「似るを友?」


自分は何故、こんな事をしているのだろう。
自室で一人きりの晋助はそう思っていた。


この朝のことだ。晋助は今日塾へは行かないと宣言した。頭が痛いのでー少なくとも女中頭や、話を聞いて珍しく様子を見に来た母にはそう言った。
大人たちは大騒ぎの後、昨日の俄雨に濡れたのが悪かったのだろうと判断を下すと、晋助を早々に自室へそして寝床へと追いやったのだった。
よかった、と晋助は安堵した。これで今日一日は嫌な思いをしないですむのだ。あの坂田銀時のせいで、と。


晋助の敬愛する師がその坂田銀時という子どもを塾に連れてきたのはふた月ほど前。ぼさぼさの白い髪よりも生気のない両の目が、どこか薄気味悪かったことを覚えている。 他の子どもらも晋助と似たり寄ったりの印象だったらしく、遠巻きにするばかりで自ら話しかけようとする”つわもの”はいなかった。ただ一人、小太郎ー桂小太郎ーをのぞいては。
もともと小太郎は目新しいものや変わったもの、可愛いものなどに目がない方だったが、こともあろうにあのぼさぼさの白い髪を「綺麗だ」と大絶賛したのだった。
あっけにとられて賛同は勿論、否定も出来ないでいたのは晋助たちだけでなく、そう言われた当の本人も似たような心持ちであったらしい。 どんよりと見えた瞳に微かに生気が浮かび、ポカンと口が開かれたから。
ただ、先生だけが微笑んでらした。

以来、どれほど無視されようが、鬱陶しがられようが、邪険にされようが、小太郎は「銀時」に付きまとい、構い倒した。
当初は晋助もそんな小太郎の行動を歓迎していた。それまでは主に自分だけがまとわりつかれていたのだ。そんな状態が鬱陶しくないはずがない。 幸か不幸か、坂田銀時への興味をもったことで小太郎が晋助への干渉を全く止めてしまったわけではなかったが、それでも何かと世話を焼かれ、 一挙手一投足にまで注視されるようなことはなくなった。少なくとも半分くらいは、あの銀時にむけられるようになったのだから。
やれやれ。助かった。
それが晋助の本音。
危ないことをしたと言って咎められ、少しの怪我で大げさに騒がれることがぐっと減り、これまでにない開放感のただ中にあったのは間違いない。

なのにー。
いつの頃からだろう。
小太郎が「銀時」と呼ぶ度に、胸の奥や胃の腑がちくりと痛み出したのは。
ホッとしているのは嘘じゃないのに。
小太郎に構われ始めた銀時本人がちっとも嬉しそうではないのも知っているのに。
まるで氷柱で出来た縫い針でほんのぽっちり刺されたようだった小さな小さなその痛みが、日に日に大きくなっていくのは何故だろう。
解っているのはただ、坂田銀時が現れてから小太郎だけでなく自分も変わってしまったことだけ。
敬愛する母に嘘を吐き、あげく尊敬する師に会えない1日を過ごすことになっているのがその証。
以前の自分ならこんなことは考えられなかったろう。
むしろ、どれだけ周囲に押しとどめられても無理を押して塾へ行こうとしていたのに。珍しく素直に塾を休んだことで、 女中頭も母も聞き分けがよくなったと今日の晋助を褒めた。が、そんなことは全然なくて、むしろ聞き分けが悪いからこそ駄々をこねているだけだということを実のところ晋助は知っていた。 構われすぎるのは嫌だ。かといってその代わりにほかの誰かが構われるのが嫌だなんてただの我が儘なのだ、と。
が、あいにく心が解ってくれない。だから胸の痛みも治まらない。
今だって、思い出すだけでほら、また胸が痛み出した。
銀時のことや小太郎のことなんて考えたくないくせに、こうやって考えてしまう自分が嫌だ。
考え事が出来る時間があるのが悪いと思っても、ゆっくり休めるようにとの配慮で雨戸さえ閉じられていては書に逃げることも出来ない。
正直、暇で仕方がない。退屈だからどうしても余計なことを考えてしまう。
晋助は無理矢理意識を小太郎たちから引きはがし、全然別のことに意識を集中させようとしたが、そのどれもが余計に気落ちさせるようなことばかり。

