「またか。どうりで冷えるわけだ」 桂は、ちらちらと舞い始めた雪を前に一人呟いた。 その落ち着いた声ですら静まりかえった陣内ではやけに大きく響き、ここしばらくの喧噪を考えると嘘のようだ、と桂は思う。 数日来降り続いた雪に、戦はもちろんちょっとした気晴らしさえも阻まれる日々が続くと、つまらない小競り合いがいつしか本格的な取っ組み合いへと発展する。 血気盛んーといえばまだしも聞こえはよいが、 結局の所、血の気の多い連中が狭苦しいところに閉じこめられ、来る日も来る日も顔をつきあわせていれば、むしろそうなるのが自然ではある。それは重々承知だ。 それでも、 収めても収めても繰り返される流血沙汰にそろそろ苛立ちを隠せなくなった桂を見かねてのことだろう、小止みの隙に、と坂本が皆を遊郭へ連れ出したのは数刻前。 今頃、勇んで飛び出していった者たちは、一人陣内にいる桂よりは余程居心地よく過ごしていることだろう。 よかった。 満足げな溜め息を一つつくと、桂は筆を手に、陣に残った理由の一つにして最大の課題、軍資金や物資の調達について思案を巡らせはじめた。 それらは、誰にでも分かり易すすぎる問題でありながら、普段参謀を担うことの多い桂が悩むに足る問題でもある。 衣食足りて礼節を知るとはよく言ったもので、兵糧はもとより、暖をとる為の薪一本も時として確保は難しい現状にあっては、礼節どころか人としての則がどこまで保てるか、それが桂最大の悩みの種。 天人から国を守らんと決起したはずの者らが追い詰められた挙げ句、護るべき民に刃を向けるような事態に陥ってはならないのだ。絶対に。 さて、どうしたものか。 貴重な薪を出来るだけ使わずにおこうと、しばしば囲炉裏ーよりは地火炉とでも呼びたい代物ではあるがーの火を気にしながらも、桂は止めどなく考えを巡らせる。 藁に消し炭、灰ですらここでは貴重品。 つまり、いつだって「足りない」のだ。 けれど、都合のよい打開案など早々浮かぶはずもなかった。 思惟がいつしか物思いへと移ろい始めた頃、 「なにここ!外より寒くね!?」 凍えるような冷気を携えた銀時が、賑々しく現れた。 莫迦が。 「早くそこを閉めんか!火が消えてしまう」 「うぉ、やっべ」 大急ぎで間仕切り戸が閉じられると、揺らいでいた小さな炎は勢いを取り戻した。 「危なかったな」 「人ごとのように言うな。危なくしたのは誰だと思ってる」 「わ、ヅラ君冷たい!」 「ヅラじゃないと何度言えば解る!てか、貴様の方が余程冷たいわ、離れろ」 ちゃっかり自分を両腕に抱え込んで震えている銀時に剣突を食わせても、 「そーゆー意味じゃねぇよ。っつーかせっかく夕霧ちゃんから逆ご指名だったのに……」 あくまでどこ吹く風だ。 いっこうに興味を示さない桂に焦れたか、「坂本に恨まれた」だの「一番の美人さんで」だの「張り切ってお相手した」だのと一人でべらべら喋っていた銀時だったが、やはり桂は動じない。 むしろ、 「腹でも下したか?」 素で心配そうに言われる有り様。 うわぁ。 朴念仁ここに極まれりだよね。 「だーかーら!なんでおれがこんなに早く戻ってきたかって話!」 「貴様自分で言い訳めいたことを言ってたではないか。張り切ったがどうのこうのーと」 「勝手に言い訳にしてんじゃねえよ!おれは張り切ってお相手したけど、2回戦目は放棄したって」 「だから腹でも下したのか?と訊いたではないか!だいたい、ねちっこい貴様が……」 「ねちっこいってなんだよ、ねちっこいって!」 「ねちっこいはねちっこいだろうが」 「あー、もう!なんでこーなんだよ!」 髪をがしがしとかきながら銀時が叫んだ。 「おれは、自主的に放棄したの!ここ、大事なとこだかんな!?で、続きはー 「ふん」 これが、桂のこたえ。 銀時にみなまで言わせず一刀両断し、 「巫山戯るな!」 反し刀で一喝する。 「え、え?おれ、怒られるようなことした!?おれはただおめぇとー 「断る!そんなに盛りたいなら、とっとと戻ってその朝霧ちゃん 「夕霧ちゃんな」 「……夕霧ちゃん?そうか」 言い直す律儀さに、つい頬を緩めそうになった銀時だが、続けられた物言いにはいきり立った。 「その、夕霧ちゃんとやらに頭を下げてもう一度お相手してもらってこい!」 「はぁ?なに、じゃあおめえはおれが夕霧ちゃんともっともっと、朝まで懇ろにしておけばよかったとでも言うのかよ」 「そうだ!」 「マジでか?」 力強い即答に、さすがの銀時もげんなりする。 なのに。 「大マジだ!朝…ではなく、夕霧ちゃんを残念がらせてしまって申し訳ない、と貴様もさっき言っておっただろうが。非礼を詫びて、一度と言わず二度三度とー 更にとんでもないことを言い出す。 