「萌 芽」


「あー、こりゃもうだめだな」
「なんでだよ?」
「こいつ、まだ羽がそろってねぇもん。親が頑張って餌届けても、ぜってぇ猫とかに喰われる」
「では、おれたちが育てれば良いのではないか?」
「無理無理。虫がどんだけ要るか解ってんの?殺すようなもんだ」
「だからって、このまま放っておくのかよ?」
「それが自然の摂理ってもんじゃねぇ?」
「では、一番良いのはやはり親鳥に任せることだな」
「おま、また無茶考えてんじゃねぇだろうな?」
「巣に還すだけだが?」

それが無茶だっていうんですぅー。
いい年こいて、わかれやヅラ。

あんな思いを植え付けられるくらいなら、雛鳥にゃ悪いけど、あん時嘘でも何でもついて、さっさとその場から離れときゃ良かった。

「萌芽」

三人の内の誰が言い出したかは覚えていないが、久し振りに渓流釣りをしようということになった。
川までの道すがら、銀時は釣りの道具一切を桂に持たせ、自分はすかんぽの若葉を口に入れ、酸味に顔をしかめてみたり茎をかじりながら、目ではあけびの花を如才なく探していた。 秋になればそこに実がなるだろう。

桂は、二人分の道具でふさがった手でぎこちないながらも、烏野豌豆で久し振りに笛を作ろうと試していたが、そういう遊びに慣れ親しんでいた幼い日が遠すぎて、 上手く作れなくなったと途中で投げ出した。

高杉は、そんな二人を「いつまでも餓鬼だなぁ」と評して二人から容赦ない蹴りを入れられ、少々不機嫌になっている。

けれど、柔らかい日射しに、まだ鮮やかとまでは言いかねる淡い緑色が優しい自然の中で、久し振りに仲間と一緒に”お楽しみ”に向かって歩いているのだ。 誰しもいつまでも不機嫌のままでなどいられない。
三人はそれなりに高揚し、賑やかに歩を進めた。

幼い頃、三人は今日のように連れ立って一緒に色々な事をやらかした。
良いことも、悪いことも、危ないことも、みんなみんな一緒だった。
褒められる時も、叱責を受ける時も。

わざわざ瞼を閉じて心の中の思い出を探らなくとも、目に映る景色のここ彼処に、幼い日の誰かのあるいは自分たちの姿を見出すことは簡単だった。
今はスギナが密集して生えているこのあぜ道で、えのころぐさを使って蛙を釣って遊んでいた小さな銀時の姿。
目を少し南にやれば、そこに見える土手で、怪我をした高杉の止血に使うからーと一生懸命に蓬を探している幼い桂。
その横には、両足を怪我して泣きそうになるのを、大きな目を見開き口をグッとかみしめてこらえている更に幼い高杉が。

彼らは三人、この地でそうと意識することなく日々思い出を積み重ねながら一緒に生きて来た。

そうして今、孔子が学問で身を立てようと決意したのとかわらない年である自分たちは、これからどんな大人になろうというのか?
その道を己でしかと定めなければならない時が、迫ってきている。
おれたちは、いつまでこうやって同じ道を歩んでいけるのだろうか?
多分、誰もが似たような思いにとらわれていたのだろう、三人は、いつの間にか寡黙になっていた。

もう少しで川に着くと言う時、茂みでなにやら小さく音がしたのに最初に気付いたのは高杉だった。
かさかさ。かさ。
本当に小さく、先にある川のせせらぎの音にも負けそうな密やかな音。

「蛇ってこたぁないだろうな?」
少し、びくついた声で銀時が言い、蛇が出てくるにはちと早いと思うがーと桂が安心させるように言ってやる。
が、高杉は
「そんなの、わかんねぇぞ。蛇にも銀時みたいな馬鹿がいるかも知れねぇ」
と言い、先ほどの意趣返しとばかりににやりと笑った。
三人の中で蛇が一番苦手なのは銀時だ。
高杉は外見に似合わず意外と剛胆で、ヤマカガシやヒバカリ程度の大人しい種類なら素手で持つ程だったし、 桂もそれ位の大人しい蛇なら
「くりくりした目が可愛いではないか」
などと暢気に言い、見つめる程度には平気だった。

「ちょ、やめてよねー、晋ちゃんのいけずぅ」

いつになくおどおどする銀時が面白くて、高杉はいっそ本当に蛇だったらよいのにーと少し意地悪なことを考えながら、音のする方へ近付いていった。

「気を付けろよ、晋助」
気づかう桂の声に、目だけで返事しをした高杉が足元で見つけたのは、いかにも桂が喜びそうな小さな小さな一羽の雛鳥。
拍子抜けした高杉だったが、背後から自分の様子をじっと伺う二対の目があることを思いだし、そっとな、と合図して、二人を手招いてやった。
桂は言われた通り、そろそろと素直に高杉に近付いたが、銀時は、まだ高杉を警戒してそのまま動かないでいる。
そんな銀時を高杉は鼻で笑い、桂は物音の正体を見せられるや否や、その場にしゃがみ込んだ。
でぇじょうぶそうだな……桂の様子に安心した銀時はひとりごちると、やっとそろそろと二人に追いついた。