この朝に開いた朝顔はもう萎んでしまっただろう。
あと少しで食べられそうだった棗は?ほかの誰かに見つかったりしないで、まだ自分を待っていてくれるだろうか?
川面をキラキラと光らせるめだかの群れが泳ぐところも今日は見られない。手拭いを持っていけばいくらでも掬えただろうに。


こんなことなら、塾に行けばよかった。
晋助は後悔していた。どうせ治まらない痛みなら、退屈でない分ここでじっとしているよりはマシだった。そうじゃないか?
せめて、小太郎が見舞いにでも来てくれればーとほんの少し期待したが、かなわないことは解っている。
仮に小太郎が足を運んできてくれたとしても、余所様の大事な坊ちゃんに病を伝染しでもしたら一大事とばかりに大人が丁重に断ってしまうに違いない。なにしろ、相手はあの桂家の子息なのだから。
はぁ。
何度目かのため息を吐きながら晋助は大人しく眠りにつこうとした。眠れば、早く明日が来る。そうしたら少なくともこの退屈とはさよならできると己に言い聞かせながら。


もう少しで晋助が深い眠りにつこうとした時、雨戸を打つ音が聞こえた。
最初は控えめなとん、だったのが次第に大きなどん、へと変わっていく。
小太郎!?
晋助の意識は一気に覚醒した。確かに、音がしてる!
転げるようにくれ縁に出、そっと雨戸を開けてみると思った通り小さな人影がある。
「小太郎?」
小さく呼べば
「違う、おれ。銀時」
ぶっきらぼうな声が返ってきた。

