「揺風」11



「坂田、本当にありがとう。助かった」


乾…平太は開口一番そう言うと、深々と銀時に頭を下げた。


桂が万事屋をおとなってから更に二日後、銀時は近くのファミレスに平太から呼び出しを受けていた。


「その…あん時ゃすまなかったな。もうちっと加減すればよかったんだが」

「いやぁ、あれくらいの方が説得力あったって。まだ少しだけ痛むけどね」


はは、と力なく笑う平太の頬には大きなガーゼが当てられていて、それがぷっくりと膨らんでいる。

それを見てすぐに銀時は、一時のテンションに身を任せた結果がこれだよ長谷川さん、と友人の一人を思い浮かべながら肝が冷える思いを味わった。


「色々ごたごたしてて遅くなって悪かったけど、これ」


そう言うと、平太は依頼料の入っているとおぼしき封筒を取り出して、銀時に差し出した。


「おう、確かに」


それ以外に言うべき言葉も見つけられず、銀時は封筒を受け取るとただ黙って平太が何か話すのを待った。


しばらく重苦しい沈黙が二人の周囲に重苦しくのし掛かっていたが、やがて平太が口を開いた。


「…桂から、何か聞いたか?」

「ああ、おめぇ、端から家業潰す気だったんだってな」

「うん。すまない、坂田。おれ、嘘ついてたんだ」

「嘘?」


銀時はいかにも意外だといった表情をつくってみせる。だが、内心は、平太の口からやっと銀時の知りたかったあれこれが明らかにされるだろうという期待に充ち満ちている。


「おれ、本当はお前があの万事屋をやってるって知ってたよ」


そうか、と銀時は頷いた。

うん、そんなんだ、と平太も頷く。


「実はおれ、江戸に出て来て割とすぐに、お前と桂が一緒に歩いてるとこ見かけたんだよ。それからも何回か。おまえら、目立つし」

「そん時に、なんで声を掛けなかったんだ?」


何回もおれらを見かけてるんならよ、と銀時は訊く。


「…正直言うと、おれ、桂に会うのがちょっと怖かったんだ」


怖い?

あいつが?

何故だ?

銀時は不思議でたまらない。

計画に桂を引き込んだのはそう言う平太自身だ。

それに、顔をあわせた途端に、平太はあんなに嬉しそうに桂に話をしていたというのに。


「それって、あいつが指名手配犯だからとかそーゆーので?」


違う、と平太は頭を振る。

そうじゃない、そうじゃないという風に。


「桂に最後に会ったのはおまえたちが戦争に行く前だったって言ったよな」


ああ、そう聞いたなと銀時は思い出す。

そしてそれを聞いた時、なんだか奇妙だと思ったことも。

けれど、その疑問は既に桂から聞いた話で腑に落ちている。


「おれはその時、桂に一緒に戦に連れてってくれって頼んだんだよ」


銀時の驚いたような様子を見て、平太は力のない笑みを浮かべた。


「勿論、断られたよ。でも、おれは食い下がった。おれを連れて行けないのはおれが武士じゃないからなのかって」

「ヅラはなんて?」

「おまえはお前のやり方で国を守れって叱られた。国は武力だけで守るもんじゃないって。仮に為政者が変わっても、そこに住まう者は変わらないから、その者達の暮らしが少しでも良いものになるように努めるのも大事な仕事だから、お前は立派な医者になってくれって」


