「心悸」後編ー桂と高杉ー



もうすぐ今日が終わる。


けれど、いつもの時刻を知らせるアラームはもう鳴り響くことはない。


晋助様はもうあたしを必要とはされていない。



身代わりでも良かったのに。

愛なんてこれっぽっちもなくて良かったのに。


ほんの一時でも晋助様の温もりを感じていたかった。

与えて下さるのなら苦痛でも幸せだったのに。


今、晋助様の部屋にいるのはあたしじゃなくて桂だ。



桂があたしたち奇兵隊の居場所をどうやってか突き止めた挙げ句、一人でのこのことやってきた時、こいつの頭はおかしいのではないか、とあたしはマジで思った。


莫迦な奴、と。

紅桜の件は記憶に新しいはずなのに。

ありもしない絆に縋ろうとする、愚か者。


どうせ晋助様に捕まって、殺されるか春雨に突き出されるかの運命なのに。


けどー


憎い。

桂が、憎い。



あたしは晋助様のお叱りを受けるのを覚悟で、今日も又お部屋の前に来てしまった。

お部屋には近頃では明かりがついていて、ドアの下から細い光の筋が廊下を這っている。

いつもなら、それを確認しただけで、あたしは充分に打ちのめされ、すごすごと部屋に帰っていた。


けど、今日は。


あたしはまず、全神経を耳に集中させた。

晋助様のお声を、桂の声を聞きたい。


馬鹿なのは百も承知。

聞こえてくるのはあたしにとって辛いものでしかないのは火を見るよりも明らか。


それでも、知りたい気持ちが抑えられなかった。

晋助様の本当の想いを。

なぜ、桂がここに来たのかを。

ああ、聞こえる。

荒い息づかいだ。

あれは晋助様だろうか?

あたしは晋助様の息づかいなんて知らない。

聞いたことがない。

けど、今聞こえたのは確かに…そう思うとあたしの下肢がじぃんと痺れを感じ始める。


その荒い息づかいに混じって聞こえるのはあえかな息づかいと喘ぎ。

…桂だ。


間違いない、お部屋の中では今、正に晋助様が桂を抱いている。


あたしにはお許し下さらなかった喘ぎも、桂には許されているんだ。



「…ヅラぁ」


晋助様のお声がはっきり聞こえてくる。


「どんな気分だ?こうやっておれに抱かれるのはよ?」


桂は答えない。


でも、あたしに聞き取れないだけかも知れない。


「どうした?何故なにも言わねぇ?」


晋助様のお声は少し苛立っているように聞こえる。

こんなお声も聞いたことがない。

桂はこうやって晋助様を苛立たせることも出来る。


そして、この晋助様のお言葉で、やはりさっきは桂が答えなかったのだと判った。

あたしは桂が今度こそ何か言うのではないかと耳を澄ましたが、やはり何も聞こえてこない。



「ちっ…」


苛立ちを隠そうともなさらない晋助様の舌打ちが聞こえてすぐ、桂の叫びがハッキリとあたしの耳を刺し貫いた。

それはひどく甘い悲鳴で、あたしを一瞬にして心底から凍えさせた。


晋助様…。


あたしは誘惑に打ち勝てず、ドアを薄く開けてみる。

段々足元の廊下を這う光の帯が太くなっていく。


おそるおそる更に覗いたお部屋の中では、晋助様が逞しいお身体をさらされ横たわってらっしゃる。

あたしの前では決してお着物を脱がれることはなかったのに。


その下に、やけに白い身体が組み敷かれていて晋助様の動きに従うように時折弓なりになる。


「どうした?みっともなく泣き叫んで助けを呼んでもいいんだぜ?それでも銀時にゃ聞こえねぇけどな」


晋助様は桂の薄い胸に埋めてらっしゃったお顔を上げると、そう呟かれた。

桂は喘いだり、身じろぎをしたりはするものの、やはり晋助様のお言葉には一切答えようとしない。


「それとも、銀時からおれにのりかえるつもりでここに来たのか?」


「莫迦、か」


初めて桂が答えた。

切って捨てるように短い答え。


「っ…あっ…貴様…そ…んなに銀時に…ふっ…あ、会いたいの…か?」


次に、喘ぎの間に聞こえてきた桂の声にはどこか揶揄するような響きがあって、あたしはむっとする。

とても命を脅かされている虜のものとは思えない傲慢さだ。


それにしても訳のわからないことをいう男だ。

晋助様が坂田に会いたいだなんて。


「何言ってやがる?」

「こ…うやっ…て、い、つま…で自分…っあ…ごまかし…つもり…だっ…あぁぁっ」

「だから、何が言いたい?」

「おれなんかを想っているふりをするのはいい加減に止めたらどうだ、と言っている」


桂の言葉に晋助様が動きを止められると、桂もまた喘ぐのをピタリと止めた。


「意味が解らねぇなぁ…」

「解らないふりをするのもよせ。貴様が欲しいのはおれではなく、銀時だろうに」

「…何を言うかと思えば…くだらねぇ…おれが銀時を?…あり得ねぇ…」


晋助様はくくく…と低く笑われる。


「欲しい…と言う意味が違ってはおるがな」


桂は怯まず話を続ける。


「貴様が長年欲していたのはおれなどではなく、銀時の立ち位置だろうが?」


桂はのそりと上半身を起こし、晋助様とにらみ合う格好になる。

ここから見える背中は華奢で、白い肌に縦横に傷が走っているのがうっすら判る。

一番大きくて紅く、いかにも真新しげなのは岡田のつけたものに違いない。

桂の呼吸に合わせて蠢いているようにも見える。

不気味で、それでいて何故か艶めかしい。


「貴様は、銀時のようになりたかっただけなのだ、晋助。おまえは銀時の持っていたものが欲しかったのだろうに」

「…あいつが何を持っていたって?」

「お前が欲しかったもの全てだ」

「噴飯ものだぜ、ヅラぁ。生憎おれはあんな奴なんざ眼中にねぇ。違うな、おれはむしろ奴が腹立たしい!」

「…まあ…よい…そういうことにしておいてやる…。奴が貴様と道を違えた今となっては、貴様の言う通りかもしれんな…」


しばらくの沈黙の後、桂は自ら身体を横たえ「こい、晋助。おれくらいは貴様の好きにさせてやる」と言って晋助様の方に両手を差し出した。


晋助様は、何かお言葉を詰まらせたようだ。

けれど、そのまま桂に誘われるままに、その腕に身を委ねられる。


そのお顔までは、あたしからは見えない。


いつものように口の端をほんの少し上げるようにして微笑まれているのか、それとも私などが見たこともないようなお顔をされているのだろうか、それとも?



…知りたい!



「…ヅラぁ…」

「…よい、何も言うな…」


桂はそれだけ言うと、晋助様の頭を自分の胸に抱え込み、白い脚を自ら晋助様の脚にからませた。


あたしにはいつもと変わらないようにしか聞こえなかった晋助様のお声。

けど、桂はそこに何かを聞き取ったのだろうか。

それはとても優しげな声音だった。



「もう…いいんだ…晋助…」


桂のその言葉が合図だったかのように、四本の脚がもつれるように絡み始め、妖しくのたうちはじめる。



その光景に、あたしは逃げるようにその場を立ち去るしかなかった。


今聞いた話は何だったんだろう?

今見たものは何だったんだろう?

桂は一体なにをしに来たのだろう?

あの二人…、いや、三人の関係はなんなんだろう?


わからない。


ただ、あたしには、晋助様と同じくらいに桂が怖ろしい男に思えた。