽しみぜよ」
「なにがよ?」
「まさかおんしと一緒に働けることになるとはの」
ああ、そうだった。おれの赴任先にこいつがいるんだった。
「で、どんなとこよ、銀魂高校って?」
坂本が教師面していられるような学校だ。たいしたことはねぇだろうと思いながらも、やっぱ気になる。
「まぁ……生半な気持ちでは難しいろう」
「え?マジかよ」
「職員も生徒も、一癖も二癖もある連中ばかりぜよ」
生徒はともかく、職員もかよ!
「ほれ、これ、見てみーや」
差し出されたスマホには、セーラー服の可愛い女の子。
んだよ、まともそうじゃん。脅かしやがって。
「これが、わしの担当しとる学年一……
一番の美人さん、か?これを真っ先に見せてくるなんざ、さすが坂本と言わざるを得ない。
「……怖い元締めじゃ」
「なんだよ、それ。ひょっとして生徒会長とかいうやつか?」
違う、違うと坂本は顔の前で手をひらひらさせた。
「そんなんじゃなか。こんお妙は、番長とか組長とか、頭とか、そーゆー表現がぴったりなおなごやか」
どーゆー娘だよ、それ。
「まず、こん子に逆らわんのが肝心ぜよ」
恐怖政治でもやってるんですか、この子。
「ほき、こっちがー

そういう前置きで見せられた写真の数々は思い出したくもねぇ。
本当にこの国の、いや、星の人間ですか?と問い詰めたくなるような女生徒(多分。セーラー服着てたし)や、年齢詐称してるとしか思えないヒゲを蓄えた男子生徒ども。
更にー

「なんだよ、おいこれ!文化祭の仮装か?それともこの学校のマスコットキャラとかか?」
ピンポイントで指さしながら坂本に突きつけた画面には謎の着ぐるみ。お世辞にも可愛いとは言えない巨大な白ペンギンの……化け物だ。

「ああ、これはエリザベスちゅーてな、生徒のペットぜよ」
「ペット?これ、生き物かよ? 見たことねーぞ、こんな生き物」
「本当じゃ。生徒と一緒に登下校しちょるからのぉ」 「毎日? これと?」
「ほうじゃ」
それがどうした、といわんばかりの口調で頷かれた。
マジでか?
「ほうれ、こっちのこのワン公、これもそうじゃ」
「犬!? これがか?」
「まぁ、ちっくっと大きいかのぉ」
どこがちょっとだよ、どっからどうみてもシロクマ並じゃぁねぇか。
待て待て待て待て!じゃ、まさか、ひょっとして……
「こっちの緑の鬼の着ぐるみみてぇなのも誰かのペットか?」
「何をゆうちょう。それは生徒ぜよ」
こ・れ・が・で・す・か?
あり得ねぇ。てか、あっちゃいけねぇ話だ。
終始上機嫌な坂本は、酒のせいも会ってかおれが段々血の気をなくしていくのに気付かない。
親切心全開で、にこやかに次々とタッチパネルを操作していく。
そんな坂本から見せられる画像のどれもこれも、まともじゃねぇ「モノ」が写っていて、目を反らしたいが反らせない。
生徒とそのペットばかりか、同僚になるはずの連中も生徒に輪をかけて「ろくでなし」ばかりに見える。
校長・教頭には触覚が生えてやがるし、学年主任のおっさんは「どうみても893です本当にありがとうございます」、だし!!

「こんな動物園行きたくねぇよ!もう一生ニートでいいわ、おれ。落伍者と呼ばれて後ろ指指されながら行きてくわ!」
もう、うんざりだ。
「明日にでも教育委員会に掛け合って辞表出す!」
「まぁまぁ、ちっくと落ち着くぜよ」
「おれは落ち着いていますぅー。だからこそ、こんな職場はヤヴァイって真っ当な判断ができるんですぅ!」
「おまんがわしとおんなじ学年になるて決まっちょうわけでも、みんながおんしのクラスになるっちゅうわけでもなか」
「世の中にはな、”ミイラ取りがミイラになる””朱に交われば赤くなる””氷山の一角””類は友を呼ぶ”ってはた迷惑な言葉があんだよ」
「ほうじゃ!これを言うんを忘れとったきに。おまん好みの黒髪美人さんも何人もおるんぜよ?」
おれの話などどこ吹く風。まさに馬耳東風。この、バカ本が!
「人の話聞いてた!?ねぇ、おまえおれの話聞いてた!?」
「興味なかいがか?」
「……ある」
ちっ、よくまぁ、おれの弱みっつーか好みを抑えてやがるぜ。
「で、マジなんだろうな、それ?」
なぜか小声で聞き返すおれ。ちょっと情けねぇ。
「わしがおんしに嘘をゆうたことなどないがで」
おれとは対照的に大声で太鼓判を押す坂本。
「でもよぉ……」
「ま、信じゆも信じないもおまん次第やか。辞めとうなったらいつでも辞められるがやき、欺された思おて働いてみたらどうなが。おまんを育ててくれたっちゅー”先生”とやらの供養にもなるろうし」
「……そうだな」
本当に動物園なら、そん時に辞めりゃいい。
画像ぐらい見てやらねぇこともない。そう言うと、ばか本ときたら、
「それはウチに赴任してきてからのお楽しみじゃー」
がっはっはーと笑われて、その話はお終い。
おれは半ば自棄になって、その日坂本と夜を徹して痛飲した。