まだ、なれてないけどね情けないことに、と平太はまたはにかむように笑う。


いかにも桂の言いそうなことだなぁ、と銀時は思う。

真面目で、真っ直ぐで、理想に燃えてて。

十代の頃の桂の顔を思い出しながら、銀時も小さく笑った。


「おれは桂に憧れてたんだ。だから、一緒にいたかったんだよ。お前のようにな。坂田、おれは桂と一緒に行けるお前が羨ましかったんだ」


結局、桂を置いて戦場から脱落した銀時には耳が痛い。

そして、戦場の現実を知らないままの平太の純粋さを少しだけ妬んだ。


平太に何をどう返せばいいのか解らない銀時は、ただじっと平太の目を見つめた。


すると、突然、平太が突飛な言葉ことを口にした。


「僕はあなたのことが好きです。子供の頃からずっと」

「それは……」


あの日、平太が皆の前で口にした言葉。

桂や銀時をはじめ、あの場にいた誰もを唖然とさせた言葉だ。


「おれはな、坂田。あの日もそう桂に言ったんだ。一字一句違えずにな」

「…そっか」


うん、と平太は目を伏せた。


「桂は目を丸くしてたよ、この前のパーティーの時と同じように」


本当に同じだった、と平太は懐かしそうに言った。


「…そっか」


銀時はただ相槌を打ちながら、平太の話に聞き入る


「その日が桂に会った最後だったんだ。おれはあの日のことを、ずっと覚えてた。けど、桂はどうだろうって。怒っているか、すっかり忘れているか…そのどちらもおれは怖かったんだ」


だから、と平太は話を続ける。


「今回のようなことでもなければ、おれは桂に会ったり話をしたりできないままだったよ」


それきり、平太は黙りこくった。

遠いその日に思いを馳せているように、今はじっと手元を見ている。

銀時も口を開かずに、同じように平太の手元を見ていた。


「けど」


何か吹っ切れたように、平太はまた銀時を真っ直ぐに見つめた。


「桂は変わってなかった。嬉しかったよ。おれのことも覚えててくれた。おれもずっと変わってない。今でもあいつに憧れている。だからー」


芝居でのこととはいえ、もう一度告白する機会を与えてもらえたことに感謝している、と平太は今度こそ幸せそうな笑みを浮かべた。


「けど、おめぇ…」

「ん?」

「だったら妙な嘘なんてつかねぇで正直に計画を言えば良かったんじゃねぇか?あんなまどろっこしい頼み方しなくってもよ」


そうだな、と平太は言った。


「けど、いきなり家業を壊したいって言ったら、話がデカすぎてお前達がすんなりとは引き受けてくれないんじゃないかと思った。それに、あれはおれなりのあの日の仇討ちだから」

「仇討ち?」

「桂において行かれてしまった攘夷戦争。遅ればせながら、あれがおれなりの攘夷のための戦いだったんだ。だから、桂と戦場に行けたお前にはなるべく関わって欲しくなかった。ただ、お前には桂を引き込む手伝いをしてもらえれば充分だったんだ」

「で、おれ達にはあくまでついでの見合いの方を全面的に押し出してきたのか。道理でおかしいと思ったんだよな。かまっ娘倶楽部で、おれ達をなんとかヅラから引き離そうとしただろうが」

「二人だけで”攘夷”の方の計画を練りたかっただけなんだが、感じ悪かったよな、すまない」

「結局、やっぱおれは蚊帳の外だったってぇわけだ」


拗ねるように言う銀時に、本当に悪かった、と平太は重ねて謝った。


「で、おめぇこれからどうすんのよ?」

「乾の名なんて捨てるさ。おれはただ、これからも医者になるために勉学に励む、それだけだ」


桂との約束だからな、と平太は決然と銀時に告げた。


「そっか、どたばたしちまったけど、一つの区切りがついたってことで、おめぇにとっちゃ良かったんだよな、これで」

「ああ、おれなりにケジメがつけられた気がするよ」

「おめぇもこれから色々大変だろうけど、頑張れや」

「ああ、ありがとう、坂田」

「そういや惚れてる女いるんだろうが?そっちの方もこの際びしっとケジメつけて告ってみたらどうだ?案外うまくいくかもしんねぇぜ?」

「ああ」


平太が可笑しそうに笑う。

その顔を見て、銀時はあっと思う。


「おめぇ、その話も嘘だったのか?」


坂田…と平太は苦笑する。


「嘘じゃないが…それはお前の勘違いだ。おれは他に好きな人がいるから見合いを壊して欲しいって言っただけだよ」

「そうだっけ?でも、それのどこが勘違いなんだ?」

「惚れてる相手が女とは限らないだろう?」


そう言われて、やっと全ての事情が銀時にも審らかになる。


平太は何とも形容しがたい奇妙な表情を見せる銀時の顔を見ながら、今度こそ腹の底から楽しそうに笑っていた。