「しぶき雨」


「おい、どうした!?」
澱んだ闇に何かを認めたとでもいうのだろうか、珍、と名乗る男が突然全身を強ばらせた。 異変に気付いた桂の問いに応えることなく、駆け出したその背中が土方の視界から消えるや否や、バシャバシャと水飛沫を上げる音が外から聞こえてきた。 どうやら男は2階から直接、激しい雨の中に飛び込んだものらしい。
「騒がしい奴だな。なんだありゃあ?」
「……さあな」
いかにも興味がないといわんばかりに短く応える桂だったが、その視線は男が走り去ったと思われる方角に向けられている。
「なんでも万事屋の義兄弟とかいう触れ込みらしいが、知ってたか?」
「いや」
「じゃ、偽者か?」
土方は顔を顰めた。
野郎にそんな関係の男がいたのなら、桂が知らないはずがない。つまりはー
「解せねぇな。今更そんな嘘をついて何の得がある」
「わからん。が、悪い奴ではなさそうだ」
「なんでそうなる!?胡散臭いにもほどがあんだろう!」
土方の大きな声に桂が首を傾げた。
「貴様、なにを拘っている?」
「拘ってなんかねぇよ」
「嘘を吐くな」
「嘘じゃねぇよ。どこからどう見ても胡散臭ぇからそう言ったまでだ」
「……土方」
桂が呆れたように土方を見ている。
「あんたこそ、なんであんな奴にー」
言葉に詰まり土方は困惑した。そうして、困惑してはじめて、土方は、自分が思っている以上に動揺しているらしいことに気付いた。



桂が濡れ縁に向かうと、まるでその時を待っていたとでもいうように、すぐにあの男が後を追った。 今日の騒動の時、万事屋の子どもたちと一緒にいたのは土方も知っている。 万事屋と同じ服装をしているのだ、目を引いて当然。 が、土方が男をそれとなく注視していたのは、その手に握られた木刀が万事屋のものと全く同じことに気付いた為。そして、その声が、あまりにも 在りし日の万事屋に似すぎていたせい。
自分が気付くほどなのだ。桂なら、と、そう思ってのことだった。
濡れ縁でなにやら話し始めた二人の様子を、悪いとは思いながら障子越しに伺っていると 二人が話す声が聞こえ、次いで悲嘆にくれる桂の虚ろな声が届いた。
土方は、もどかしくも無力な思いに忸怩たる心地だ。
野郎が消えてもう5年。
なのにまだ、こんなにも想われてやがるのか!
この5年、一波乱も二波乱もあったが、それを乗り越えてやっと今日にたどり着いた。真選組の鬼の副長は過去の姿。 敵、味方の桎梏なしに、桂と並び立てる時をようよう迎えたというのに!
なにより、決して自分には晒すことのなかった弱さを、あんな奴にあっさりと、と。
だからー
「そいつなら、おれも知ってるぜ」
どうしても堪えきれず、ついに二人の会話に強引に割って入った。

かなり不自然な合流の仕方だったので、桂には本来の意図を悟られてしまうのではないかと危惧した土方だったが、幸いにも杞憂に終わった。 かつて調べ上げた魘魅についての情報を提供した為、それがそもそもの目的だったと思われたらしい。

「銀時の死について調べを?」
土方の話が終わるとすぐ、桂に不思議そうに訊かれた。
警察だったからなー土方は当然のように答えた。それは全くの嘘ではなかったが、本当のところ、土方自身が万事屋の行方を知りたかったのだ。 もし生きているのなら、この悪夢のような事態を収束させたかった。その上で、この街に連れ戻したかった。そのためには真選組としても、土方個人としても協力は惜しまない心づもりで。
そして。万一にも死んでいるなら、その死を公にすることによって、待たなくてもよい者を待ち続ける者たちを解放したかった。誰より、桂の為に。 だから、追った。万事屋の行方を。それこそ必死になって。
けれど、今、それが個人的な感情混じりの捜査だったことを、桂に知られたくはない。あくまでも職務上の責務であったと印象づけねば!
「ー捜査くらいするさ」
出来るだけ事務的に聞こえればいい、冷酷なほどにーと土方は願った。
願い通り、そっけない口調に納得したらしい桂にそれ以上の追求をされず、土方は人知れず安堵した。
が、それ以上の情報は持たないため、あとは桂と珍、二人の遣り取りを傍観するしかない。
仕方ねぇ。ここから追い出されちまったりしたらことだからな。
不本意ながらも土方はその立場を受け入れたどころか、この立場を精一杯活かし、珍の正体に迫ってやると腹を括った。
土方は、二人の話に聞き入っている風を装いながらさり気なく珍を観察しはじめた。

そうして、珍の一挙手一投足を見る内、土方は、義兄弟というのは言い過ぎでも、どうやら本当に万事屋とは浅からぬつき合いだったのではないかと 感じ始めた。
似ているのだ、持ち物や声だけでなく、なにもかもが。 桂への初対面とは思えない無遠慮な物言いを含めた態度が、立ち居振る舞いが、万事屋のそれとシンクロしている。
これでは、桂が珍しく気を許すのも無理はねぇ。
「……銀時」
忸怩たる思いで二人を見つめている土方の前で、桂が虚しく空に語りかける。
初めて目の当たりにした、桂の哀哭。引き裂かれそうになる胸の痛みに押されるように、土方が手を差し伸べようとしたその時、なぜか珍が身体を強ばらせた。
「おい、どうした!?」
桂の問いに応えもせず駆け出した珍は、桂を、土方を、掻き乱すだけ掻き乱しておきながら、跫音だけを残して闇に消えてしまった。



「なんであんな奴にー」
言葉を詰まらせたまま、土方は桂を抱き込んだ。
「なんであんな奴に気を許してんだ」
納得していたはずなのに、心が裏切り、桂を責めてしまう。
「そうか、そう見えたか」
いかんな、と桂が嗤った。
声だけでなく、話し方や眼差しまでがあまりにも似すぎていたせいかもしれん、とも言う。
自嘲気味に言われては、土方はなにも言えない。そもそも桂を責める資格など自分にありはしないのだから。
「貴様とて気付いたのであろうが。あれは姿形以外、銀時に瓜二つだ。おれとてあれが銀時の義兄弟などという戯言を信じる気にはなれん。だが、あの木刀といい、いずれ近しい者には違いあるまいよ。だから、それでいい。そう思える」
なんだそりゃあ!
「おれのことを言っておるのではないぞ」
逸り立つ土方に気付いた桂が続けた。
「そんな者が、今、新八君やリーダーの側にいてくれるならそれがいいと……奴が銀時の義兄弟だろうが偽者だろうがどうでもいい、そういうことだ」
「ああ、まぁな……」
昼間の様子を思い出しながら、土方も認めた。憎まれ口を叩き合いながら、それでも、楽しげに見えた二人と一匹の姿を。
「それにな」
何を思ったか、桂が悪戯っぽい目で土方を見た。
「そもそも似ているだけでいいのなら、貴様でもいいということになってしまうのだぞ」
「なっ!」
「貴様のこういうところは、銀時とそっくりだ。嫉妬深くてかなわん」
痩身にきつく巻いた腕をペチリと叩かれたが、構わず土方は桂を抱き続けた。
「もう5年じゃねぇか」
忘れろ、おれを見てくれ、との想いを込めて土方が言う。
「まだ5年だ」
忘れぬよ、忘れられるものか、強い意志で桂が応える。

間歇的に投げかけてくる稲妻によって二人の影が闇に浮かぶ。それは、一つに重なったまま動かない。心が重ならないまま、それでもずっと。

戻る