「流水意なし」


「銀時くんいますかー?」

居留守を使えればどれだけいいか。
今、この時だけでなくこの先もずっと。
そう思えども、身体と心が頭を裏切る。気付いたときには立ち上がり、玄関先にいそいそと向かっているていたらく。

「んだよ、ヅラか」
知っていながらめんどくさそうに言うのは何度目だろうか。
「ヅラじゃない、桂だ」
返される言葉もまた。

「攘夷ならやんねぇぞ。面倒くさい奴はとっとと帰れ」
半分本当で、半分は嘘。
「では、仕方がない。たまたまうまい饅頭が手に入ったのだがー」
全部、嘘。
手みやげはわざわざ用意されたものだし、帰る気はさらさらないだろう。
「先にそれを言えっつーの!」
手みやげの甘みにかこつけて、やっと桂を招き入れる。だって、言い訳が必要だ。
ヅラなんてどうでもいいけどよ、せっかくの饅頭を断るわけにはいかねぇじゃん?ってやつ。

「子らはどうした?」
桂は外した風呂敷を手際よく丁寧に畳んでいる。ぬめるように白い腕が袖口から見え隠れする度、心穏やかでなくなりながらも新八の姉、お妙に誘われて紅葉狩りに出かけていることを教えた。
なにが楽しんだか、と憎まれ口を付け足すのも忘れなかった。
「今日なら濡れ紅葉だな。貴様も行けばよかったのに」
相変わらず風流を解さぬやつめ、と桂も憎まれ口を叩く。
どうせなら、紅葉なんかより別のもんを濡らしてぇよ。
昔ならいざ知らず、今となってはそんな軽口が許されるはずもなく、言葉が勝手に飛び出さないよう栓をするように、差し出された饅頭を口に放り込んだ。銀時に差し出されたその饅頭は、否、桂の手は、かすかに煙草の臭いをまとっている。 桂は気付いているだろうか?立ち上っているはずもない紫煙に燻されて、銀時の目がしくしくと疼いていることを。そして、痛む目を瞬かせながらも、冷酷なまでの白さを誇る首筋に咲いている小さな紅い徒花を見逃さなかったことを。

当然。
むしろ、今日の来訪の目的はそれに違いないと銀時は知っている。

やってくれるじぇねぇの、ヅラぁ。今度は大串くんたぁ、嫌がらせにも念が入ってるってもんだ。一体全体、どうやって誑し込んだんだ?
言えない軽口がまた一つ。
呑み込んだそれはこの上もない苦みとなって、銀時の喉から胸を焼け爛れさせ、臓腑を抉られるような痛みを与える。
こんくれぇ、なんでもねぇよ。
想いを告げられず秘め続けた、あの気の遠くなる様な年月に慣れ親しんだのと変わらぬ痛み。耐えることは容易いが、 昔と違って望みの欠片もない現実とどう折り合いを付けていくかが当面の大問題。
落花枝に返らず、破鏡再び照らさず。断腸の思いで手放したお宝が、気がつけば手の届くところにある現実。自業自得とはいえ、切ないねぇ。

「どうした、やけに大人しいではないか?」
心配そうに銀時に向けられた桂の瞳は、そのまま飾り物に出来そうなほどに澄んでいる。
騙されねぇぞ、この嘘つき。

「足りねぇんだよ、饅頭の4つや5つでおれが満足するかよ!」
「あ、貴様!子らの分まで喰ったな!」
「ヅラ君がケチだからいけないんですぅ。悪いと思うなら、今度からもっと大量に持って来やがれ!」
「ヅラじゃない、桂だ。あほか貴様!そんなに喰ったら身体に悪いだろうが!」
構って欲しくて、振り向いて欲しくて、叱って欲しくて執拗に桂をからかった幼い日。そんな銀時を厭うことなく真っ直ぐに向き合ってくれた遠い日々と同じ真剣な眼差しが、いまもここにある。

やべ、おめぇのこと信じてしまいそうになるじゃねぇか。
おれのことなんか、もうどうでもいいくせに……。

それでも、この二人の時間を少しでも引き延ばしたくて桂に茶をねだった。
しかたない奴だと手渡された湯飲みからまた、どこか銀時に似ているという男の匂いがほのかに香ったが、それはすぐ温かな湯気の中に霧散していった。

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