「ゴリラになって、万事屋とあの桂と一緒に暮らしてただぁ?」
「らしいですぜぃ。しかも万事屋と桂はゴリラならぬ猫の姿だったそうでさぁ」
沖田はいかにも面白いといった口調で告げた。
射程距離にとらえた桂を追っていたはずの近藤さんが、ともにいた隊士達の前から忽然と姿を消してからの数日間、秘密裏にではあるが、散々探し回って手がかりの一つもつかめなかったのが、今日になってひょっこり戻ってきたのだった。
しかも戻るなり、「桂の場所を知っている」などと言う。
どこか半信半疑ながら言われた場所に行ってみれば、そこには本当に桂がいて……。
結局いつも通り逃げられはしたが、何故近藤さん一人でも桂を捕らえようしなかったのか、つまり、どうしてわざわざ屯所に戻るというようなまどろっこしいことをしたのか、それよりもなによりも、ここ数日間の不在の理由は?と
解らないことだらけ。
それで、今の今まで沖田や山崎が近藤さんから詳しい事情を聞き出していたのだがーまさか、そんな話が飛び出してくるとは。
「疑うんなら、近藤さんに直接訊いてみて下せぇ。第一、あんたが局長の無事をあちこち知らせなきゃならねぇってぇんで代理で訊いてやったってぇのに、礼の一つも言えねぇなんて恥ずかしいですぜ、土方さん」
驚きが顔に出たのだろう、それを疑念の色ととったらしい沖田は不服そうだ。
「なんでおれがてめぇに礼を言わなけりゃなんねぇんだ、ああ?誰も代理なんて頼んでねぇんだよ」
これは本当だ。沖田がおれが忙しいことを幸いに手前勝手にやったこと。上辺はどうあれ、内心興味津々であれこれ尋ねたのに違いねぇ。
「それにおれがいつ近藤さんの言うことを疑った?ゴリラだろうが猫だろうが、近藤さんがそう言うんならそうなんだろうよ、きっと」
「信じるんですかぃ?」
やはりおもしろがるように言う。
「信じるも信じないもねぇ。おれは近藤さんを疑ったことなんざ今まで一度もねぇ。それにてめぇも知ってるだろう、その程度の怪異ならおれたちはもう幾つか経験済だ」
「……RYO-Uや老人化のことを言ってるんで?」
「そうだ」
すぐ具体例が出て来たところから察するに、沖田も近藤さんの話を聞いてこれらの事件を思い出したらしい。どちらも直接我が身に降りかかったことではないが、両方マスコミに大々的に取り上げられた事件だ。しかも松平のとっつあんにいたっては、二度とも自身が被害を被っている。
「そんなことがほいほい起こる世の中だ、人がゴリラや猫になっちまうこともあるんだろうよ」
「近藤さんが言うには、姿形が変わっただけで中味は元の人間のままなんで、言葉の通じ合う
1頭と2匹は、これまた元人間という猫を頭に仲良く共同生活をおくってたそうで」
「元人間の猫なぁ……、誰だ、そいつは?」
「そいつぁ近藤さんも知らねぇようで」
「ま、近藤さんが無事に戻ってきたんだ。それでよしとしようじゃねぇか」
おれは話を終わらせた。
沖田には死んでも言えねぇが、実のところゴリラと猫の組み合わせにはうんざりだ。思えば
あの奇妙な連中も、近藤さんたちと同じように何らかの厄災に巻き込まれた元人間だったのだろう。あいつらも無事に元に戻ってりゃいいとは思うが、貴重なマヨネーズを恵んでやったというのに何故かボコられた傷はー主に心のー当分癒えそうにねぇ。
それにしても、ありゃ、一体全体なんだったんだ。今回の動物化は、ゴリラと猫の2種に限られてでもいたってぇのか?
