「たったの二文字にどんな意味があるっていうんですかぃ?」 どこか自棄になったような口調で沖田が言う。 「まさか、あれ、”煩くてかなわん”とかいう当て擦りじゃねぇでしょうね?」 「煩くてかなわんのは貴様の方だ」 淡々と返しながら、桂は内心ため息を吐いていた。 この小童、あれを見たのか。 連日の暑さに加え、家移りしてからまだ2週間という早さで沖田に押しかけられた。あげく、いきなり 「あんた、なんですかい、ありゃ!?」 大声で詰られてはうんざりしない方がおかしいというもの。 「あんたではない、桂だ。なんですかいとはいったい何のことだ?」 まともに相手をする気力もとっくにどこかに消え失せ、口先だけで問い返せば「ありえねぇ」とだけ言い、唇を尖らせた。 はて、なんのことだと桂が記憶を手繰り始めるより先に「終兄さんへの返事のことでさぁ」沖田が力なく言った。 沖田の言う終兄さんというのは、桂が真選組に潜入したのをきっかけに奇妙な縁が出来てしまった男、斎藤終のことだ。 桂の元に何故かその男から沖田を介してちょくちょく文が届くのだが、その度に沖田が必ず返事を強請る。 沖田などに度々訪なわれては迷惑なので、桂はいつも手渡された文にその場で目を通してすぐに返事を認めている。 が、寄越される文がとにかく長い。本人はいたって無口な癖に、それを補ってあまりあるほど饒舌だ。 当然読むのにも相応の時間がかかる。沖田などに長居されては迷惑なので、桂からの返事はかなり端的になる。というよりむしろー 「いくらなんでも短すぎじゃありやせんか」 なるほど。それが不服か。だが。 「貴様、まさか盗み見たのではあるまいな」 詰るように問えば 「いくらおれでもそこまではしやせん」 どうだか、という桂の眼差しに「本当でさぁ」わざとらしく上目遣いで拗ねてみせる。が、これっぽちも可愛くない。でかい図体で所在なげに拗ねる銀時の方が余程マシだ。 「兄さんが、紙をこうおっぴろげて食い入るように見つめてる様を思いうかべて下せぇ」 普段のやる気のなさそのままに、沖田が両手を広げ斎藤の様子を再現し始めた。 まともに取り合う気なんてなかったのに、つい見入ってしまった。 正直ー 「……不気味だな」 それもかなり。 沖田も大いに頷いて 「目の前でやられて気にならねぇわけがねぇ。つい、目がいっちまったというか……」 脱力したかのように広げていた両手をだらんと降ろした。 「見たら見たで、やたらでかい字で"蝉頃"とあるだけで……ありゃ何です?巫山戯てんですかい?」 まるで責めるようないい方だ。 「貴様、やはり盗み見たのではないか」 「盗み見たんじゃなく、見えちまったんでさぁ」 「似たようなものだ」 「似て非なるってやつですぜ。同じ文でも、兄さんのとあん……桂さんのじゃ全然違うのと同じことでさぁ。兄さんのはちょいと長すぎ− 「貴様、あやつの文も盗み読みしておったのか!?」 桂は呆れて口を挟んだ。 「そうじゃありやせん」 沖田は蠅でも追い払うように手をひらひらさせた。 あの厚みで判ること、と沖田は言う。 「ありゃジャンプよりちぃとばかり薄いって程度ですからねぃ」 「貴様の懐に収まる程度だ。そこまで大げさに言うものではない」 が、長さについては桂も否定しない。 「で、片やこちらは……額装でもしていずれ書展にでも出すおつもりですかい?」 皮肉たっぷり、ついでにまたしても責めるような視線を寄越す。 短すぎて悪かったな。 「当の本人はどうだ?不服そうか?そうではあるまい」 「確かに兄さんは気にしてねぇようですがね」 ただ、文を広げたまま穴の開くほど見つめているのだとか。表情は読みとれないが少なくとも不快に思っている風ではない、と。 「なら、よいではないか」 「いいんですかねぃ?」 「充分ではないか。そもそもあの男、返事など必要としてないかもしれんのに」 「そう思う理由がなにかあるんですかぃ?」 疑るというより、興味津々という風に尋ねてくる。 「おれの見立てでは、あの男、無口が過ぎて裡に色々と溜め込みすぎているのを文字にすることで発散しているだけだ。だから、文を書き終えた段階でほぼ気が済んでいるはず」 納得しているかどうかは表情から読みとれないが、沖田は黙って桂の話を聞いている。 「あれはな、文と言うより”日記”だ。正直、他人が読む必要すらないのかもしれんぞ」 「だから、おざなりな返事でいいってわけですかぃ」 そうではない、と桂は首を横に振った。 「斎藤の性分を鑑みた結果だ。あれほどの内向的な人物には、万の言葉よりもいかにも含みがありそうな言葉一つの方がずっと響くことがあるものだ。 一人で好き放題に深読みし、考察する楽しみを存分に味わうことだろうよ」 「"蝉頃"なんてどう考察しろってんです?」 