そは、心ななり  中篇


「銀時を怖じ気づかせたのはおれだ」
桂の苦い声が届くや否や、高杉は空を仰いだ。
なに言ってやがる。
桂から返ってきた答えはあり得なさすぎて、顔どころか全身が強ばっている気さえする。
要領を得ないどころか、置いて行かれたはずの桂が銀時を庇っているようにしか聞こえない。
「てめぇは!」
声を荒げるのを堪えられなかった。
「てめぇはいつだってそうだ!あの莫迦が供え物を喰って坊主がキレた時も真っ先に謝ったのはてめぇだったし、野郎が川向こうから遅くまで帰ってこなかった時も『所用でついて行ってやれなかった ばっかりに』とかほざきやがったよな!?それだけじゃねぇ、いつぞやのー
「……貴様はいつの話をしておるのだ、晋助」
名を呼ばれ、高杉は口を噤んだ。最後にこんな風に呼ばれたのはいつだったか。少なくとも戦に来る前だったはず。 懐かしい、というより気恥ずかしい。それも、とんでもなく。
「みんな子どもの頃の話であろうが」桂が困ったような表情で自分を見つめていた。 「よくそんな細かしいことまで覚えていたものだ」呆れたように言いながらも、口元には堪えきれていない笑みさえ浮かべて。
「……昔っからあいつはいい加減で、いつだっててめぇが尻ぬぐいをしてきたじゃねぇか」子ども時代の話を持ち出したことはさすがにきまり悪く、柄にもなく語気が弱くなったものの 「ガキの頃だけじゃねぇ!軍規は守らねぇ、協調性の欠片もねぇ、いつも勝手気ままでなに考えてるんだかわからねぇ……」ここぞとばかり延々と日頃の鬱憤をぶちまけ続けたが、
「貴様が人のことを言えた義理か」
軽く受け流された。
「おれから見れば、貴様も似たようなものだぞ。そもそも貴様が軍規だの協調性だのという言葉を口にするのが可笑しくてたまらん」
あっさりと笑う涼しい顔には、けれど、ひやかすような色は浮かんでいない。どうやら心底おかしんでいるらしい。
「おれのことはおいておけ。おれは逃げたりはしねぇ。奴とは違う」
本気で笑われては、そう言うのが精一杯。だが、今度ばかりは、桂もそうだな、と頷いた。
「おれは怖じ気づいたりはしねぇ」それに力を得て重ねて言った。
「ああ、そうだな」
そうとも。これから先何があってもそれは変わらねぇ。こんな馬鹿げた畜生界で失ってしまった師や、友や、同胞の無念を思えば、 残されたおれたちは修羅を燃やして戦い続けるしかねぇだろう。燃やし尽くす、その瞬間まで。
それがなぜ解らねぇ!
「あの莫迦野郎!」
怒りが再燃した。いや、そもそも沈静化などするはずもない。桂を前にしては尚のこと。
「だからおれのせいだと何度言えばー
くどい!
「てめぇは、奴の保護者でもなんでもねぇってことにいい加減気づきやがれ!奴の責任は奴にとらせろ!あいつが莫迦なのはみんなあいつのせいだ!」
「……ああ、そうだな」
これからはせいぜい気をつけることにする、と桂が大真面目に頷く。
これから。
なんて空虚な言葉だろうか。
よくこんなことが言える。おれたちにそんな未来が果たしてあるのか?あると信じているのか?
なら、こいつは銀時以上の大莫迦だ。
それに。
万に一つもないにせよ、そんな未来が仮に待っていたとして、こいつはまだ奴の世話を焼く気だとでも?
ーありそうで怖ぇ。
高杉は怒るのをやめてげんなりした。今や、目の前の幼馴染みを、痛ましいものでも見るような眼差しで凝然と見つめるのみ。
「晋助」
その視線をどこまでも真っ直ぐに受け止めたままの桂が、また名を呼んだ。
「銀時はな……」
ああ、聞いてやらぁ。奴がなんだって?
「おれが死ぬのが怖いのだ」
高杉を見据え、白い歯をこぼしてにこりと笑った。
ここで笑う神経が解らねぇ。
「全く不甲斐ない」もう一度、今度は口元だけで笑い、「おれが奴の信頼に足るほど強ければ」ぎゅっと目を瞑り、次いで、膝に置かれた両の手も拳に握られた。
自分を責めて、そいで笑ってりゃ世話ねぇな。莫迦が。
そう鼻で嗤おうとして、嗤えなかった。
桂の言うことが本当ならーいや、桂が言う以上、それが真実に違いない。とすれば、自身もまた銀時の失踪の遠因になっている可能性に気づいたのだ。
高杉は覚えている。己が左目を失った時、銀時から向けられた視線を。その大きく見開かれた紅い目を。
あれは、心胆寒からしめた者の恐怖の眼差しだった。
そんな面するんじゃねぇ、情けねぇ。
おれが片目をなくしたくらいでびびってどうするーと、あの時は銀時の小心さを嘲笑ったがー
どうやらおれは思い違いをしていたらしい。
あれ以来、銀時は怯え続けていたのだろう。己の手の届かないところで友を失う恐怖。否、むしろ、届くところで失う恐怖に。
そうか、奴はそんな風に思っていたのか。
側にいた友を守れなかった自分の非力さに打ちひしがれてー
は!ヅラ以上にとんでもねぇ勘違い野郎だったわけだ!
白夜叉様は、おれたちの命に責任を負ってらっしゃるつもりだったってぇか?
笑わせるな!
誰がてめぇなんぞに守ってもらいたがってるよ、大きなお世話だ!
闇雲に怒鳴り散らしたくなる衝動を、それでも高杉は抑え込んだ。
頭では絶対に許せない。身勝手な銀時の思い込みとその果ての行動を。
だが心では……。
ありそうなことじゃねぇか、いかにもあの莫迦の考えそうなことだ。
高杉は、これ以上ないくらいに納得してしまった。


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