近藤さんや、万事屋、桂も元に戻ってるんだ、多分、他の連中ももう人間の姿に戻ってることだろう。突然老人化した人々が、これまた同時に元に戻ったときのように。
だから、この件はこれで終わり。もう金輪際、今回の獣関係の話には関わらねぇ。そのつもりで煙草を取り出したのだが、なぜか沖田が居室から出て行くそぶりを全く見せない。
「まだなにかあるのか?」
「興味ないんですかぃ、土方さん?」
「何がだ?」
出て行かないのはそっちの勝手。おれは遠慮なく煙草に火をつけると、あてつけるようにゆっくりと紫煙をくゆらせた。
「ゴリラと2匹の猫、でさぁ。近藤さん、泣いてやしたぜ」
「自分だけがゴリラになったことでか?」
「違いまさぁ。なんでも土方さんに裏切られたとか」
「そいつぁ聞き捨てならねぇな、おい、おれがいつ近藤さんを裏切ったってぇんだ、ああ!?」
おれが言ったんじゃありやせん、間違えないで下せぇーと前置きすると、沖田は
「あんた、腹を空かせてる近藤さんに犬のエサ以前の代物をくれてやったそうじゃねぇですかい」にんまりと人の悪そうな笑みを浮かべ、「何よりも”ドヤ顔”がむかついたそうですがね」と続けた。
な、んだと?それじゃまさか、あの連中が?
あり得ねぇ、と一蹴するには身に覚えがありすぎる。
それに、他にも動物化ーしかもゴリラと猫オンリーだーした連中がいたと考えるよりは、近藤さんたちだけに起こった災難と考える方がより自然だ。なにしろ、RYO-Uにしても老人化にしても、被害を
被ったのは個々人というよりとある地域全体。それをふまえると、今回の被害報告は近藤さん以外皆無だ。てことはー
なんてこった。
「ふん、なんのことだか」
それでも、目の前の悪党にこれ以上したり顔をさせておくのはしゃくに障る。だから、精一杯のしらを切った。
「ま、それはそれでさぁ」
沖田はそれ以上おれを追求することなく話を終えた。
おれのなかで警告音が激しく鳴り響く。
どうやらこいつはもっと別の、おれを嬲れるようなネタを持っているらしい。そうでなければ、こいつがこんなに簡単に”犬のエサ”ネタを
引っ込めるはずがねぇ。
「いやですぜぃ、土方さん、一体なにをそんなに緊張してるんで?」
おれの焦りを手に取るように解っていながら、ぬけぬけと言う。
「旦那や桂がどうやって猫になったかも近藤さんは知らねぇようですが、もし……」
含みを持たせ、沖田はそこで言葉を止めた。その先は手に取るように解る。桂は莫迦がつくほどの動物好きだ。莫迦の前に”大”の字をつけてもいい。沖田の目的が何であれ(深く追求するのはおれの理性が拒否した)、上手く猫に化けることができれば接近することは容易い。
「つまり、猫になれたら桂に取り入るのは簡単ってことでさぁ」
どうやら一旦口を閉じたのは、おれが同じ考えに到達するための時間を与えるためだったらしい。しゃらくせぇ。
「莫迦かてめぇは。猫になってまで気に入られてぇのか」
「へたれオタクに化けてまで気に入られようとしてるお人に言われたくはねぇです。それに
おれはただ、そうすれば易々とあの大物攘夷浪士に近づけるーとこう考えただけで、誰かさんと違って仕事第一でさぁ」
舌先三寸の嘘をいけしゃぁしゃあとぬかす。その面は小憎たらしさ満点だ。
「どうです?試してみる価値はありやすぜ?首尾よく寝所ーじゃねぇ、懐に潜り込めたら、微に入り細に入り報告しまさぁ」
「いるか!!」
思い切り灰皿を投げつけてやったが、素早く閉じられた襖に当たって虚しく跳ね返った。残されたのは、呆然とするおれと、畳に散らかった吸い殻。
いくら沖田が物好きで、おれへの嫌がらせに命を懸けてるとはいっても戻れるあてもねぇのに猫になるなんざ……。
馬鹿らしい、とその考えをゴミと一緒に掃き出した。
それから間もなく、沖田の姿が屯所から消えた。
聞けば、珍しく休暇を申請したらしい。
まさか……な。