「思う壺」

桂小太郎は表情にとぼしく、喜怒哀楽といった感情の揺れ幅が狭い。

ンなこと言ってるのは、せいぜい攘夷戦争くらいから付き合いが始まった連中ばかり。
ヅラはあれでよく笑う。シニカルな笑みとかじゃ全然なくて、時には莫迦みたく大口を開け、声を出して気持ちよさげに笑う。
それに、すぐに怒る。
おれなんてー場合によっちゃ高杉もーガキの頃からしょっちゅう叱られていた。
怒るのと叱るのとは違うーなんてヅラは理屈を言うが、なぁに、最初は冷静に叱っているようでも、やれ叱られているのに態度が悪いだの、 反省の色が見えないだのと言い出し、最終的には口だけでなく手まで出る程に激昂するのがオチだったりする。
それはおれや高杉の態度が特別悪いからで、まっとうな人間相手ならそんなことはない、とヅラは反論するが、 違う。奴が瞬間湯沸かし器並みに気が短いだけだ。
長い付き合いであるおれは、ヅラはむしろ感情の起伏は激しいタイプだと身をもって知っている。
悲しくて悔しくて泣くことは確かに稀だが、感動したり、他人に同情したりして泣くなんてのはしょっちゅう。それがまた、時には犬猫にも向けられたりするので、時としてうんざりさせられてしまう。 いくらなんでも感情移入しすぎだっつーの。

なのに、いつの頃からか、桂小太郎はーという誤った認識がまかり通っている。
何故か。
答えは簡単、ヅラ本人があえてそう装っているせいだ。

確かに、戦時中は笑ったり泣いたりしてる余裕はなく、ましてや大勢から頼られる身となってからは、 意図的に感情を押し殺していた。
それを今でも続けているのは党首として、やむを得ない戦略の一つかもしれない。
人心を掌握するためには人一倍美しい容姿に加え、ミステリアスな雰囲気(おれに言わせりゃ電波なだけだが)があったほうが、いいには違いない。
希有な存在、類い希なる者に惹かれるのが凡人の性だ。
それは、解る。
だが、それだけじゃないのが困りもの。
むしろ、たちが悪いと言うべきか。

例えば、ヅラはクソ暑い真夏でも好んで羽織を着用している。
それは男として、武士としてはあまりにも頼りなさ気な体躯を隠すためーなどではない。
むしろそれを強調するための謀。
羽織を肩から滑らせた時、その痩身と細腰が一層強調されるという仕組み。
それと同じ。
普段仏頂面で滅多に笑わない奴が、自分”だけ”に微笑んでくれたら……その喜びはいかばかりか?ってな。
なんのことはない、男を手玉に取るための罠。
ヅラもヅラなら、そんなのに引っかかる奴も碌でもねぇ。
それでも。
「貴様のために、この髪は切らぬよ銀時」
なんてニコリと微笑みながら言われてちまうと、どうしようもない愛おしさがこみ上げてきて、ヅラの全てを信じたくなってしまう。

全て解った上でひっかかっちまう。
おれが一番の大莫迦なんだろうな。




跋:「裏桂さん」に翻弄される銀さんというりくでした。
それほど「裏桂さん」という感じでもないし、銀さんも翻弄もされてないけど、ノーマルバージョンの天然美人さんが実はこうだったらちょっと嫌かもーと 思って書いてみました。遅くなってスミマセン。



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