「揺風」9
「坂田さん!」
桂はそう叫んで、銀時にしがみついてきた。
思わず抱きしめ返す銀時に「忘れるな、これは仕事だ。騒ぎは短すぎず長すぎずで頼むぞ」と早口に囁いて、そのまま傷心の乙女よろしく銀時の腕を振りほどくと足早に会場を後にしてしまった。
え、え?
桂さん、今なんて仰いました?
おれ、ここに置いて行かれるの?
この状況下に一人で?
ちょ…変わり身速くね?
銀時は戸惑いつつ、それでも桂の一言で、今夜何度目かの唖然とした面持ちをなんとか引き締め直した。
そうだ、落ち着け。
これは仕事じゃねぇか。
うっかり忘れちまうとこだったぜ。
思い出させてくれてありがとよぉ、ヅラぁ。
けどよぉ、いくら依頼人だからって、やっていいことと悪いことがあんじゃねぇ?
おれぁ、本気で怒ってんだぜ、乾…。
銀時の本気の怒りモードが瘴気のようにたちのぼり、招待客の間に緊張が走った。
若い娘たちの中には口の中で小さな悲鳴を上げる者までいる。
先ほどまであれほど賑わっていた会場が、今はまるで誰かの野辺送りのように静まりかえっている。
唯一人、乾だけが平然としてみえる中、銀時はゆらりと乾に向き直り眼光鋭く射すくめた。
それでもなお挑戦的な笑みを浮かべたままの乾の顔面に、芝居だと重々承知の上で銀時は拳を打った。
乾が反動で軽く吹き飛ばされて、何台かのテーブルを薙ぎ倒し、派手に食器の割れる音が会場に響き渡ると、今度こそ周囲が悲鳴に包まれ、銀時は好ましからざる客として駆けつけた警備員に退席を促される羽目になった。
いけねぇ、パーティーはおじゃんになったかもしんねぇが、これじゃ騒ぎが短すぎねぇか?
ヅラに怒られちまうじゃぁねぇか!
乾を殴って幾ばくかなりともスッキリした銀時は、そう考えられるほどに余裕を取り戻した。
そこで、出口に誘導しようと両手を拘束している警備員たちを振りほどいて踵を回らし、倒れ伏している乾に向き直ると「あいつはおれんだ、おめぇには渡さねぇからな、覚えてろ!」と凄んでみせた。
こんくらいでいいかな?
まだ足んねぇか?
乾は銀時の思惑を正確に読み取ったらしく「おれは諦めませんよ、坂田さん。そちらこそお忘れなく」と努めて冷静に返答してきた。
その表情には笑みさえ浮かんでいて、時間を稼ぐことに焦りまくっている銀時よりもはるかに落ち着いて、余裕ある態度に見える。
あ、なんかズリぃ。
こいつ、今ちょびっと格好良くねぇか?
いやいやいや、そんなことを考えてる場合じゃねぇ。
おれはあとどれくらい引き延ばせばいいんだ。
てか、他にどうすれば引き延ばせるよ?
こんな○港映画みたいな三文芝居、他に何やれってよ?
次は足蹴にでもしますかーって貫一お宮じゃねぇっつーの!
今度こそガッチリ拘束され、警部員にズルズルと引きずられながら、困り果てた銀時は主客転倒、助けを求めるように乾を振り返った。
乾は、余裕ある態度をこれっぽっちも崩さずに、「君とはこれで終わりです」と冷たく言い放った。
それで、銀時は桂が必要としているだけの時間は稼げたのだと悟り、やれやれーとばかりに引きずられるがまま会場の外へ運ばれてやった。
一旦会場から出され、丁重かつ迅速にそのまま玄関先まで連行されて、そこからも放り出される。
そうしてぽつねんと冷たい外気に晒されながら、銀時はやっと一息つくことが出来た。
やっとおれの仕事は終わったな。
一応成功なんだろうな、あれで。
思いっきり殴っちまったが、あれは桂のあれとで相殺だな。
や、まだやり足りねぇか。
緊張から解放されて一連の出来事を反芻する内、またしてもムカムカがこみ上げてくるのを抑えられず、銀時は「ちくしょう!」と叫んだ。
「なんだ貴様、月に吠えるか」
丁度真上から聞き慣れた声が振ってきた。
銀時が見上げると、庭木の張り出したそれほど太くはない枝の上に、桂が平然と立っていて銀時を見下ろしている。
手には何も持っていないが、その悠然とした態度から、何かしでかしてきたことは間違いなさそうだ。
「おまっ、ちょ、そんなナリで危ないでしょうが!降りてこい」
「降りようとした所に貴様の叫び声が聞こえてきたのだ。ちょっとどけろ」
そう言われて銀時が脇へ退くと、先ほどまで銀時が立っていた所に桂がすとんと着地した。
「首尾は上々らしいな。騒ぎがおれのところにまで聞こえてきた」
桂が上出来だとばかりに笑みを浮かべる。
「そう言うおめぇはどこにいたの?」
「ちょっと訳ありでな」
んだよー、そんなのばっかかよ、面白くねぇ。
「やっぱりおれは蚊帳の外かよ」
「蚊帳の外?」
「おめぇら、なんかおれに隠してるだろ」
じろりと桂を睨めると、「まぁな」とだけ答えて顔色一つ変えないのが憎たらしい。
さっきあんなシーンを目の前で見せられて、それで蚊帳の外のまんまおれが黙って引き下がるとでも思ってんのか。
「ぎ…」
どうしても治まりきらず、突き上げてくる妬心をそっくり口移しで桂に教えるかのように、銀時は桂に深く口づけた。
腕の中で藻掻く桂の抵抗を許すまいと、抱く手に力を込めようとした銀時は、桂の手がそっと自分の背に回されたことに軽い驚きを感じた。
唇を貪られながら、桂は片方の手に力を込めて銀時の背中を抱くと、もう片方の手でふわふわの髪の感触を楽しむように頭を撫で始める。
その心地よさに、身体に感じる桂の手の温もりに、銀時はいつしか身体だけでなく心の強ばりをも解いていった。
「銀時」
桂が潤んだ目で銀時を見つめる。
「今は言えぬ。が、もうすぐ全てが明らかになる。それまで待て」
そう言うと、今度も自ら銀時を優しく抱擁した。
ちぇ、こんなんで誤魔化されねぇぞ。
そんな銀時の意志は、抱擁の次に桂から与えられた口づけ一つで、あっさりと消散してしまった。