「衒猫」 中篇
猫とゴリラの奇妙な共同生活の話を聞かされてから数日がたった。が、沖田はまだ戻らねぇ。
おおっぴらに探すのはそれこそ奇妙だ。近藤さん同様、ひょっこり戻ってくるのを待つしかないがなんとなく落ち着かず、おれは少し迷いながら、結局かまっ娘倶楽部に足を向けた。
「ヅラ子さん、いるかい?」
店はまだ開店準備中の慌ただしさの最中にあったが、強面のママは愛想よく頷いて快く招き入れてくれた。日頃の大盤振る舞いと金払いの良さはこういう時に功を奏する。
「なぁ、あんた最近猫と暮らしてたりしてないか?」
挨拶もそこそこに、席に着くや否やそう訊いてみた。
決して沖田の言うことを真に受けた訳じゃねぇ。この際ヅラ子さん本人にきっぱり否定してもらって、ほんの僅かでも沖田の戯れ言を真に受けた自分を嗤ってお終いにする、そのつもりだったんだが……。
「何故貴様がそれを知っている?」
思いがけず不思議そうに問われて息をのんだ。
傾げられた頭の動きに沿ってさらさらと黒髪が流れ、いつになく真っ直ぐ向けられる熱っぽい眼差しと相まって、柄にもなく顔面が熱を持ち始めたのを感じる。
「いや、知ってた訳じゃねぇんだが……。その猫、どんな奴だ?」
今でも半信半疑、あくまで念のためという気持ちに変わりはねぇ。が、いざ顔を見てしまうと、この際白黒ハッキリさせておく必要があると、何故か強く思った。
「そんなことが聞きたいのか?」
「ああ」
力を込めて頷くと、どうやらおれを無類の猫好きとでも思ったらしい。
時折頬を染めながら、実に幸せそうに話してくれたことには、
その猫は、1週間ほど前に迷い込んできたところを保護したのだという。
折悪しく雨も降っていたし、人恋しそうにニャァニャァ鳴いていたこともあって様子を見に庭に出ると、警戒することなく向こうから飛びついてきたらしい。
人慣れしているので、どこかの飼い猫ではないか、と言う。
「で、ずっと世話してんのか、あんた」
「無論だ。弱い者に頼られたら 出来る限りのことはしてやろうとするのが人情というものだろうが」
「頼られる、なぁ……」
この人は、ひょっとしたらそれと同じ感覚で、なにかとつきまとう沖田を無碍に出来ないでいるのではないか?という思いが頭をよぎった。
一方の沖田もまた、独特の嗅覚でこの人のそんな心性をかぎ取って巧みにつけ込んでいるのではないかとも。
奇妙で危うい結びつき。畢竟、いつか大きくバランスを崩すのは避けられないように思う。
その時、沖田は何を思うだろう。
そして、この人は?
突き詰めていくと嫌な気分になりそうで、
おれは慌ててグラスをあおった。
敵同士、そんな未来が待ち受けているなんざ火を見るよりも明らかだというのに、何を今更……。
それにおれは知っている。目の前の佳人が見た目を裏切る強さと図太い神経を持ち合わせていることを。沖田もまた、年に似合わぬ不遜さで、本心を巧みに隠すであろうことを。いや、奴のことだ、
重々承知の上で一種のゲームとして
楽しんでいるのかもしれない。
つまり、問題なのはおれか?
猫になってまでーと沖田を揶揄したつもりだったが、沖田の言うとおり時としてオタクに化けてまでこんな所に通い詰めているのはおれだ。
ひょっとして、”その時”一番やばいのは?
ぞくり、とした。
「ところでトッシーは達者か?」
「あ、ああ」
話題の中心が一応自分へとスイッチし、現実に引き戻された。
「邪険にしたり、虐めたりはしておらんだろうな?」
「ああ」
「なら、よい」
満足げに微笑んでみせる。猫の話をしていた時と同じ、柔らかな笑み。
その笑顔に、もう一度、無論だ、と答えた。
そもそも虐めるも何も、あいつはとっくに成仏?してこの世にいない。けれど、それを告げる勇気をおれは持たない。この人が敵であるおれをまがりなりにも客として扱ってくれるのは、
未だあのへたれオタクがおれの身体をシェアしていると信る故ではないかと恐れるからだ。
なにより奴もまた、ヅラ子さんにとっての弱い者のはず。
おれにしても、沖田にしても、弱いと思われているからなんとか構ってもらえているていたらく。所詮その程度、それが現実だ。
情けねぇじゃねぇか、おい。
ーそれでもなお、へたれオタクに身をやつしながらでも、おれは性懲りもなくここに来るだろう。いつまで続くか解らないこのあやふやな均衡が崩れるその時までは。
「で、用件はなんだ?」
打って変わった皮肉めいた口調にまたしても空転し始めていた思考を止められた。
これで二度目、か。なにやってんだ、
おれは。
「こんな時刻にわざわざ真選組の副長が駆け込んでくるとは余程のことであろう?」
おれを真っ直ぐ見つめる眼は、ヅラ子さんというより桂そのもの。さっきまでの柔和さはすっかりなりをひそめている。
「どうした?ん?」
