「情偽」 前篇
「痛って!」
突然の鋭い痛みで目を覚ました銀時は、未だじんじんと疼く己の人差し指を寝ぼけ眼で見遣った。
指先からは黄金色をした細い針金のようなものが生えていて、根本からは血が半円形の赤い塊となってぷくりと盛り上がっているのが見て取れた。
その物騒な金属を指先でつまんでひと思いに引き抜いて、顔に近づけてしげしげと観察してみる。
大きさは小指の爪より若干小さく、全体に丸みを帯びたそれは、血に汚れることなく綺麗な光沢を放っている。特別先端が尖っているわけではないが、布団や皮膚を突き破る程度には十分細い。
なんだ、こりゃ?
小さいとはいえこんなものと一晩、ひょっとしたらそれ以上の間同衾していたとは……。
おっかねぇなぁ。お呼びじゃねぇっての。
ひょっとして刺されたのが指だったのは僥倖だったのかもしれないなどと考えながら、銀時はもぞもぞと布団から這い出すと、自分を刺す機会をうかがっている小さな凶器が
他にも隠れていないかを確かめるべく掛け布団をめくりあげた。
上掛けについで敷布、枕を点検して見つかったのは己のものとは明らかに違う長い一条の黒髪。
こんな形で昨夜の情交の証拠を突きつけられ、なんとも面映ゆい気持ちにさせられた銀時は、ここにもう一人、本当なら自分と一緒にばつの悪い思いをするべき人物がいないことを思い出して
寝起きで低いテンションをさらに下げる羽目になった。
こんなもんだけ残してさっさと消えやがって……。
数ヶ月ぶりに来たと思ったらこれかよ。
別に一日千秋の想いで待っていたわけでも、会えなくてイライラしていたわけでもない。正直、 日々の生活に追われて、思い出さない日だって珍しくはない。
なのに、昨夜、まるで自分が寝静まるのを待っていたかのようなタイミングで現れた途端、なにをするでもなく、なにを告げるでもなく、そのままそっと立ち去ろうとした桂をどうしても許せず、今まさに
窓の下枠に足をかけ、万事屋から、銀時の元から去ろうとする桂の肩に背後から手をかけた。
いきなり肩を掴まれ動きを止めた桂よりも、驚いたのはむしろ銀時の方だった。
常とは違う柔らかな手触りに上等な質感。どう考えてもー
「えらくめかし込んでんじゃん。どっかへお出かけ?」
違う、と桂は振り返りざま答えた。
「今戻ったばかりだ」
銀時は口元を緩めた。
またぞろどこかに消え去るのでなければそれでいい。
しかも、戻ったばかりと桂は言った。戻ってすぐ真っ先に訪なってくれたというのだ、嬉しくないわけがない。
「なら、大丈夫だな」
「なにがだ!」
銀時としては出来るだけそっけなく言ったつもりだったのだが、どうやら桂の耳には思い切り喜悦の声に聞こえたらしく、弾かれたようにして返ってきた声には微かな怯えが混じっている。
きっと、桂はとうに知っている。今から自分の身に起こること、銀時がなにをしようとしているのかを本能と経験とで。
大当たり。
「だから……」銀時は両の腕で桂を囲い込み、そっと耳打ちした。「今から出かけるんじゃなく戻ったところならよ、余所行きのこの御召、ちょっとくれぇならクシャクシャにしちまっても問題ねぇよな、ってこと」
「嘘を言うな!貴様がちょっとですむものか!」
無理矢理窓枠から引きはがされそうになり、身を捩って逃げようとするも叶わず、桂が半ば自棄のように叫んだ。
これまた大当たり。
さっきまでは確かに別室で休む少女を気遣い、無理に低く落とした声で話していたというのに、この狼狽えよう。可笑しいやら可愛いやら。
「そこまで理解してくれてんなら気が楽だわ、さすが腐れ縁の幼なじみ。じゃ遠慮なく」
どうしても声が弾むのを抑えきれない。いかにも嬉しげに響くのに、銀時は自分でも苦笑するしかない。
「笑うな、気持ち悪い。てか、遠慮しろ!」
「無理」
藻掻くのをやめない桂の悪態にも上機嫌のまま即答し、銀時は腕の中の痩身をいつもより丁寧に抱きかかえ、そっと仰向けに横たえた。朧気な月明かりに照らされた髪が揺らめいて銀時を蠱惑する。思わず指で梳った絹糸からは冷涼な香りが醸し出されているようで、二度、三度と銀時は倦かず繰り返した。
そんな普段とは違う銀時の行為に戸惑ったのか、桂が何事かとばかりに見つめてくる。その視線にいたたまれず、銀時は
瞼に口づけを落とすと同時に帯に手を回したが、着物に劣らぬ高級そうな手触りに、一転、鼻白んだ。
んだよ、帯まで気合い入れてんのか。
こんななりで、何処でなにをしてたんだか。
ここ数ヶ月の桂の不在が、急にこの上もなく不快な出来事として思い出されてきた。
自然、手つきが打って変わって乱暴になり、まさに剥ぎ取るという表現が相応しい荒々しさで帯を引き抜いた銀時は、乱暴にそれを部屋の片隅に放り投げた。
忌々しい絹の御召や襦袢類に帯と同じ運命をたどらせると、銀時は鞐を引き千切るようにして足袋をももぎ取った。
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