「銀時、銀時」 遠くの方から、誰かが呼んでる。 ありゃヅラの声だな。なんでこんな朝っぱらからあんな元気なんだあの莫迦は。そっか、先生に会いに来たんだな。 今日の七夕祭りとやらにやけに入れ込んでたみてぇだし。何かお手伝いすることはありませんかー的な?お利口さんは違うねぇ。ま、おれには関係ねぇけどな。 そんなことを思いながら、銀時は夢うつつ。心地いい布団の中であっちへごろごろ、こっちへごろごろ惰眠を楽しんでいたのだけれど。 ぱったーん!! 勢いよく障子が左右に開けられるや否や、桂の声が文字通り飛び込んできた。 「起きろ銀時! 水だぞ、水!」 「うっせぇ! んなでけぇ声出さなくても聞こえてるし!」 「なんだ珍しいな、貴様が起きているとは」 「違いますぅ、起こされたんですぅ。どっかの誰かさんが騒々しいせいでな!」 む、そうかと桂は言い、 「貴様が自発的に起きているはずなかったな」 どこか嬉しそうに続けた。 「謝るんじゃねぇのかよ!?で、なんでそんな嬉しそうなんだよ!」 「貴様がこんなに朝早くから起きていたりしたらそれこそ大事件。雨が降る。せっかくの七夕にそれは困るではないか」 失礼なことを真顔で言うかと思えば、 「起きてなくてよかった、ありがとう銀時」 礼を言われた。 こいつの考えることはマジでわからねぇ。 「で、こんな朝早くからなんの用だ? 先生はいねぇぞ。いたらとっくに布団から出てらぁ」 呆れながら問えば そうではないと首を振りながらも 「いらっしゃらない、だぞ銀時。それに出てる、ではなく出されてるの間違いであろうが」 きっちり咎められた。 「第一、先生にお会いする時におれ一人で来るものか、晋助が拗ねるであろうが」 「ああ……」 晋助ー高杉を拗ねさせたら、それはもう”ねちっこい”のだ。泣きそうな口元をグッと引き締め、恨みがましい目でじっとりと睨まれたら誰だって自分が悪者になった気がして居たたまれなくなるだろう。 これまで幾度となくばつの悪い思いをさせられている銀時は、そんな高杉の様子を思い出してうんざりしながら桂に相づちを打った。 「じゃ、おれに用?」 何故か桂は背筋をことさらに伸ばし、 「そうでもなければまっすぐこの部屋にくるものか」 鹿爪らしく言う。 「なんでそんな偉そうなんだよ。とっととその用とやらを言いやがれ」 「言ったであろう? 水だ、銀時、水を持ってきてやったぞ」 そういや、こいつそんなこと言いながら飛び込んできたっけ。 桂がごく自然に竹筒を目の前に突き出すが、銀時は布団の上、桂は外と距離がありすぎる。届かない。 「てめ、巫山戯てないでちゃんと渡しに来やがれ」 「無理を言うな、貴様がここまで取りに来い」 「無理ってなにがよ?」 「ここまで来れば判るぞ?」 判るって?なにがだよ? 桂に上手く煽られたことに気付いても後の祭り。不思議に思ってしまった時点で銀時の負けが決まった。 仕方がないのでのそのそと這い蹲るようにして障子際まで行ってみる。と。 「うわ、おま、なにやらかしてきたんだ」 側に行くまで縁台に隠れて見えなかったが、袴や草履、袂までもに泥撥ねの跡が点在しているではないか。いつもきっちりと身なりを整えている桂にしては非常に珍しい。 「朝露を集めてきたのだ」 「朝露? 少ねぇのはそういう訳か」 竹筒は銀時に揺すられて小さな可愛い音をたてている。 「大切に扱え銀時! 神様の水だぞ!」 「ヅラ、そんな寝言は寝てても言うもんじゃねぇぞ」 「ヅラではないし寝言でもないわ!」 「でもよぉ……」 「神様なんてしろものを持ち出されて、信じろと言われてもそりゃ無理ってもんだ。大体おめぇもさっきこれは朝露だって言ってたじゃんか」 「大事に使えよ!」 「使えって、なにに!? 聞いてる、ねぇ!? ちょ、こたえろやヅラぁ!!!!!」 困惑しきった銀時がそう叫んだのは、その問いに答えてくれるはずの桂が「次は晋助の所だ!」と慌ただしく駆け出した後だった。 「マジでか」 銀時は驚いて、箸を取り落としそうになった。 所用を終えた松陽と遅めの朝食を摂っている時、銀時は小太郎が朝早くから尋ねてきたことを告げた。もちろん、竹筒の水のことも。 なぜ朝露なんかをわざわざ押しつけに来たのか、なぜそれが神様の水なのかさっぱり解らない態の銀時に、松陽が、 「神様の水、確かにそう言われていますね」 あっさりこたえたからだった。 「ただの朝露だろ?」 「ええ。ただ、里芋の葉に溜まった朝露ですね」 「里芋? どこが神様の水なんだか」 「里芋の葉は神様から授かった天の水を受ける傘ーと言いますからね」 間違ってはいませんよ、と松陽。 「芋でも神様でもいいけどよ、なんでそんなもん」 銀時はボリボリと髪を掻いた。 「時々あいつのやること全然わかんねぇよ」 「今日は七夕ですからね。里芋の葉に溜まった朝露を集めて墨をすり短冊に願い事を書くのですよ。後であなたにも上げましょうね、短冊」 「なんで?」 「なぜかは私も知りませんが、そうすれば文字が上達するともいいますね」 「それだけ?」 「それだけ、とは?」 「神様の水なんだろ? 願いが叶う、とかじゃねぇの?」 「おや、銀時は神様を信じてましたっけ?」 わざとらしく驚いたような顔で訊かれて、銀時は首を横に振った。 「信じてねぇよ。いたら戦なんてあるわけねぇし」 本当は七夕祭も桂やみなほど乗り気じゃない。だから、布団でごろごろしてた。叶えても貰えない願掛けにどんな意味がある? 黙りこくって物思いに沈む銀時だったが、松陽の穏やかな声で我に返った。 「神様を信じる信じないはあなたの自由です、銀時」 けれどーと松陽は言う。 「これだけの朝露を集めるのがどれだけ大変かは解りますね」 無論、解らないはずない。だから、解らない。 「高杉とかに手伝わせりゃよかったのに」 自分にーとは面映ゆくて言えなかった。が、実はそれも不思議だったし、不満だった。 「晋助は風邪をひきやすいたちですし、どう見てもこのお祭りに乗り気ではなさ気なあなたを誘うのはさすがに躊躇われたのでしょう」 さらりと自分のことまで言われてドキリとしたが、乗り気でないのがバレていたことにもっと驚いた。 「友人とはいいものですね」 先生はそんな自分を見て、ただニコニコしていた。 その日、銀時は約束通り松陽から短冊を貰った。 本当は色によって書くべき願い事があるようですが、そんなことは気にせず好きなのを、というのが松陽の弁。 差し出された五色の中から銀時が選んだのは、綺麗な青い色。 神様の水、というより桂がくれた水で丁寧に墨を擦りながらふと見上げた空によく似ている。 さて、何を書こう? 早くしねぇと……。 「銀時ー!」 遠くから桂が呼ぶ声が聞こえてきた。 ぱたぱたと小気味よい音をたてている足音は二人分。桂と、高杉と。 やっぱりな。 もうすぐ、桂と高杉の二人には珍しく文机に向かう銀時の姿が見えるだろう。 そうして銀時には、手に手に白と赤の短冊を持って駈けてくる二人が。 ほら、もうすぐそこに。 |