「暮雲春樹」後
「ふん、それでいいっス。で、次はなんスか桂?」
「ああ、次は…」
桂があたしの言うことを聞いた!
坂田も一応大人しく黙っている。
あー、気分いい。
ざまぁみろ。この場の主導権を握ってやったっス。
狂乱の貴公子だか白夜叉だか知らないけど、こいつらただの馬鹿っスからね。
こんな連中御すのは簡単っスよ。
桂は坂田の抱え込んでいる瓶を奪取すると、あたしの目の前に突き出して見せた。
「これはな、菜の花の蜂蜜だ」
確かに。
ラベルにそう書いてある。
でも、だから?
…やっぱり馬鹿の考えることは解らない。
「エリザベス、もう一つの方を頼む」
エリザベス?
誰っスか?
桂と坂田にもう一人仲間がいるなんて聞いたことないっス。
桂に呼ばれて出て来たのはさっきの白ペンギンお化け。
エリザベス?
これがぁ?
こいつがエリザベスならあたしはマリー・アントワネットっス!
そのお化けーエリザベスなんて名前認めない。なんか生理的に嫌っスーが何やら桂に手渡した。
「たま子殿、それでこっちが蕎麦蜂蜜だ」
蕎麦蜂蜜はいいけど、名前がまたたま子に戻ってるだろうが!
晋助様ぁ、怖ろしいほどに鳥頭なんスね、桂って。
幼い頃からさぞご苦労を…。涙出そうっス。
「聞いておるのか、たま子殿」
「…聞いてるっスよ」
また子だと反論するのも、桂の二番煎じみたいなのでやめておく。
桂はあたしの返答に満足したのか、ならよい、とだけ言って話を続ける。
「菜の花のものを6、蕎麦のを4の割合で混ぜたものを使ってくれ。これはなかなか手に入らないものだから、後でこのまま持って帰ってくれ」
そう言って、桂はあたしの目の前で大根の入っている密封容器に蜂蜜をたらしはじめて…って…待て、こらァ!
「…ちょっと、それただの蜂蜜大根じゃ…」
「うむ、そうだが?」
「そんなことのためあたしはわざわざ連れてこられなきゃならなかったんスか!」
あり得ない。
桂がいくら馬鹿でも、まさか………。
え?
本気だったんっスか?
嘘ォォォォォォ!!
「そんなの料理って言わないっス(多分)!作り方さえ言われるか紙に書いて渡されるかすればあたしだって一人でちゃちゃっと作れたっス(多分)!」
「…ああ、そうか…そうだなその手があった…」
「てへ…って顔してんじゃねぇよ!全っ然可愛くないっス!馬鹿だ、お前は本当に馬鹿だ!…待てぇ!”馬鹿じゃない桂だ!”って言ったら殺すっス!」
桂は開きかけた口をまた閉じた。
ふんっ!
そんなのとっくにお見通しっス!
それからあたしはもう一人の馬鹿に目を向ける。
その馬鹿は、桂に渡されたスプーンをまだ口にくわえている。
「坂田ぁ!」
「ちょ、呼び捨て?」
「おまえなんか呼び捨てで充分っス!なんなら晋助様を見習って”馬鹿の”を付けてやろうか?おまけに定冠詞の”the”も付けてやってもいいっスよ!」
高杉の奴ーとブーたれる顔を睨むようにして「いいか、そのスプーンをまた瓶に突っ込んだりしたら、土手っ腹にマジで風穴開けるからな!」と言ってやる。
W馬鹿が互いの顔を見合わせて肩を竦め合っているのを横目に、あたしはさっさと帰り支度を始めた。
もうここにいる必要はない。
そもそも最初からなかった。
大馬鹿桂!!
「忘れ物などするなよ、もうここには帰ってこれぬであろうし、もし帰ってきてもおれ達はもういないからな」
どこかの母親の小言みたいなことを言われながら、あたしがペンギンお化けに連れられて桂の隠れ家を出たのはそれからすぐ。
左手には蜂蜜の瓶が二つも入った袋を持たされ、右手には先ほど作らされた(実際は桂が皮を剥いて角切りにした大根だったし、蜂蜜を加えたのも桂だったのだけれど)
蜂蜜大根の入った容器を持っている。
こちらのほうは桂に置いていくように言われたのをあたしが強引に持ってきた。
おれがさわったものだ毒を入れたかもしれぬぞ?
なんて馬鹿が馬鹿なことを言ってたけど。
そんなことあるわけないっスよね、晋助様。
だって、桂は正真正銘の馬鹿だから…。
本当なら花を抱えて帰るはずだったのに。
こんな格好で敵に出くわしたりしたら困るというのに。
それでも、今夜あたり早速作ってみようなんて思っている自分がいて、あたしはついつい笑ってしまう。
なにしろ今夜はとても冷えそうだから。
あたしは一刻も早く船に戻りたくて、歩調を早めた。
少し離れて歩くペンギンお化けが負けじと短い足をチョコチョコ動かし始めるのが判って面白い。
無表情な癖にどことなく迷惑そうにしているのも。
こうやってみると結構可愛い…のかもしれないっスね…。