喧風 後篇

その日は珍しく、誰も彼もが陣に籠もり思い思いに過ごしていた。
戦に定期的な休みなどあるわけもなく、ただ、その一帯を襲った台風のせいで出陣出来なかっただけなのだが、たまの休息に否やを唱える者など一人も居なかった。
ただでさえ「動かないでいい時には動かない」をモットーにしている銀時などは、朝から部屋でごろごろするだけだったが、高杉や桂はそれでも所用があると見えて、部屋にじっとしていない。誰も居ない部屋でのんびりとするのはいいが、気晴らしになるような菓子や暇潰しのお楽しみなどあるはずもなく、流石の銀時も夕方頃には暇をもてあますようになっていた。

ふと気付けば周囲は薄暗く、轟音を立てて降り続いていた雨も止み、風もおさまっていた。気晴らしに外の空気でも吸いに出るか、とその日始めて部屋から出た銀時は、陣内がいつになく静かなのに気がついた。
そう、いつもならもっと…と不思議に思い、原因に思いを巡らせた銀時は、すぐに答えを導き出す。
そうだ、あいつが大人しいんだ。坂本の馬鹿が!
いつもなら、陣内であればいつでもどこでもひっきりなしに、と思えるほどにあの脳天気な明るい笑い声が響いてくるのに、今はそこかしこがまるで水を打ったように静まりかえっている。あの精力的な男でも、こんな日は大人しくしているのかとおかしく思った銀時は、坂本が何をして暇を潰しているのかに興味をかられた。
暇だねぇーおれも。実際暇だけど?と一人でボケと突っ込みの二役をこなしながら、銀時は坂本の部屋をおとなってみた。
「おーい、坂本いるかぁ?」
腰高障子をガラッと勢いよく開けながら、銀時はそう声をかけてズカズカと部屋に入り込んだ。坂本以外の部屋の者への気遣いなど全くない。
生憎、そこに坂本の姿はなかったが、銀時はそこで信じられないものを見つけ、我が目を疑った。
「ヅラぁ、何やってんの?」
声を掛けられた桂は、畳の上で横になったまま、目を屡叩いている。
桂には上掛けがわりに着物が掛けられているが、それは紛れもなく見慣れた坂本のもので、銀時は心の臓がささくれ立つような気持ちに囚われずにはいられない。
「なんだ、騒々しい」
「なんで坂本の部屋におめぇがいるんだ?で、坂本はどこだ?」
「さぁ?」
「さぁって…頭大丈夫かおまえ?」
おきまりの「ヅラじゃない」も言わねぇし、と銀時は側に座り込みながら少し心配になり始めた。
桂はまだ頭が冴えていないような緩慢な動作で起き上がると、辺りを見渡し「静かだな。目に入ったのか」と暢気に言った。
「静かなのは坂本がいねぇからだろ」
銀時がふて腐れたように言うのに、「違いない」と桂は短く笑った。
その普段通りの様子に銀時は得も言われぬ安堵感を覚えながらも、「で、ここでなにしてたの?」と訊くのを忘れない。
桂は思い出そうとするかのように視線を幾度か空に彷徨わせてから、「おれの名代として他の陣営と連絡を取るために出立してもらうことにしたので、その打ち合わせにな」と言った。
「坂本に?」
「うむ」
「で?」
「で、とは?」
「なんで、それでおめぇが寝こけてるんですか?」
桂は今度は目をつぶり、自分でも真剣に考えているようだったが、急に何かを思い出したらしく、ぱっと両目を見開いた。
その目を信じられないとでも言うように大きく見開いたまま、あろうことか両頬を薔薇色に染めていくのを銀時は確かに見た。
丁度あの日、坂本にしがみつかれて赤面していた時のように。
「ちょ…なに、なに恥ずかしがってんの?」
「や…別に…」
「別に、じゃねぇでしょう?そんな狼狽えてよ」
らしくねぇじゃねぇか、おめぇーと銀時は自分の方が狼狽えていることに気付いて更に狼狽えた。
「う」
「なあ、言えって!なんかされたのか?」
「された…というより…………した?」
「なんで疑問形?なに、”した”って、司令官殿が一体なにをやらかしちゃったてぇんですか!」
銀時はもう内心気が気ではない。障子一枚、襖一枚隔てた所に誰かが休んでいるかも知れないというのに、声を抑えることが出来なくなっていく。
その様子に気付いた桂が慌てるように「太郎だ、太郎!」と叫ぶように、それでも小声で白状した。
「太郎?」
誰、それ。どこのどちらさん…?と思いがけない名を聞かされて戸惑う様子の銀時に、「おれの実家の」と桂が付け足す。
ああ、あの。でかい犬。…犬?
訳がわからない、という顔を見せる銀時に、桂が恥ずかしそうに「似てるだろ?」と言う。少し上目遣いで頬を染めてそんなことを言われても、銀時は戸惑いを深めるばかりだ。
坂本とあの犬が?似てるか?強いて言えば人懐っこいところくらいだろうが!
「だから、なに?」
「だから…」桂は益々赤くなる。
「だーっ!だからなんだよ、早く言えよこんちきしょう!」
「大声を出すな、馬鹿もの!言うから黙れ!」焦れてわめき出す銀時の口を手で押さえ込んで桂が言った。
「その、な。あれだ、あれ」
「あへあへひゃ、わはりまへぇん」押さえられた口でなおも訴える銀時に、桂も観念したのかボソッと「もふもふ」と耳元で告げてきた。
もふもふ?もふもふってあれか、あの時々おめぇがおれにやらせろってしつこい、あれ?
呆然として二の句が継げないでいる銀時に、桂はこくりと頷いて、「太郎みたいで懐かしくて、モフモフさせてもらってたら気持ちよくてつい眠くなった」と…。
はぁぁー?似てるって…毛質ってか髪質のこと?ちょ、馬鹿ですか?幾つですかおまえ!知ってる?おめぇ今実質おれらの指揮官なんだぜ?
銀時の頭の中を色々な言葉ー主に罵声ーがめまぐるしく飛び交った。
しかも、気持ちいい…って…おまえねぇ……。
それでも、恥ずかしそうにしながらもどこか嬉しそうな様子の桂にそんなことは言い出せず、銀時はやっとの思いで「…そりゃ良かったな」という言葉を何とかひねり出した。
それを聞いた時の桂の目の輝きを目にした銀時は、色んな事がどうでも良くなってくる。
よっ、と立ち上がりながら「おめぇも寝るなら部屋でちゃんと布団に入って寝なさい。こんなとこで寝てっと風邪引くぞ」と桂の頭を二、三度撫でた。
大人しくされるままになっている桂が珍しく、「どったの?まだ頭がぼーっとしてるの?」と声をかけると、「あれで肉球があれば完璧なのだがな、坂本は」と 真顔で言うので、そのまま拳骨をくれてやった。
「痛いではないか!」と涙目で睨んでくる桂を見下ろしながら、てめぇの発想が一番痛いわ!と思いながらも、たまにゃおれもモフモフさせてやんねぇと駄目かなぁ…と坂本に会いに来たことも、どこに行ったのか不思議に思ったこともすっかり忘れて、桂に負けず劣らず痛いことをふと考えてしまう銀時だった。

台風の目はまだ抜けない。


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