「こゆう」
「銀時?」
あの時、明け方近く突然現れた銀時に桂は目を瞬かせた。けれど、突然の訪問に驚いたわけではなかった。銀時はいつだってふらりと現れるし、時刻だっておかまいなしだ。
現に今も寅の刻。夜にしても遅すぎるし明けるには、早い。人様の元を訪なうには最も不向きな時刻に違いない。
闇にも融け込まぬ双眸が、光すら映さないかと思えるほどにただ暗かった。
桂を捉えているかどうかも判然とせず、鈍く光り見開かれているだけで。
「どうしたのだ、貴様。一体……?」
あまりに異様な態に思わず腰を浮かせかけたが、銀時に駆け寄る前に倒れ込むようにして縋られた。
桂はそれ以上問うことはせず、預けられた身体を全身で支えながら、小さく小さく洩らされる呟きに耳を傾け、
「そうか」
「そうか……」
ただ応え、頷いた。
宥めるように髪を撫でるうち、銀時の呟く声は段々途切れ、やがて何も聞こえなくなった。
ようやく眠ったか。やれやれだな。
桂は強ばってしまった肩からなんとか銀時を外すと、わざと乱暴に扱った。床に落とすように下ろし、慌てて延べた敷布に転がし、
「幕府の狗がなんだというのだ。そんなことを俺に聞かせてどうする気だ貴様は!」
このくらいのことで目を覚ますはずもないと重々承知で、なればこそ、床に伸びている銀時に向かって乱暴に言い放った。
とても気立てのよい娘が死んだのだと。
大嫌いな男がそれにじっと耐えている、と。その娘の、口が悪いだけのガキとどこか軽くあしらってきた弟ですらーと、訥々と訴えられたのだ。
俺にもあんな風に出来るだろうか?
おそらくはそんな彼らの姿を見て、恐ろしくなったのだろう。声にも出せず、銀時は全身で桂に問いかけてきた。
いつかおまえを失うようなことがあっても俺は?ーと。
「莫迦め」
貴様に出来るわけなどなかろう。身体や心に傷を負う度、癒されようと俺を求める弱い男が。
その日、桂は舌打ちするような思いと、そんな莫迦が愛おしくてたまらない思いの狭間で、泥のように眠り続ける銀時に寄り添うように眠ったのだった。
そして今。
銀時が桂に縋り、胸に顔を埋めていた。
じんわりと何かが胸の辺りを濡らすが、涙でも血でもどちらも似たようなものだーと桂は、意に介さない。ゆっくりと銀時の髪を撫で続けている。
以前と同じ事の繰り返し。違うのはー
「惜しい男を亡くしたな」
この度は桂も事態を把握していた。
瀕死の銀時を同志が連れ帰り、匿って手当てしたのはつい先頃。傷も癒えない間に魔死呂威組に一人で向かった銀時は、川から引き上げられた時より青い顔をして戻ってきた。
護りたかった、助けたかった者を目の前で死に神にかっ攫われたのだ、無理もない。そんな思いをしたくなくて過去の柵から逃げ出したはずのおまえなのに。
喪失感と無力感に押しつぶされそうになっている銀時を桂は無言で迎え入れ、胸に抱いてやっている。
「安心しろ、俺は貴様より先に死なん。 絶対にだ」
銀時は何も言わず、掻き抱く腕に力を込めることで桂に応える。
「心配すぎて貴様など置いていけるものか。新八くんやリーダーに大迷惑だ」
「……うるせぇよ、莫迦ヅラ」
莫迦はどっちだ。殺されかけておいて……。
胸の裡で嘆息しながら、桂は笑う。
「それだけ言えたらもう大丈夫だ」
違う、大丈夫じゃないーとばかりに、背に回されている腕に更に力が込められた。
やはり、この莫迦には自分がいてやらねばならないらしい。少なくとも今はまだー。
求められる喜びと息苦しさの中、桂はふともう一人の莫迦を思い出した。
奴には、こうやって縋るものがあるのだろうか? 癒される場所は?
「ヅラぁ……」
銀時の声に、桂は迷子になりかけていた思考を取り戻した。
どうやら俺が一番莫迦らしい。
斬るとまで宣言しておいて、何を今更……。
弱さ故に激しく強く己を求めてくる銀時の目を前に、桂は高杉への思いを断ち切り、この直向きな目に応えてやらねばーと心を固めた。
「銀時……」
名を呼んで半ばすすんで受け入れた、自分の前では誰より弱い男からの口づけは、苦い苦い血の味がした。
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