もしもこの世に 後篇


「ありえん!」
さすがに無視することはできなかった。
「帰ってくれ!おれはともかく、亡き友まで愚弄するなら、女子どもといえど容赦はせんぞ!」
抑えていたものが一気に溢れ出す。一度込みあげてくると、もう止められない。どうあってももう帰ってもらわねば。子供に刃を向けるなど、あってはならないというのに。……なのに、抑える自信がない。
「銀時さまはこう仰ってました『おれを殺せるのはおれしかいねぇだろう』って」
「まだ言うか!」
「だって、銀さんは白夜叉って呼ばれて恐れられるほど強かったんでしょ?」
普段の姿からは想像もつかないけど、と青年は小声で付け加えた。 見れば、少女は腕組みをしながら深く頷いているし、娘もそれを当然のように受け止めている様子。
銀時ー白夜叉ーは、戦後15年を経た今や伝説的な存在で、その強さ、勇敢さは半ば神格化されている。未だ人知れず天人と戦い続けている等という、都市伝説を通り越してもはや怪異じみた話を聞かされたことも。銀時が怪談の類を一切苦手としていたことを思えば 皮肉なことだ。いずれにせよ、幼い頃から当人を知るおれには片腹痛いものだらけ。
なのに、青年が口にしたのがそんな虚像だけでなく、まさしく、おれの知る坂田銀時そのままなのは何故だろう。頷いている娘たちもまた不思議だ。
「銀時の何を知っているというのだ」
さすがに奇妙だと思い始め、少しならーと話を聞く気になった。というより、気がついた時にはそう聞き返していた。

「死んだような魚の目をして、家でごろごろしてばっかりなんですよ!」
「ダメでダメで、どうしようもないダメ男ネ。のんだくれてはそこら中にゲロ吐き散らかすろくでなしアル」
「銀時さまはいつも家賃を滞納されてます」
「すみません、たまさん。あの人、お金さえあればパチンコにつぎ込むか、いちご牛乳だのチョコだのを買い込む病的な甘党ですから」
「宇治銀時丼とかアルな。あれは人間の食べるもんじゃないネ」
「おめーも定食屋で一緒に喰ってたことあるだろうが!」
「昔のことは忘れたある。いい女は未来に生きるネ」
「さっき思い出したばっかりでもう忘れるとか言うな!」
「お二人とも、話が逸れています。今は、銀時さまがどれだけダメダメだったかをきちんとお話ししないとー」
「や、たまさん、話の趣旨はそれじゃないですから」
「間違ってないアル。銀ちゃんのことを話す、それはすなわちダメ人間について話すことアル」
「まぁ……そうかもしれないけど。でも、やっぱり違うよ神楽ちゃん!」
自分たちにも直接の記憶はなく、さきほど、このからくりに思い出させてもらった記憶ではあるが、との前置きをはじめ、 飛び出してきたのは、あり得ない話ばかり。そんな戯言を信じる気など微塵もなかったが。それでも……。
それでも、彼らの話に出てくる銀時は、どれも”さもありなん”と 溜め息をつきたくなるようなものばかりで。たまらなく懐かしくなって、おれは、いつしか彼らの話に耳を傾けている自分に気がついた。
しばらく散々銀時の”悪行”を聞かされたが、 「もう、いいでしょう?桂さんの知ってる銀さんと、ぼくらの言ってる銀さんが同じ人だってそろそろ信じていただけませんか」
青年が真摯な瞳を向けてきた。
若者からこんな目を向けられて、軽くあしらうなどおれには出来ん。それが、どれほど突拍子もない与太話であっても、だ。
「……信じたわけではないが、話くらいは聞いてやろう」
出来るだけそっけなく伝えたはずだが、何故だか頬が緩みそうになる。
嘘でもいい、久しぶりに白夜叉ではない銀時の話が出来た。それでいい。おれが彼らの話を聞くのは、その礼だ。 そう思っただけだったのにー
「いえ、話を聞く気になっていただけたのなら今日のところはこれで充分です」
なぜかあっさり断られた。
なんでも、青年の姉だの、くノ一だの、他にも銀時のことを思い出してもらわねばならない者が沢山いるのだとか。
「みんなが銀さんのことを思い出したら、その時は桂さん、一緒に行って下さいね?」
「どこへ?」
「攘夷戦争時代ですよ。銀さんが白夜叉を殺してしまうのをみんなで止めなきゃ」
「そんなことがー
出来るはずない、と言おうとして、止めた。青年たちはあまりにも歓びと自信に満ちあふれていた。
「みなで、銀時さまをお助けに参りましょう」
「ヅラぁ、そん時はしっかり働くアルよ」
「銀さんのこと、攘夷戦争のこと、ぼくたちが本当に倒すべき敵、魘魅のこと。リアルに体験して覚えているのはこの世界では桂さんだけなんですからね」青年は言い聞かせるように早口で言い、 「や、厳密には高杉さんや坂本さんもですけど」また、ぼそりと付け加えた。
高杉や坂本のことまで知っているのには驚いた。が、もっと驚かされたのはー
「あんな連中まで連れて行ったら、銀ちゃん嫉妬に狂ってなにするかわからないアル」
「白夜叉より、嫉妬に狂った銀時さまの方が恐ろしいということですね?データに記録しました」
「……おい、なにを言って……
彼らは、「本物」なのだろうか?いや、まさか……。
「確かに。……エリザベス先輩でも怪しいからな、あの人」
うんざりしたように言われては、もうなにも聞けなかった。言えなかった。