なんで?なんで小太郎じゃなくおまえなんだ!?
不思議に思うあまり、そして暇を持て余していたせいで、声も聞きたくないと思っていた相手だということも忘れ、晋助は雨戸を確り開けると、多分初めて坂田銀時とまともに対峙した。
「おめぇが心配だと言ってヅラが煩くて仕方ねぇ」
晋助がなにか言うより先に銀時が口を開いた。
「ヅ、ヅラ?ヅラって?」
何のことか解らず聞き返した晋助に、銀時は淡々と返す。
「桂。桂だからヅラ」
「ひょっとして小太郎のことか!?」
目を丸くしている晋助をよそに、銀時は軽く頷いただけで一方的に話し始めた。
「おめぇが塾を休むのはせいてんのなんとかとかわけのわからねぇことを言って煩せぇったらありゃしねぇ」
「青天の霹靂か」
あー、多分それ。そう言うと銀時は、どことなく面倒くさそうに話を続けた。
「見舞いに来たもんのー
「……小太郎が来たなんて知らなかった」
寝てたんじゃねぇの?軽く言われて、多分、と晋助はあやふやに頷いた。
「うつしちゃ悪いとかでおめぇに会えなくてよー
ああ、やっぱり。
がっかりする晋助に
「今度は悄げちまって目も当てらんねぇ」
「なんで、そんなこと知ってるんだ?」
「無理矢理引っ張ってこられたんだよ、おれも。ーったく、あの莫迦『晋助もおまえに会いたいはずだ』ってンな訳ないじゃん」
どう応えていいか解らない晋助にお構いなしで、銀時が続ける。
「おめぇ、おれのこと嫌いなのに」
「……別に、嫌いってわけじゃ……」
晋助にすれば小太郎とセットでない銀時など、正直眼中になかったわけで。けれど、さすがにそのまま口には出来ず咄嗟に出した言葉に銀時が目を丸くした。
「嫌いになれるほどおまえのことよく知らないし……」
素直に言った。
それは本当だ。だから、晋助は今の今まで銀時がこんなによく喋る奴だとは知らなかったし(しかも些か口が悪いようだ)、眠そうな目で意外と周囲を見ているらしいことも初めて知った。
けれど変に誤解されても困ると気づき
「だから好きでもないけど……」
慌てて付け加えた。
「……おまえ、変わってんな」
おまえに言われたくない!と思ったが、晋助は黙っていた。今は、銀時の話が聞きたい。小太郎がどうしたって?
「会えなくて、悄げて、まだ騒いでる。煩くて仕方ねぇからー
銀時はどこか困ったような笑ったような表情で
「真っ直ぐこっちに来てみた。部屋の場所はヅラから聞いて大体知ってたし」 と続けた。
「……なるほど」
ならば追い返される心配もないわけだ。なら、小太郎も来ればよかったのに、そう晋助が言うと
銀時は頭をボリボリと掻きながら「莫迦だからな、あいつ」と。
「せっかく気遣っていただいたものを無駄?無碍?なんかそんなもんにするなどあり得んってぐずぐす言っててよ。だからちょっと待ってろって置いてきた」
けどー。
「元気そうじゃん。とても誰かにうつしそうな病とは思えねぇ」
銀時はニヤリと笑った。
「あ、ああ。まぁ……もう大丈夫だ」
「あんなのがいたらたまにはさぼりたくなる気持ちも解るけどな」
「あんなの、とは?」
「決まってンだろ、ヅラだよ、ヅラ。同い年の母ちゃんなんて気持ち悪ぃだろうが」
「母ちゃん……」
「そ、放っとけっての、おれのこともおまえのことも。ほんとうざいったら」
やっぱり。
こいつも迷惑そうだったもんな。おれと一緒だ。
なんとはなしにホッとした晋助だったが……でも、少しひっかかった。
「なぁ……そのうざい同い年の母ちゃんの為にわざわざここまで来たのか、おまえ?」
呆れてついた晋助の言葉に、なぜか銀時が真っ赤になった。
「だーかーら言ってんだろ!煩くてたまらねぇって。別に好きで来た訳じゃねぇし?」
うわぁ。
こいつ赤くなってるよ。
ひょっとして小太郎に懐かれて迷惑そうにしてるのって……照れ隠しとか?
うわぁ。
晋助は改めてもう一度驚いた。というより、呆れた。
「なに?そーゆーおまえだってあれだろ、ヅラ母ちゃんに来て欲しかったんだろ?あ、まさかそれでわざとさぼりやがったとか!?」
「ち、違う!おれはー
「え、なに、高杉君、顔真っ赤なんですけど?ひょっとして図星?」
「え!?嘘だろ!?」
「嘘じゃねぇし。それにさっき『小太郎も来ればよかったのに』って言ったじゃん。やっぱあれ?同い年の母ちゃんに世話焼かれてぇの?」
「違う!世話を焼かれてやってんだよ!おまえと一緒にするな!」
「は?違わねぇよ、おれもー
そのまま口喧嘩がつづくところだったが、
「銀時?そこにいるのか?」
低く抑えた声がした。小太郎だ。
瞬間、銀時は口を噤み、晋助もそれに倣った。
「あまり遅いので気になって様子を見に来たんだが……晋助には会えたのか?」
言いながら近づいてきて、銀時と一緒にいる晋助の姿が目に入ったのだろう、「晋助!」と実に嬉しそうな声を上げた。
それからの小太郎は速かった。
あっという間に二人に駆け寄り、
「銀時、おれに替わって晋助を見舞ってくれてありがとう」
「晋助はいつの間にか銀時と仲良くなっていたのだ?おれはちっとも気付かなんだが……でも、それではこれからは三人で仲良く遊べるな」
きらきらした瞳で真っ直ぐ言われては、ついさっきまで煩いだの世話を焼かれてやってるだと競うように豪語していたはずの二人も、気まずさと申し訳なさで赤くなったり青くなったりしながら 互いに顔を見合わせることしか出来ない。
(おい……さっきの話)
(内緒だぞ。裏切るなよ、銀時)
(てめぇこそ)
せいぜい目と目で牽制し合うのが関の山。
「で、もう具合はいいのか晋助?先生も心配しておられたぞ。明日は塾に来られそうか?」
そんな二人の様子に全く気付かない小太郎は、すぐ真顔に戻ると晋助に問うた。
「ああ、もう大丈夫だと思う」
晋助の言葉に小太郎は喜びをいっそう顕わにし、銀時は……少し意味ありげな笑みを浮かべた。
くそ、銀時の奴。
でも、こういうのも悪くないと、そう晋助は思っていた。ひょっとすると銀時とは馬が合うのかもしれない。それに、二人とも同じ秘密を持っている。小太郎に知られては困る秘密を。
だからー
晋助は小さい咳払いを一つして
「棗がなってるとこを見つけてるんだ。明日、三人で採りに行かないか?」
銀時に笑って見せた。
これで手打ちにしよう、銀時。
晋助の意図を正確に読みとった銀時はにやりと笑ったし、何も知らない小太郎もまた楽しげに笑った。
そんな二人を見て、晋助も一緒になって笑った。
今度は正真正銘、本物の笑いだった。




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