あっはっはー
朝っぱらから豪快な笑い声が響いてくる。
あー、うっせぇよなぁと思いながらも、銀時は不快な気分にはなれない。
上官達の怒声で叩き起こされるよりはよほどいい、と実のところ好ましくさえ思っている。
あいつの声だけ聞いてッと、まじ、ここが戦場だってこと忘れちまわぁ。
しゃーねぇ、起きっか。
寝穢く寝床に入ったままだった銀時は、その明るい声に誘われるように起き上がる。
よく笑い、よく喋る。見た目を裏切らない豪快さで、たちまち人を虜にする。
坂本辰馬はそんな不思議な魅力を持った男だ。


喧風 前篇

「どうした銀時、めずらしく早いではないか」
どすどすと足音をさせながら朝餉をとりに厨に入ると、すでに食事を終えたらしい桂が箱膳を手に声をかけてきた。
銀時は、内心その屈託のなさにホッとする。
あの日、古参兵を根こそぎ失った隊は、いつの間にか桂や銀時、そして高杉ら三人を指揮官に祭りあげることで どうにかしてそれなりの体裁を保っている有様だ。
とはいっても、それぞれの強烈な個性はいかんともし難く、自然、三人の中で一番中庸で篤実な桂が筆頭と目されている。
本人もそれを仕方ないと割り切っているのか、爾来、同じ若輩の身でなんとか結束力を保とうと躍起になる余り、時々酷く疲れているらしい桂に銀時は気付いていた。
「なんですか、お行儀の悪い。朝の挨拶もなしに」
けど。今日は朝から気分も良いらしく、近頃では珍しく眉間に深い縦皺を寄せていない。
そんな桂を久し振りに見たような気がするのだから、軽口の一つも出ようというものだ。
「顔もまだ洗ってないような奴に言われたくはないがな」
桂も同じような気分らしく、そうは言っても口調には全く棘が含まれていない。おまけに「おはよう」と律儀に言い添えもする。
「ん」
「なんだ、それは。人には挨拶を強要しておいて」
「強要じゃありませーん。礼儀を説いただけでぇす」
「む」
あ、いけね、唇とがらせちまった。朝っぱらから目にしていいもんじゃないですよ、これは。
「おお、こりゃあー可愛うてたまらん」
まるで銀時の心を読んだかのような大声に驚くと、案の定坂本の奴が桂を見てにこにこしている。
「可愛くない、桂だ」
「ほがなところが可愛いちや」
そう言ってまた豪快に笑う。桂もまたそれ以上反論したりはしない。これが坂本という男だ、とすっかり慣れてしまっている。
「ったく、朝っぱらから五月蠅ぇよ」
いつの間にか側に来ていた高杉も面倒くさげに言うが、なに、高杉とて坂本の笑い声が嫌いではないのだ。
そうでなければ、さっさと無言で他所に消えてしまうようなところが高杉にはある。
そもそも、上の指示に従ったまでとはいえ、ここに坂本を連れてきたのは高杉だ。

先だっての乾坤一擲の大勝負、銀時や桂たちは殆ど壊滅の憂き目にあったが、援軍を迎えに行かされた高杉隊はほぼ無傷で戻ってきた。 しかも遅すぎたとはいえ、ちゃんと援軍も連れ戻った。
人数こそ多くはないないが、中に猛者で鳴らした男がいるーと銀時も桂から聞いて知っていた。
その男こそが坂本だった。
押っ取り刀で駆けつけてくれたものの、助けるべき者はもうおらず倒す敵もいなかった。引き返すのも厄介だし、元々の人数が少なかったため、かつては大所帯だった銀時たちの陣にそのまま居着くことになった。
坂本の第一印象は、とにかく「デカイ男」というもので、みなから大きいと思われていた銀時よりも更に背が高い。
ともすれば愚鈍な印象を与えがちのはずの一重の大きな眼は、生命力に満ちあふれそれなりに輝いていた。
なにより、ここに来るまでの間に、高杉とそこそこ親密になるという驚くべき社交家ぶりを発揮し、桂たちを大いに驚かせた。
けど、一番こいつらしいのはーと銀時は思い出す。
そう、初めて坂本が桂と対面した時だった。
坂本は、どんぐり眼を更にまあるくして、「はて、どうしてこがなところに娘さんがおるんだ?」と言ったのだ。
桂は、最初坂本の言うことがよく解らなかったらしく、キョロキョロと辺りを見渡した。
周囲の者は、ハラハラしたり、ニヤニヤしたり、おろおろしたりしながら今後の展開を見守った。
「出るぜ、ヅラのアッパーがよ」
高杉なども面白がって成り行きを傍観していたが、坂本が「こじゃんと可愛い娘さんやか!わしの嫁さんにならんかね?」と叫んで桂にいきなり抱きついた時には、流石に唖然としていたものだ。
誰もが、桂に殴り飛ばされるであろう坂本の図を想像したその時、思いがけないことが起こった。
その時のことを思い出すと、銀時は今でも少しむっとするのを抑えられない。
あろうことか、桂は「おれは男だ!」と叫んだだけで、決して坂本に手を挙げようとはしなかった。
確かに、体躯の大きな坂本に羽交い締めされるように抱きつかれていては、殴りようもなかったのだろうけど、その時、桂がどことなく赤面しているように見えて、銀時は納得がいかなかったことを何よりも強く思い出す。

以来、坂本は「あの桂さんを女扱いしてアッパーをくらわなかった人」として(なんだそりゃ)、特異な尊敬の念を抱かれることになった。
銀時も坂本のことが嫌いではなかったし、気の良い奴だと好感を抱いてはいる。
あの明るさが、ともすれば修羅場をくぐったあげく、仲間を一度に大勢失って暗くなりがちな自分たちを救ってくれたのだと感謝もしている。
だが、あの一件がどうしても引っかかってしまう。
いつまでも抜けない棘のように。


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