諒恕 前篇

最近、桂の顔色が良くない。
銀時がそう思い始めて、どれくらいの日数が経ったろう。
古参兵を欠いた陣営で否応なく指揮官の大任を押し付けられた桂は、昼夜を問わず身を粉にして働いている。
指揮官として戦法を練り、陣を張る場所を決定し、隊を指揮しなければならない。
また、自らも一志士として、時に先鋒を、時に殿をつとめながら、日々天人達と戦ってもいる。
まさに八面六臂の活躍。
畢竟、誰よりも疲れて当たり前の日々。
休めーと言ってやるのは簡単だ。
だが、本人が諾と言わないのは明瞭で、一蹴されるのがみえみえだ。
高杉を含めて三人で使っている部屋でも、桂の布団だけがいつまでも来ない主を明け方まで待っていることも珍しくなかったし、結局使われず終いになることもしょっちゅうだ。

たまに早い時刻に床に入ることがあっても、熟睡出来ないようで、夜中に何度も寝苦しそうに寝返りを打ったり、魘されたりしている。
一体どうしたものか、と銀時は思う。

そう思っているのは銀時をはじめとするごく少数の気心の知れた者だけらしく、他の者は桂に縋ることでなんとか遣り過ごしているような連中ばかりだ。

何にだって目敏い坂本は秀吉ばりの人たらしの才能を買われて、今は生憎と大事な書簡を携えてあちこちの陣を飛び回っている最中。
適任とは言いかねるものの、その夜銀時はやむなく高杉に相談を持ちかけることにした。
同室の高杉は、流石に最近の桂の様子に気付いているはず。

「おい、高杉」
「なんだ、銀時、おれは明日早ぇんだ、眠らせろ」
「え?どっか行くの?」
「野暮用だ。指揮官殿の許可は取ってあるぜ」
わざとらしく”殿”を付けて言うのは、”ヅラ”呼びと共に、銀時と高杉が桂をからかうネタの一つだ。
元々、他聞をはばかる意味もあってそう呼び始めたのだが、あまりにも桂が嫌がるものだから、 ”殿”に特にイントネーションをおくことで、三人だけのーいや、高杉と銀時二人だけのー特別な冗談になっている。
「…その指揮官殿のことなんだけどよ」
「そんな訳でおれは4、5日は戻らねぇぜ」
「ちょ、人の話聞いてる?」
「だからよ、あんな天然馬鹿でも大事な指揮官殿だ。倒れられたりしたら士気に関わる。銀時、てめぇおれの留守中になんとかしろ」
え?
なんとかって…なんとか?
晋ちゃん野暮用ってひょっとしてわざとなわけぇ?
ええええええ?
困惑する銀時を置いてきぼりにして、高杉は背を向けてしまう。
その背中が、自分の仕事はもう済んだ、と語っているように見えた。
おいおい、おれぁどうすりゃいいんだよ …。


次の日、銀時の心配をよそに桂は部屋に戻らなかった。
次の日も。
その次の日も。

桂も、高杉も居ない部屋で床に就いていた銀時はついに焦れ、こんな夜中にどんな仕事があるのか様子を見に行こうと決めて起き上がった。
「指揮官殿はこんな遅くまでなにやってらっしゃるんですかっ!」
狭くはない陣中のどこに桂がいるのかさえ解らず、探し回った挙げ句やっと見つけた時は銀時自身が睡魔に襲われていた。
「指揮官殿ではない、桂だ。貴様こそどうした、こんな遅くに」
おそらく、他の者の安眠を邪魔したくないという配慮からだろうが、桂が居たのは竈元のすぐ外にある小さな薪小屋。
小さな蝋燭の光だけが頼りの暗い土間で、薄縁一枚を引いた上に端座して手紙らしきものを読んでいた桂は、その紙から顔を上げることなく短い返事を寄越す。
「ん、ちょっと心配なことがあって」
「腹でも下したか、それとも天人の気配でもしたか?」
「いや、おめえのこと」
「おれ?」
「最近、あんま眠ってねぇだろ。自分じゃ気付いてないかもしれねぇけど、顔色悪ぃぞ」
「やらねばならんことが山積だ。いたしかたあるまいよ」
「けどよぉ、おめぇが身体壊したらなんもなんねぇだろうが」
「おれはそんなにヤワではない」

桂は相変わらす銀時の方を見ない。

や、知ってっけど。
おめぇはそんなナリでも、実はおれよりもずっと頑健でいらっしゃいますがね。
「で、その紙は何?」
銀時は話を変えてみる。
自分でも手伝えるようなことなら桂を少しでも手伝ってやればいい。
おれが眠いのはいつものことだ。
「地図?」
「なに、それ。自信ないの」
「地図だ。多分」
「ちょ、見せてみ」

銀時は桂から紙を受け取り、蝋燭の火に近づけてみる。
「なに、これ?」
「だから地図だ」
ともすれば「燃すなよ」という桂の警告を忘れそうになるほど、銀時はその絵図を見ることに熱中し、つい火に近づけすぎては叱られた。
そこには今まで見たこともないような曲線や絵が描かれていて、しかも綺麗な色で彩色までされている。
「地図…みてぇだな。こんなのは見たことねぇけど」
「象限儀や道線法、交会法だけではこんな図は描けまいよ。幕命により作成された『東西蝦夷山川地理取調図』を見たことがあるが、それに少し似ている。 けれど、それよりもさらに精緻だ。だが、この辺りの細い線が何を表しているかが解らん。土地の高低か、地質か?『東西蝦夷山川地理取調図』にもあった気はするのだが、ここまで細かくはなかった」
「おめぇはなんでもよく知ってるね。ガキの頃から本の虫だったもんなぁ。前世は紙魚だな、絶対」
「変な感心の仕方をするのはよせ。では…やはり貴様も地図だと思うか?」
「ああ、間違いねぇな。で、どったのよ、それ?」
「坂本が送ってきたのだ。他にも何枚かある。どうやら天人が使っているもののようなのでおれにも読めぬかと思ったのだが…」
「ふぅん、手に入れた場所は?」
「坂本が裏に小さく書いているぞ」
「お、本当だ。しっかし読みづれぇな、この汚ねぇ字」
「坂本は達筆だ」
「そ?おれ文字読むのあんま好きじゃねぇからな」
でもーと銀時は桂の方を向いてゆっくりと説き伏せるように言う。
「こういうの、おめぇよりおれの方が多分得意だから代わるわ。ヅラ、一緒に部屋に帰っぞ。で、おめぇはもう寝ろ」
「そういう訳には…」
「なんにしてもこんな薄暗い所で目を懲らしているより、部屋で堂々と明かりを付けて見た方が見易いっしょ?おれならどんなに明るくても 寝られるし、とにかく戻っぞ」

渋る桂をなんとか言いくるめて、銀時はやっと桂を部屋の方に連れ出すことには成功した。
さぁ、こっからだ。
どうすっかなぁ。なぁ、高杉よぉ。


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