「なぁんだ、メジロじゃんか」
銀時はあからさまにホッとした様子を見せた。

「しかし、なぜ一羽だけなのだろう?」
「あれ、巣じゃねぇか?落ちたな」
桂の疑問に答えながら高杉は、茂みの中に立っている桜の枝を指差した。
その先に、確かにお椀のような丸い巣が見えた。そこから、かすかに雛の鳴く声が複数聞こえてくる。
「あー、こりゃもうだめだな」
それを見た銀時が言う。

銀時が言うには、巣立ちの時期に雛が地面にいることはよくあるが、その場合は羽が生えそろっている。 だから、この雛は、高杉の言うように巣から落ちてしまったと考えられる。
巣から落ちても親鳥は雛の面倒を見ようとするが、それでも、雛が外敵から身を守ることは難しく、たいていの場合猫などに喰われてしまう。
では、人が育てればいいと言う桂の提案にも、餌の虫取りが大変で結果殺しかねないと言い、巣立ちの時期に親鳥から教わるべき事を教わらないと、 自然で生きていくことは難しいのだ、と付け加えて首を振った。

しょげる桂を見かねていらついた高杉が、だからといってこのまま放っておくのか?と銀時につめよったが、銀時は<自然の摂理>を持ち出してにべもない。

桂も頭では銀時の言うことを理解しているのだが、気持ちが収まらない。
だから、「巣に戻す」と無茶を承知の上で言い出したのだ。

内心では、危ないことなどしたくもないしさせたくもない。
何より自然のことは自然のままにしておくのが一番だと銀時は思うのだが、一度言い出したらきかない桂の性格が解っているだけに、反論は控えておく。
ちらと目を合わせると、高杉も同じような考えに到達していることが解り、お互いに小さく肩をすくめた。
幸い、巣はそれほど高い位置にはなく、三人で力を合わせれば、身の軽い桂なら桜の枝を折ることなく側まで行くことは何とか出来そうに思えたので。

一番体の大きな銀時が馬になる形で土台になり、高杉が懐に雛を入れた桂を肩車して、ふらつきながらもなんとかその上に乗った。
桂は懐の雛に注意しながら、手近な太い枝を伸ばした両腕でしっかりと掴むと細い腕に似合わない腕力で己の体を枝の上まで引きずりあげ、バランスを崩すことなく枝にまたがった。

「大丈夫だ!巣も近いぞ!」
桂の嬉しそうな知らせに、土台が一気に力を抜き、地面に打ち付けられた高杉が文句を言おうと口を開いたが、 ぜいぜい言いながら地面に転がったままの銀時を見ると何も言えず、自分も転んだままの姿勢で頭上にいるであろう桂の姿を探した。

「ほら、おまえの兄弟達の声が聞こえるであろう?もう少しの辛抱だからな」
桂の雛を気づかう優しい気な声が聞こえてくる。
銀時も高杉も変声期を迎えたのに、桂の声はまだ幼い。

「気ぃつけろよ、おまえ意外とドジだかんな!」
銀時が言い終わらないうちに、わっという小さな悲鳴が降ってきた。
その声に銀時も高杉も急いで身を起こしたが、すぐに
「大丈夫、雛がじっとしてないので落としそうになっただけだ」
落ち着いた声が二人を安心させた。

「脅かすなってーの!」
「全く、心配させやがるぜ」
口々に悪態をつきながらも二人は、それでも、心配そうに桜の木を見上げ続けた。
しかし、
「戻せたぞ!」
すぐに嬉しそうな桂の声がして、銀時と高杉はそれぞれに安堵のため息をついた。

「降りる時の方が危ねぇから慎重にな」
「落ちたら受け止めてるぜ、ヅラぁ!」
「やかましいわ!雛が驚くだろうが!」
「てめぇが一番やかましいですぅ」

三人は、一仕事を終えた後の充実感と喜びで、明るく軽口を言い合った。

なのに、あとほんの少しで桂の足が地面に届くというその時、足をかけていた桜の瘤の表皮が剥けて草履が滑ったのか、桂があっと言う間もなく姿勢を崩した。 油断していたのは誰も同じで、銀時や高杉が駆け寄ろうとした時には、桂はそのまま滑り落ちてきてしまった。

幸い高さもなく、幹に添うような形で滑り落ちた為、一見して大した怪我などなさそうで、慌てて抱き起こす銀時の腕の中で桂はうっすら微笑み
「おれは大丈夫、ちょっと右足を捻っただけのようだ」
はっきりした声で言った。

しかし、それを聞いた高杉が桂の袴の裾をめくり、白い足をそっと持ち上げて具合を見ようとした時に激痛が走ったらしく、うっと短いうめき声を上げたかと思うと、そのまま意識を失ってしまった。

その後のことを銀時は殆ど覚えていない。
桂がいつ意識を取り戻したのか、渓流釣りには行ったのか行かなかったのか(普通に考えれば行かなかったはずだが、あのころのおれたちにそんな分別があったかどうかー?)。
みんなで助けようとしためじろの雛がその後どうなったのかも。

覚えているのはただ、意識を失っている桂を背に歩いたこととその軽さにあきれ果てたこと。
そしてなによりもその先長い間銀時を苦しめさいなむこととなる、おのが腕の中で意識を失う間際の桂のうめき声とその表情。

それは正に、陶然として身悶えるひとのそれだったから。


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