「多分、この世で一番複雑なもの」

「そういや昨日、あの野郎に睨まれたんだが……」
わざとらしく言葉を切って反応をそっと窺う。
閨房の語らいてぇのは、本来、睦言の一つや二つ交わしてしかるべきなんだろうが、相手が相手だ。甘い言葉の代わりに、不穏当だったり殺伐だったりする遣り取りが交わされるのがお約束。
しばらく待っても反応らしい反応がないので、心当たりはねぇかとストレートに訊けば、「野郎とは誰だ?」としれっとこたえやがった。
「決まってるだろうが、万事屋の野郎だ」
「なんだ、銀時か」
つまらなさそうに言う癖に、わざわざ「銀時」と名前を出すのが癪に障る。
「どうした?怒ったのか土方?名を出されるのも嫌なほど、貴様は銀時に拘泥しているのか?」
「違ぇよ、自惚れんな」
「さて、どうだかな」
くつくつと、大して面白くもなさそうに嗤う歪んだ口元にすらそそられるなんざ、おれもつくづく終わってる。
なによりも、こんな薄汚い連れ込み茶屋にお尋ね者を引きずり込んだあげく、愛おしそうにかき抱いている己の身がおよそ現実のこととは思えない。悪い夢の中に迷い込んでいるだけなんじゃねぇか。


「この前、貴様と別れてすぐに会った」
手早く身支度を調えながら、唐突に白状される。随分な間じゃねぇか。こちらに背を向けているので表情は見えねぇが、おそらく淡々としたもんだろう。
にしてもおれと別れた後すぐたぁ、また難儀な話だ。なにしろあの日は……。
「どこで?」
んな話聞きたくねぇはずなのに、あまりの間の悪さについ尋ねちまったのがおれの敗因。
「万事屋」
悪びれる様子も外連味もなく、ずいと突きつけられた現実。
「そりゃ、てめぇが好きで顔出ししただけじゃねぇか!偶然出くわしたみたいな言い方しやがって」
腹が立つというか、面白くねぇ。常日頃、野郎に興味がないと言いながら、どういうつもりなんだか理解に苦しむ。
「あれだけ跡をつけるなと言っておいたのに、わざわざ首筋につけた大莫迦者がいたのでな、その莫迦を一緒に嗤ってやろうと思っただけだ」
「見せに行ったってぇのか?」
あれを?わざわざ?
あまりにも嫌がるのでかえって興が湧き、無理に咲かせた所有の証。気付かれないよう素早く小さく刻んだはずが、容易くばれていたことにも驚いたが、そうと知りながら、自ら野郎に会いにいく心境が不可解すぎる。
「見せつけて、嫉妬でもさせようって腹か?」
「そんな趣味の悪いことはせん。奴は勝手に気付いて、勝手に傷つく。そういう阿呆だ」
「その阿呆が存外に鋭敏なお陰で、おれが睨まれたってわけか。アホくせぇ。どう取り繕うと、わざわざ足を運んだのはてめぇ自身だ。野郎に拘泥してるのはてめぇの方じゃねぇのか」
腹立ち紛れを装って、本心を探る。こんな底の浅いこと、目の前にいる百戦錬磨の化け物相手に通じないことは百も承知。なのに、堪えきれねぇのは惚れた弱みという奴か。
「確かにそうかもしれん。銀時は面白いからな」
面白い?野郎が?冗談は休み休み言えってんだ。抜き身の刀並に危ねぇぞ、ありゃ。
「そんなに意外か?」
不思議そうに尋ねてくる瞳はどこまでも澄み、まるで幼子のようで。なればこそ「会う度にいかにも物欲しそうな貌を晒すので、つい、な。軽い悪戯心だ」と こともなげに言う酷さがいっそう際だつ。
それなのに、こんな性悪にまだご執心とは莫迦な野郎だと、万事屋を嗤えねぇ。会う度という言葉にひっかかり、ひょっとして今からまた野郎の所に 行くつもりではないかと新たな妬心がむくりと頭をもたげる始末。

「せいぜい歯噛みしておればよい。おれを取り戻すことなどあり得えんのだからな。この先も、ずっと」
万事屋に向けられているはずの言葉の棘は、何故かおれに深々と突き刺さり、誰にも見えない鮮血を流させ始める。

どうやらおれは本当に囚われてちまってるらしい。
醒める気配のない悪夢に。


※裏桂頁にある「流水意なし」の土方視点の話です。

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