おれは今、銀時と浅からぬ因縁のあるという連中に会うため、歌舞伎町を急いでいる。
「ヅラぁ、準備は整ったアル。準備はいいネ!?」
少女から連絡が入ったのは、昨日の今日。
元入国管理局局長の長谷川泰三や柳生一族、真選組のクズどもまでいるとはその時に聞いていたがー。

「おーい、ヅラっち!こっちこっち!」
本当に、その長谷川泰三が親しげに手を振っている。
美しい娘が長刀を手に笑っていた。後ろに一族を従えた柳生の若当主がその隣に立っているのが見える。
真選組局長の近藤が。目つきの悪い副長と小憎らしい面構えの一番隊隊長が有象無象の隊士達と。
おれの後ろでいきり立つ志士たちを、エリザベスが諫止している。伸るか反るか。ここまできた以上、もう止まらない。
「みんな、たまさんのデータで銀さんのことを思い出してくれたんですよ」
おれたちを気遣ってのことだろう、青年が穏やかに言う。
今からあのからくり娘が、おれたち皆をあの日に連れて行くのだとも。怪力ぶりや人のでぇたを蓄えるのはともかく、そんなことまで出来るのか。
「あなたはまだ見てないんですって?」
突然目の前に降ってきた眼鏡をかけた娘が唐突に言った(多分、くノ一は彼女なのだろう。それらしい身のこなしだ)。
「残念ねぇ。わたしと銀さんのあーんなシーンやこーんなシーン、見ておくだけの価値が十二分にあるっていうのに」
「話を捏造するでない、猿飛!わっちはそんなもの見ておらぬぞ」
手下を引き連れた百華の頭が娘を諫める。まるであの頃のような賑々しさだ。
「これが、みな?」
攘夷戦争を生き延びたという銀時は、本当にこんな者たちとも親しかったのであろうか?
「あー、そうなんです。なんか、めちゃくちゃなメンバーですみません」青年は何故かおれに謝罪する。
「そうだ、なんなら桂さんもご覧になりますか、たまさんのデータ?」と訊いてきた。
あの人たちーと真選組をちらりと見遣り、銀さんとの繋がりが理解していただけると思いますから、と。
いや、とおれは首を振った。
「もうすぐ本物に会えるのであろう?」
「ええ、もちろんです」
からくりの娘が力強く頷いた。
なら、必要はない。

「あの日、銀時やおれたちはー
銀時の消えた日のことを詳しく話してくれと、長刀を持った娘に請われ、おれは話し始めた。 心の奥底に閉じこめてきた忌まわしい記憶。その封印を解いて語り始めると、これまでの喧噪が嘘のように静まった。 みな、一言も聞き漏らすまいと真剣なのだろう、誰一人として余所見をしている者はいない。
熱意に燃えた幾つもの目に囲まれて、おれは語り続ける。白夜叉のこと。魘魅のこと。おれの知る全てのことを。

もしもこの世に奇跡というものがあるのなら、それを、今からおれたちが起こすのだ。
行こう、おれたちの世界に再び銀時を取り戻すために。


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