「やだ。寒ぃし」 抱く腕に力を込めて甘えてみるが 「これ以上薪は増やさんぞ、勿体ない」 ひたすら、つれない。 しかも微妙にずれているのは気のせいか? 「暖をとりたければもう一度向こうに戻れ。あちらの方が絶対に温かいぞ」 「ちょ、本気?」 「なんど同じことを言わせる気だ。おれはいつだって本気だが?」 そーでした。ガキの頃からこんな朴念仁だったよ、こいつは。 「本当にいいのかよ?」 それでも念を押してしまうところが銀時の未練たらしいところというか往生際の悪いところ。 「いいと言っている。てか、むしろそうしろ。できれば一生涯こんなことをされなくてもすむくらいにな!」 したたか腕を叩かれた。 防寒にと着込んでいたせいもあって、ぼすっと間抜けな音がした。 「痛ぇじゃねぇか、この莫迦!」 馬鹿力の桂に叩かれると厚着をしていても本気で痛い。けど、本当に痛むのはー 「あー、わかったよ!もういっぺん行くよ、行きゃあいいんだろ!んだよ、せっかく戻ってきてやったのに!」 なんとか妬心の片鱗でも拝めないかと当て擦りたっぷりに言い放つが、桂は相変わらず表情ひとつかえない。いや、片眉一つを軽くあげてみせられはした。が、それっきり。 「うわー、すっげぇムカツクんだけど!?後悔しても知らねぇからな!」 一声吠え、とうとう銀時はどかどかと足音も高く出て行った。 その大きな背中を見遣りもしないで、桂は再び冴え冴えとした空気に一人取り残された。 開放感を しみじみと味わっていながら、雪は酷くないだろうか、と一応心配らしきことをしている自分に気付き、ひっそりと笑った。 おかしなことだ。心配する必要などこれっぽちもないのに。 にしてもー ぜんたい奴はこのおれが見たこともない遊女に嫉妬するとでも思っていたのか? もしや本気で、おれが好き好んで奴に抱かれてやってると思っているのだろうか。 だとしたら……。 「救いようのない阿呆だな」 闇に溶け込み、静まりかえっている陣内によく通る声が響いた。 ーやがて。 小さな声がこたえた。 思った通り、やはり阿呆だ。 「なぁ……」 今度は少し大きな声。 さすがに寒いのだろう、かすかに震えている。 しかも縋るような咎めるような色をたっぷり含んでいては、さしもの桂もたまらない。無論、全て銀時が計算してのことだと 解ってはいるのだが……。 くそっ、銀時の奴。 先ほどの銀時に負けない勢いで立ち上がり板戸に手をかけた桂だったが、次の瞬間には、勢いよく飛び込んできた銀時に抱きすくめられていた。 「重いぞ、どけ!」 銀時の思い通りに事が運ばれた口惜しさからだろう、声に棘が混じっている。 「やだ、寒ぃし」 「雪の中に突っ立ってるからだ」 「残念でしたぁ〜!雪の中に突っ立ってたりしませんでしたぁ!軒下で膝抱えて座ってましたぁ」 「なら、もう四半刻程開けてやるのではなかった」 悔しそうに言うのがおかしくて、銀時は憎らしい言葉を吐いた唇をぺろりと舐め上げた。 ついで、つれなくされた仕返しとばかり、めちゃくちゃにむしゃぶりつく。 「ねぇ、やっぱ薪増やさねぇ?」 ようやく解放された桂の恨みがましい視線をものともせず強請ってくる銀時に、「ダメだ」と頑なな桂。 何度か同じ遣り取りの果てに、とうとう銀時が音を上げた。 「わーったよ」 根負けしたらしい様子の銀時に、桂が気を緩めた途端 「や、おれはいいわけよ、別に。けど、裸に剥かれるヅラ君が寒かったら可哀想だと思ってよ」 薄闇に見る銀時の笑みはなんとはなしに凄絶で、桂は思わず目を瞠るが、 「一度と言わず二度三度、だっけ?」 畳みかけられた。 それは、話が違うだろ。 首を左右に振っても、 「わかんねぇよ。おれ、救いようのない阿呆だし?」 ニンマリと笑われるだけ。 剥き下げられた衿元から刺すような冷気が入り込む。 夜気に晒されて顫える肩に思い切り歯が立てられ、じんわりと広がる痛みがやがて熱へと変わっていく。 「二度三度は無理かもだけど……ダメ?」 これで譲歩してるつもりらしいのが恐ろしい。 ……救いようのない奴だな。 「まず戸を閉めんか」 一喝されて、銀時は外に跳んでいった。 戸を直すガタガタという音までが嬉しそうだ。その音を聞きながら、桂はぼんやりと思う。 結局はこうなってしまう。本当に救いようのないのは誰だろう、と。 「さぁて」 戸をピシャリと閉めた銀時のわざとらしい大声が聞こえる。 「二度三度は無理でもいいってお許しが出たことだし、最低でも四、五回は覚悟してもらわねぇとな」 ああ、やっぱり、おれの方らしい。 でも……。 今夜くらい我慢してやらんこともない。 のしかかってくる銀時の温もりを全身で感じながら桂は思った。 硯も凍るこんな夜は。 |