桂の言い分に、沖田が疑問を口にした。 「有名な詩だ。知ってさえおれば蝉採りに興じた幼い日々の"のすたるじぃ"や望郷の念を掻きたてられるもの」 「おっさんの懐古趣味はおれにはちぃとばかし早すぎまさぁ。てか、あんたー桂さんは蝉採りなんてやらなかったんじぇねぇですかい?」 「何故だ?」 「おれらとは育ちが違うし、それに、あんた分別くさいから『土の中で七年も堪え忍んでやっと地上に出てきたものを捕まえるのは忍びない』とか言うようなガキだったんじゃねぇかって思いやしてね」 桂は「あんたじゃない、桂だ」再び生真面目に訂正しておいて、「忍びないどころか、喰ったことがある」と笑い、子どもの頃の話だと付け加えた。 「喰った?蝉を?それとも幼虫ですかぃ?」 「幼虫だったな」 珍しく驚きを隠さない沖田に、桂は平然とこたえた。 「で、喰ってどうでやした?美味かったとか冗談言わねぇで下せぇよ」 「酷く土臭かったが、味など覚えておらん。ただ、後で一日中腹を抱えて転げておった」 「……そりゃ、喰う前に想像がつきそうなもんですがねぃ」 沖田の目は、呆れるのを通り越して蔑むようだ。 「仕方あるまい。子どもにも子どもなりの矜恃というものがある」 「普通は蝉なんて喰わねぇのが矜恃ってもんでさぁ。戦時中ならいざ知らず、どう考えても平時にそれは"ねぇ"」 「貴様の言う"育ち"が原因で、友から違う人種のように思われているようで哀しくて、つい、な。僻んで莫迦をやったものだ」 「……で、莫迦やった結果、目出度くその友とやらからは仲間認定されたってんですか?」 桂は沖田の問いにはこたえてくれず、ただうっすらとそれでいて底なしに蠱惑的な笑みを浮かべた。 斎藤への返信が短いのにはそれなりの理由があること、当の本人である斎藤自身に不満がないことを考え合わせ、 納得しないまでも己が口を挟むべき事ではないと弁えたらしい沖田が不承不承桂の隠れ家を後にして直ぐ、桂は宿替えの算段を始めた。 桂の宿替えは意外と簡単だ。いつでも家移りできるように私物を極力増やさないようにしていることもあり、身は軽い。 その上、贅沢さえ言わなければ数時間の内にも移れる隠れ処は江戸市中に十は下らない。信頼の置ける部下たちに新しい居所を伝えるための連絡網にも抜かりはない。 問題は、桂の居所を全てーバイト先なども含めて文字通り全てーを把握していないと気が休まらないらしい幼馴染みに、今回のあまりにも早い住み替えの理由をどこまで正直に教えるか、だ。 全てを話すと怒り狂うだろうし、ぼやかしすぎても要らぬ心配をして、やはり怒り出すに違いないのだ。 厄介なところは昔と変わらぬ。 桂はひっそりと嗤った。 だが、あやつもおれのことを相当厄介な奴と思っておるに違いない。 静まりかえった部屋中に染み渡るような蝉の声を聞きながら、桂は一人思い出していた。あの夏の茹だるような暑さと、愚かだった幼い日の自分を。 友ー銀時に少しでも近づきたくて、少しでも認めて欲しくて、焦って足掻いてばかりいたあの頃。 蝉の幼虫などを喰らうに至ったきっかけはなんだったのかはもう覚えていない。それどころか、かなり不気味だったと思われる触感や味も、その後の腹の痛みまでもがまるで夢の中の出来事だったかのように ぼんやりとしか思い出せない。ただ、本当に幼虫を口にした桂を見て狼狽えている銀時の青い顔だけを鮮明に覚えている。 みんな子どもだったのだ。 桂はまた、笑みを浮かべた。 愚かで短慮ではあったが、いつだって真っ直ぐだった。 銀時も、自分も、そして多分桂のとばっちりを受けて意地になり、やはり同じように腹を抱える羽目になったもう一人の幼馴染みも。 桂の思い出の中には、ほとんどいつだってその二人がいて……。 気付けば、斎藤を嵌めるつもりだった思い出という罠に桂自身がすっかり嵌ってしまっている。 ミイラ取りがミイラになったか。 桂は己を嗤いはしたが、不快な気持ちではない。 ただ無性に銀時に会いたくなった。 どれ、久しぶりに万事屋に顔を出すとしよう。家移りはその後だ。 そう決めて立ち上がると、その時を待っていたかのように玄関の呼び鈴が鳴った。 銀時だ。 何故か、桂はそう思った。 「んだよ、鍵開いてっぞ。不用心だな、おい」 思った通りの声、思った通りの文句が聞こえてきた。 せみの子をとらへむとして 熱き夏の砂地をふみし子は けふ いづこにありや 詩の一節を口ずさみながら、桂は思う。 子らは大きくなって、もう蝉採りなどに興じたりはしていない。 が、今おれたちはここにいる。 故郷を遠く離れていても、おれたちはここにいる。 なぁ……銀時。 その銀時が、幼い頃と変わらぬ気怠げな様子で唐紙から顔をのぞかせた時には、桂は思い出の中からすっかり抜けだした"今の顔"で待っていた。 |