「夢魂」
夢を見ている。
桂の、夢。
これが夢の中と知れるのは、何度も繰り返し見てきたものだからだ。
何度も、何度も。
夢の中で、桂は、いつも池だか沼だかの水辺のほとりに佇んでいる。
十五夜の赤みを帯びた月が降り注ぐ光を受けてほんのりと輝いて見える痩身は、夢に相応しく幽玄そのもの。
桂は冴えた月のような横顔を惜しげもなく光の中に晒し、真っ直ぐに前を見据えている。いつもと同じように。
高く結い上げられた髪が、あるかなしかの風に揺れ、細いうなじが見え隠れする様は艶めかしいと言うより、妖しい。手配書でしか知らないその姿は、いつだっておれに夢の中にいることをなによりも実感させる。
もっとよく見ていたいと近づくと、射るような眼差しを向けてくるのも、同じ。
射竦められ、両足が地面に縫いつけられたように身動きがとれなくなりながらも、おれは、こみあげてくる喜悦に全身が打ち震え、「桂!」と、決まってその名を叫ぶ。
名を呼ばれても、桂は眉一つ動かさない。それどころか、一瞬でおれへの関心など霧散したと言わんばかりに文字通り背を向けてしまう。
そうして、あまつさえ霧が晴れていくようにその姿を徐々に消してしまうのだ。
もう一度名を呼んでも無駄。繰り返し、追い縋るように名を叫び続けても、桂は掻き消えてしまうのだ。
名を呼ばなければよかったーと、幾度となく後悔したのだけれどー。
まただ。
またやっちまった。
堪えきれずに、呼んでしまった。
愛しい者に背を向けられるのは、たとえ夢の中でも、辛い。
桂が消えてしまうと、それまで顔を出していた月も、水辺も、なにもかもが消え失せる。まるで世界の全てが終わるかのように。おれ一人を残して。
おれは夢から覚めるまで、ここに独り取り残される。
何もない漆黒の世界に。
嫌だ。
夢と知りながらも、嫌で嫌でたまらない。
おれに背を向けるであろう桂を見ていたくなくて、おれは夢の中ですら目を閉じた。
なまじ目の前で消えてしまわれるから辛いのだ。なら、先におれ自身でこの世界を消してしまえばいい。そう思ってー。
目を閉じてなお明るい月の光を感じる。けれど、この光も、桂とともに消えてしまうことだろう。
そうしておれは、光が消えゆくとともに闇に浸食されていくのだ。
息を殺すようにして迫り来るその時を待ったが、いつまでたっても光は消えない。
それどころか、心持ち明るさを増しているような気さえした。未だかつてこんなことはなかったというのに……。
ひょっとして、消えないでいてくれているのだろうか?
ーまだ、そこにいてくれるのか?
なぁ、桂?
痙攣させるようにしてゆっくり目蓋を開くと、眼前には先ほどまでと同じ光景。
静にたゆたう銀の光を放つ月も、それを受けて輝く汀も。
そしてー
桂が、いた。
砥草色の小袖がよく似合う、いつもの儚げな姿で。
ただ、違うのは……おれの方を真っ直ぐ見つめていること。
頬のあたりに残る幼さが、未だ夢の中であることをはっきりとおれに認識させる。
けれど、願いは叶ったのだ。
桂は消えないでいてくれた。
よかった。
「ありがとよ」
自然と口をついた言葉に、不思議そうに小首を傾げ目を屡叩く。
ああ、おれも不思議だ、桂。
このおれが「ありがとう」だなんてな、それもおまえに。
嬉しくて、可笑しくて……。
夢心地のままで目覚めたのは定刻。
変わらない自室。ここから変わらない一日が始まる。
けれどー
今日はなにか、いいことでもありそうじゃねぇか。
なぁ、桂?
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