予感はあった。
覚悟もしていた。
だが、なぜ、”今”なのか。
今でなくてはならなかったのか。
桂は、それが知りたかった。

「残響」前

一番好きな季節は、と問われれば、桂は迷わず春と答える。
芽吹きの時期、新しい生命の誕生、優しい風。自然にとって死の季節である冬を負かした証。
そんな好ましい季節のただ中、青嵐のような優しい男が一人、その頃を待たずに去っていった。
坂本。

「こんな戦は無意味じゃ」などと、他の誰かが口にしようものなら悪口雑言の的どころか命を狙われかねないような不穏当な別れの言葉を残しながらも、不思議と至極円満に仲間から旅立ち、彼は宇宙へと去っていった。
「ま、坂本だしな。あんなもんだろう」というのが銀時の弁。
桂もただ、頷いた。
高杉はつまらなそうに「やる気のねぇもんは消えてくれて結構」とだけ漏らしたが、激昂しやすい高杉にしては随分穏やかな物言いで、それは、坂本がこの男にすら愛されていたことの証なのだった。
坂本、銀時、桂そして高杉は、一見バラバラに見えて、それでいて実に調和のとれた一組を形成していた。
剛力無双でならした坂本と、疾風迅雷の闘いぶりを見せつける銀時の二人は正に勢力伯仲。対して、精明強幹な桂と剛毅果断な高杉もまた、得手は違えども並駕斉駆だった。彼らはその各が一騎当千の強者ではあったが、一人より二人、二人よりは四人全員と、組み合わせは時々に違えども力を合わせて事に当たる方が、実際の何倍もの力を発揮することが出来た。四智とも、四神とも言われる所以であったが、しかし、彼らはその内の一人を永遠に失ってしまったのだ。

一番嫌いな季節は、と問われれば、桂は迷いながらも夏と答えるだろう。
流れる汗、のどの渇き、熱い風。
力強い太陽は容赦なくその光を降り注ぎ、春の優しさを追い立てる。
坂本を失った彼らは、やがてそんな季節を迎えた。
具足姿の男達にとって、照りつける日射しの暑さときたら、雲霞の如く押し寄せてくる天人と同様うんざりする以外の何ものでもない。
だるいだの、暑いだの不平を口にしながらも、それでもかれらは戦い続けた。
思想の為、国の為、誰かの為。
思いはそれぞれ違っていても、目指すものは同じなのだと信じていた。
たとえ戦場であっても幼い頃と同じように、桂には銀時と高杉がいた。
銀時には桂と高杉が。
高杉には…彼がそもそも自分以外の誰かを必要としていたかどうかは誰にも解らないが、それでも彼が望めば桂や銀時が迷わず手を差し伸べるはずだった。
三人はよく一塊で、時にじゃれ合い時に笑い合い、そして果敢に戦った。
坂本が去ろうとも、共に戦う他の仲間の顔ぶれは替わろうとも、彼らだけは同じであり続け、彼らだけは生き残ってきた。
仮に意見が衝突し、誰かと誰かがののしり合うようなことになっても、残った一人は常に冷静でいられた。
銀時と高杉がつかみ合いをすれば気の短いところのある桂が二人を殴り飛ばし、高杉と桂が口論を始めたら銀時が二人を無言で蹴り飛ばした。銀時と桂にいざこざがあれば、高杉は知らぬ顔で二人の気が済むまで放っておくのだった。
それが幼い頃から続けてきた三人のやり方だったので。
自分も含め、他の二人も幼い頃とまるで同じであり続けているはずもないことに気づけない、気づきたくもなかった三人は、少し歪な、それでいてそれなりにバランスのとれた三角形のようだった。

だが、いくらバランスが保たれていても、歪みは放っておけば徐々に大きくなるということに、三人は必死に気づかない振りをしていた。


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