からかうような口調は不遜ですらあり、あまりの変わりようにおれは咄嗟に言葉が出ず、ヅラ子さんー否、桂はそれを哀れむように、小さく息を吐いた。
「まだ日も高い内に貴様が息せき切って駆け込んでくるなどないことだからな、店の者は皆、興味津々で様子をうかがっておったのだぞ」囁くように言い、「まさか気付いていなかったとはな」と嗤われた。
どうやら、桂は他の客がそこそこ入り、店の者たちの気が削がれるまで当たり障りのない会話で場をつないでいるつもりだったらしい。
負けたーと思うべきなんだろうが、今はそれどころじゃねぇ。居住まいを正し、猫の話を続けてくれるように言った。
「なんだ、貴様、本当にあの猫に興味があるのか?」
目を丸くして驚きながら訊くが、まさか沖田が化けているかもしれないのだと教えるわけにはいかねぇ。万が一にも本人だった場合、人間に戻ってからがなにかとややこしそうだ。
正直、沖田が桂に斬られようが嫌われようがおれ個人としてはどうでもいいが、攘夷浪士と真選組というのっぴきならない対立関係以外での、いわば場外乱闘のような余計なもめ事は勘弁して欲しい。
仕方なく口ごもるおれに桂は「なにか不審な点でも?」と、遠回しに質問を進めてきた。
「そういうわけじゃねぇが」おれも曖昧にこたえるしかなかったが、「ひょっとして、なにかしら変なところがあったりしねぇか聞かせて欲しい」改めて頼んだ。
「何を気にしているかは知らんがそんなところはない。さっきも言ったとおり、人慣れしているらしくてなー」
幾分訝しそうに、それでも穏やかに答える人は、すっかりヅラ子さんの風貌に戻っている。
「おとなしいよい子だ。抱き抱きしてもスリスリしても、ちっとも嫌がらん。爪を立てたり、逃げ出そうともせん」
それは、猫として普通なのか?生憎動物関係に縁が薄くてわからねぇが、ヅラ子さんの言い方だと、他の猫には爪を立てられたり逃げだそうとされたことがあるようにも聞こえる。
「首に巻き付けても、耳をこんな風にくにゅくにゅしても。だから肉球だってぷにぷにし放題だ!」遠くを見るような目でうっとりとしながら続ける。「風呂も嫌がらんしな」
「風呂?まさか一緒に入ったりしてねぇだろうな」
「なんでまさかなんだ。決まっておろうが、無論、一緒だ」
こんな機会をこのおれが逃すものかーと何故か得意げに胸を張る。なんだそりゃ。
「他、どんな様子だ?」
さっきひとしきり話しただろうが、と文句の一つも覚悟していたが杞憂だった。滔々と
いかにも愛おしそうに教えてくれる。
そのどれもが、暇さえあれば膝に上がってくるだの、放っておくと拗ねるので暇さえあれば構うようにしているだの、おれの疑念を深めるものばかりで腹立たしい。
無論、確証はない。けれど、少しでも疑いがある以上、もうこれ以上一時もヅラ子さんの側において欲しくはないのが本音。
夜毎仲良く一緒に眠っているといった話に心をかき乱されながらも、どうすればその猫とヅラ子さんを引き離せるかを考える。
いっそ捨ててしまうようにと言いたいところだが、それを言ったらお終いだ。ことは穏便に運びたい。
まず、面倒を見続けるのも大変だろうと引き取りを申し出るのはどうかと閃いたが、それじゃあまるで本腰を入れて攘夷活動に専心しろと言ってるようなもんだと気づき却下した。
次に飼い主を見つけ出してやることを思いついたが、猫の正体が沖田だった場合、飼い主など存在しねぇとこれまた没。
ああでもない、こうでもないと悩んだ末に出した結論は、正直に話すこと。ただし、沖田の名は出さずに、だ。
あんたが可愛がってる猫は、ひょっとしたら猫に化けてる人間かもしれないのだと。捨てろ、とは言わねぇがそのつもりで世話をして欲しい、と言えばいい。
突拍子もない話でも、一度猫になったことのある(らしい)身だ、ヅラ子さんも全面的に信じてはくれなくとも気をつけるくらいのことはしてくれるはず。
それで、本当に中味が人間らしいと察すれば、相応の対応をするはずだ。
そうだ、それでいいじゃねぇか。堂々巡りの果てに振り出しに戻った徒労感はあるが、仕方ねぇ。
こんな簡単なことに、もっと早く気付くべきだったな。人間焦ると判断を誤るというのは本当だ。
「桂」
未だ気分よく猫語りをしているヅラ子さんの注意をこちらに向けるべく、あえてそう呼んだ。むろん、ごくごく小さな声で。
それでも、桂は、ヅラ子さんは話をやめない。けれど、それはあくまで表面上、しっかりおれの方に意識を向けてくれているのが解る。これもまた、周囲を憚ってのことだろう。
「よく聞いてくれ。あんたが世話をしているその猫だがなー」
「ようやく飼い主が見つかりましたぜ」
いきなり、背後から悪魔の声が降ってきた。
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