「揺風」7
お互いこのナリでは人目に付きすぎるから乾の家まではタクシーで行かねぇ?という銀時の提案に従って、二人はタクシー乗り場に向かっていた。
最初っから万事屋に呼んでおけばよかった、気付くのが遅すぎたと悔やむ銀時に、「ほんの少しの距離くらい我慢せんか」と桂が苦笑いをしながら言う。
諦められない銀時は、「だってよ、どうせ経費で乾が出してくれんじゃん。タクシーなんて滅多と乗らねぇんだしよ」と言い返して、竹馬の友にたかるな!といつもみたいに叱られる始末。
竹馬の友。
桂はそう言う。
そして、銀時もそうだと思う。
けど…。
「なぁ、おれやっぱあいつのことよく思い出せねぇんだわ」
気がついた時には、銀時はそう口に出して桂に答えを求めていた。
あいつ、本当に誰だっけ、と。
「あいつ、とは平太のことか?」
「そ。確かに顔は見たことあっけどよ」
「貴様は講義中に眠ってばかりおったらしいからな」
思い出したのか、桂がクスリと笑う。
「らしいって、なに?又聞き?自分の目で見たのならともかく、又聞きで人のことを悪く言うのはどうかと思いますぅ」
「おれはいつも一番前に陣取っておったのだ。貴様など目に入るか!」
「わ、ひどー」
「聞くところによると涎まで垂らしておったとか」
「うわっ、それは誰からの情報?」
「貴様以外の全員?」
「そりゃ嘘だ。おれはちゃんと起きてたぜ?」
「それは、あれだ、あれ。おそらく起きているという夢でも見ておったのであろうな。やはり貴様は寝てたのだ」
「なに、それ。どういう結論づけ?」
「だが、正直なところ、本当は寝ていたのであろうが?」
ん?という顔で桂が顔をのぞき込んでくる。
仕方なしに、「寝てました、たまには」と白状して桂にクスクス笑われながら、「でよぉ、おめえのいうおれ以外の全員ってのに、乾は含まれてんの?」と話を戻した。
「いや、あいつは講義にあまり顔を出しておらなんだからな、そんな細かいことまでは覚えておらん」
「はぁ?なにそれ。おめぇがそんなんじゃ、やっぱおれが覚えてなくても当然じゃなくね?」
「だな。平太は講義にあまり顔を出さない、貴様は毎日出ているが眠ってる。…貴様があやつの顔を覚えていたことの方が驚きだ」
「なに、それ。滅多に講義に出ないなんて何様だ?おれでも毎日出てたのによ!」
「いまさらそんなことを羨ましがるな!…ったく仕方がない、教えてやろう。あやつはな、冬学組の一人だったのだ」
「冬学?」
銀時の問いに、桂がそうだと頷く。
「覚えておらぬか?毎年、冬の間だけ少し塾生が増えただろうが」
そうだ、確かにそういうこともあった、と銀時は思い出す。
普段は田畑の仕事にかりだされている子供達が、農閑期である冬に限って通塾してきていたのだった。
「そっか、だから覚えてないのか、てか記憶が薄いのか」
「そうだな。あの頃はまだ百姓で名字を持つものは、というか名乗るものも限られておったから、あやつはただ平太、と呼ばれておった」
「…おまえ、マジで記憶がいいな」
「ん?それはな、他にも貴様の知らないことがあるからだ」
悪戯っぽい笑みを浮かべる桂の言葉に、銀時は今から何を聞かされることになるのだろうかと訝しんだ。
「あやつ、医者になりたいと言っておっただろう?」
「ああ、そう聞いたな」
「だからな…」
「だからなんだってんだよ、早く話せよ」
おれの心臓もたねぇから、と銀時は心の中で毒づく。
「おれの実家の親父殿は医者だろうが。それで、平太はおれの実家の方にちょくちょく出入りしておったのだ。長じて後もな。父も百姓の子とはいえ将来を期待するところがあったようで、よく面倒を見ておられた」
そうだ、桂の実家は医者だった、と銀時は思い出す。
乾の医師になりたいという言葉に嘘はねぇんだ。
しかも、幼い頃から思い続けていたらしく桂家に出入りしていた、と。
それで、桂と顔をあわせる機会が多かっただけってことか。
聞いてみれば何でもないことだ、と銀時は胸をなで下ろした。
それでも、まだ釈然としないところが丸々残っていることにはあえて目をつぶる。
先日の会話の内容は相変わらず不可解なままだ。
が、今はこれだけわかれば仕事をするのに充分だ、と銀時は気持ちを切り替える。
「ほら、もうちっと急ごうぜ?」
少し気が楽になった銀時はいつもの調子を取り戻し、そう言って桂の手を取った。
「おい、銀時…」
人前で手を繋ぐという行為に慣れていない桂が慌てて手を引っ込めようとするが、銀時は強く握りしめるだけで一向に離そうとはしない。
それどころか、急に立ち止まったかと思うと桂の耳元に「いいじゃん、おれ達恋人同士なんだろうが?」と囁いてくる始末。
「銀時…」
困惑する桂に「おめぇも、その銀時はやめとけ」と銀時はそのまま話を続ける。
「なぜだ?」
「人前で、そんな風に馴れ馴れしく名前を呼ぶような女にゃ見えねぇ。そもそも乾は周囲が納得するようないい女をご指命だったんだぜ?良いとこのお嬢さんが、男を呼び捨てってのはヤバイって」
「では、どうしろと?今になって偽名をでっち上げると平…乾が混乱するぞ」と桂も小声で返す。
傍目には仲の良い男女が睦言を交わしているように見えるかもしれないが、その内容はあまり穏当ではない。
「そうだなぁ…あいつはおれのこと坂田って呼んでるし、おめぇは坂田さんって呼ぶのでどうだ?」
「坂田さん、坂田さん…ちょっと言いづらいな」
「今の内に練習しとけ」
「うむ、そうだな」
桂が一生懸命”坂田さん”を脳内で繰り返すことに夢中になるあまり、周囲のことが疎かになっているのを幸いに、銀時は歩きながら桂の肩に手を回した。
普段の桂なら絶対にこんなことは許さないだろうし、銀時もまた、明るい内から男の肩を抱いて歩く勇気など持ち合わせていない。
けど、今は特別だ。
桂は誰がどう見ても大人しそうな娘さんだし、幸い”坂田さん”のお陰で黙りこくっている。
事実、擦れ違う街の人々が、男女関係なく桂を見つめたり、通り過ぎてから振り返ってまで見惚れたりしている。
その内の幾人かは、銀時までも注視した。
その視線に羨望や軽い妬心が含まれていることを知っている銀時は、満更でもない心持ちだ。
きっとその誰もが、桂を女性と信じて疑っていない。
んだよ、こんなことならタクシーに乗ろうなんて言うんじゃなかったぜ、と銀時は勝手なことを思う。
せめて、こうやって二人で歩く時間をもう少し持てたら…という願いは、桂の「あそこでタクシーに乗れるぞ、ぎ…坂田さん」という声であっさり断ち切られた。