晴れて(?)銀魂高校に赴任して早二週間。おれは坂本を呪う日々を送っている。
確かに坂本は嘘は吐いてなかった。
おれの受け持つことになったZ組には、確かに何人もの黒髪美人さんがいた。
みんなそれぞれに個性的で、顔立ちは整ってるって言えるかもしれねぇけど!
ないわー。これはないわ。
目つきの悪い風紀委員に、わざとらしくはだけた学生服に眼帯姿がデフォルトだという無断欠席続きの痛い痛い坊や。
それにー
「おはよー、ヅラ。今日も美人さんだね」
「ヅラじゃありません桂です。莫迦なこと言ってないで、さっさと授業始めて下さい」
表情一つ変えずに無愛想な返事が返ってくる。
桂という(だから、”ヅラ”って呼んでんだけど)坂本一押しのこの子は、確かにおれの好みドストレートのとびっきりの美人さんーなんだ、け、ど。 新学期が始まって以来、ニコリともしてくれねぇ。おまけにちょっとからかった位で一々くそ律儀に訂正入れてくるカッチカチの石頭。笑いかけてくれるなんて夢のまた夢。おまけに見かけを裏切る電波さん。
詐欺だ。
誇大広告だ。JAROに電話してやる!

他の生徒も程度の差こそあれ電波にはかわりなく、よく言えば個性派揃い。見たまんまを言えば「化け物集団」だ。
あー、帰りてぇ。学校辞めてぇ。
ひょっとしておれ、早めの五月病じゃね?

「先生、ブツブツ言ってないで授業お願いしまーす」
瞳孔の開いた風紀委員も表情一つ変えないで言う。近藤とヅラは同調して頷いているし、他の生徒は勝手に私語の真っ最中。みんなおれの内心の修羅などお構いなし。
なんらかの救いを求めて視線を彷徨わせ、窓の外、校庭に目を遣ると、以前坂本に見せられた白ペンギンのお化けがジッとこっちを見てるのと目があっちまった。
キモ。踏んだり蹴ったりだよ。不気味だよね、吸い込まれそうな目してるよね。

「……なんなんだよ、あのペンギンお化け……」
思わず洩れた呻き声に、桂がすかさず反応した。
「ペンギンのお化けじゃありません。エリザベスです」
あ、こいつが飼い主だっけ。あんなのを飼育できるなんてどんな神経してんだよ。
「あー、そう。エリザベスって言うんだー、あれ」
授業を始める気も、突っ込みを入れる気力もなくして呟けば、
「あれじゃありません。エリザベスです」
ヅラーと毎日からかい続けても変わることのなかった面持ちを僅かに崩し、心なしか唇を尖らせて不服そうに見える。
ひょっとしてこの子、あれですか。いわゆるペットを溺愛しちゃってるタイプ?
「エリザベス? いい名前だねー」
あくまで投げやりっぽくカマをかけてみると
「ええ」
にこりともしないで言うのは同じでも、今度は微かな赤みが頬を差した。
か、可愛いじゃねぇか!
なに、この子。めいっぱい無愛想なふりしてっけど、嬉しさが滲み出るどころかダダ洩れてんだけど!
本気で可愛いなぁ、おい。
見せかけのオアシスに騙された渇いたままの二週間を過ごして後、今やっと癒された気がした。

「先生、いい加減授業、始めて下さい!」
外見はゴリラでも、意外と真面目な近藤の声でどうにか教師に戻れた。
「おーし、そろそろやっか。教科書開けろー、16ページな。じゃ、沖田、タイトルから読めー」

「へいへい。16ページからですねぃ?」
おれとどっこいのやる気のない返事をし、それでも沖田は流暢に『砂の本』を読み始めた。
ボルヘスの博識の迷宮に心地よく彷徨いながら、未来へと紛れこむ主人公の姿に己が重なる。
おれの場合、そこにあるのはいったい何だろう?
まんざら悪いもんじゃねぇかもしんねぇな。
沖田の声以外聞こえない静まりかえった教室を見渡していると、ふとそう感じた。
それは、教科書の文字を追う桂の真剣な眼差しを見た時に、なぜか確信へと転じたのだった。



戻る