「揺風」8



「おいおい、ここかよ…」

「らしいな」


二人が案内されたのは乾曰く”おれの家”の最上階。

タクシーを降りてすぐ、目の前に聳え立つ屋敷の威風堂々とした佇まいに受けたショックからまだ立ち直らない内に、ここに辿り着くまでの僅か数分間に、銀時と桂は煌びやかな照明や吹き抜けの天井、油断すると滑りそうになる大理石の床といったショック材料に次々と襲われ続けた。


「なぁ、ヅ…桂さん、”おれの家”ってぇのは、もっとこう謙虚な建物のことを言わねぇ?」

「おれに振るな…振らないで下さい、坂田さん」

「”坂田さん”より、”おれ”をなんとかしやがれ、”おれ”をよ」

「うるさいっ、気を抜くと絨毯に足をとられそうなのだ」


つるつるした大理石の床を突破したと思ったら、今度は毛足の長い絨毯攻撃を受け、二人は表面上は白々しくも睦まじく、その実小声で悪態をつきながら必死にそこを抜け出した。


ようよう会場前に辿り着けた思ったら、ラスボスとも呼べそうな広間が二人の前に立ちふさがっていたのだ。


重厚な扉の中には、とても個人宅とは思えない二人の想像を遙かに超えた別世界が広がっている。

高い天井からは幾つものシャンデリアが下がり、その細緻なカットによって屈折している光が出席者たちの身につけている宝石を更に輝かせていて眩いばかり。

多くの招待客が広間を埋め尽くしているので壁などはよく見えないが、それでもカーテンの優雅なドレープやタッセルに施された刺繍の繊細さがどうしても目に入ってくる。

立食用のテーブルに用意されているグラスや食器なども、やはり真上からの光を受けて煌めいていて、幻想的な雰囲気を醸し出しているし、あちこちには惜しげもなく大量の生花が生けられており、招待客の若い女性たちとその妍を競う。

鈍い色彩のスーツに身を固めた男たちも、いわゆる上層階級に属しているような雰囲気が二人をこれでもかと威圧する。

確かにTVなどで見知った政治家やタレントも混じっているように見えるが、人数が多すぎて一人一人の確認は難しい。


かつて招待された柳生家の誕生日パーティーでさえも霞むような威圧感に、二人は急に罪悪感に囚われた。

自分たちは主催者の息子の頼みとはいえ、今からこの美しく整えられた小世界をぶち壊しに来たのだ。


「…なんかおれ、帰りたくなってきた」

「お…私も」


銀時と桂は顔を見合わせると溜息のように力なく言い合う。


「ああ、来て下さったんですね、桂さん!それと坂田さん」


どこからともなく現れた乾が、招待客の喧噪をものともしない大声で嬉しげに叫んだ。

その一言がついぞなく弱気になる二人の背中を押し、また 広間にいた人間の視線を一気に銀時と桂に集めるという効果をもたらした。


さぁ、今更うじうじしたって仕方ねぇ。

これは仕事だ。

気合い入れていけよ、おれ、とヅラぁ。


そう声に出さなくとも、桂の方も瞬時に仕事モードに切り替えたらしく、全身に神経を張り巡らせたのを銀時は感じた。


流石だねぇ、ヅラ君。


銀時はその切り替えの良さを内心で賞賛する。


「今晩は。よくお越し下さいました」

「今夜はお招き頂きありがとうございます」


乾と桂が丁寧に挨拶を交わす。

銀時は、桂が頭を下げるのを見て慌てて一緒に頭を下げる。


「どうぞごゆっくりなさって下さい、桂さん」


乾はそう言うと、そっと桂に近づき、「今夜はよろしく頼むな」と耳元で囁く。


その様子は、遠巻きに三人の様子を興味津々で見守っている客たちには、きっと格好の話題の提供になる。


巧いな、と銀時は思った。


「おい、本当におれなんかで大丈夫だと思うか、この仕事?」


その機を逃さず、桂がうつむきながら小声で乾に訊く。

話の内容は客には聞こえない。

大事なのは”この三人の間には何かがありそうだという雰囲気”だ。

側で話の内容をしっかり聞いている銀時でさえ、その二人の様子には心穏やかならぬものを感じてしまう位だ、他の者たちならもっと想像を逞しくしているに違いない。


この仕事、案外と巧くいきそうだ。

銀時が気を抜きかけた時、乾は「やっぱりあなたが一番お綺麗だ、桂さん」と大声を上げ、周囲の度肝を抜いてすぐ「だから大丈夫だ」とひそひそと続けた。


おいおい、そんな歯の浮く科白、いくら芝居でもよく言えるよな。

聞いてるこっちの耳が浮くわ!

やっぱり帰りてぇ…。


銀時は己のことのように気恥ずかしくなり、耳を塞ぎたくなる衝動に耐えた。

桂も同じ気持ちのようで、いたたまれなさそうに身を竦めている。

それがかえって可憐に見えるのが、作戦通りとはいえ銀時には面白くない。


なのに、そんな銀時に追い打ちをかけるように、乾は桂の手を取ると、「もう一度、あの言葉をここで言ってもよろしいですか?」とはっきりと言った。


あの言葉?

あの言葉って?


これはみな仕事の上だということも忘れ、銀時は他の招待客たちと同じように興味に駆られてあの言葉とやらが乾の口から語られるのを待った。


乾は客たちに自分の言った言葉の意味が浸透するまでの時間をおくと、桂の顔を真っ直ぐに見て「僕はあなたのことが好きです。子供の頃からずっと」とゆっくりだが、ハッキリとした発音で言った。


こいつ、マジでやりやがった!


乾の思い通りにことが運んでいる証に、唖然とする銀時はすぐに周囲のどよめきに包まれた。


「桂、ほら、私には…だよ」


銀時と同じようにただ固まっている桂に、乾がプロンプター役をして小声で科白を思い出させる。


周囲は桂がなんと答えるか、平静を装いながら抜け目なく耳を欹て、固唾を呑んで見守っている。


乾の声に我に返った桂が「その…私には坂田さんが…」と言い、銀時の方を向いた。


え?

おれ?

ここでおれに振るの?

おれはなんて言えばいいの?

なんも聞いてねぇぞ!


困惑する銀時の様子を見てとった乾は、銀時の前にずいと身体を進めると、「僕は本気ですよ、坂田さん」と銀時の目をまっすぐ見つめたかと思うと、 成り行きを見守っていた桂をおもむろに抱き寄せた。


「…え?」


いきなりのことに驚く桂を意に介す様子もなく、そのまま紅で濡れている唇に自分の唇を押し付けた。


「てめぇ、なにしやがる!」


ついに銀時の怒声が轟いた。