「衒猫」 後篇
沖田。
とんでもない伏兵の登場に慌てるおれに対して、ヅラ子さんは落ち着き払っている。なんの断りもなく無遠慮に隣に座った沖田に「感心せんな未成年者が」と言うだけ。そのくせ、
どうみてもソフトドリンクの入ったグラスを渡してやっている。
「家に来るなと言われるんでね、こっちに来やした」
「だが店に来い、と言った覚えもない」
「いい知らせはなるべく早い内にという心遣いでさぁ」
にこやかに言い、素早くおれのボトルに手を伸ばしかけたところをヅラ子さんに見咎められ、手の甲を叩かれている。
「飼い主ーというのはその……」
「ああ、貴様が気にしてくれていた猫のな」
「へぇ……土方さんが猫に興味があったなんて初耳でさぁ。なにをそんなに気にしなすったんで?」
いかにも不思議だ、といわんばかりに大げさに驚いてみせる。わかってるくせに嫌な野郎だ。
そもそもなんだぁ、そのわざとらしい芝居は。気付いてねぇかもしれねぇが、小首傾げるのはやめろ。てめぇがやっても可愛気の欠片もねぇんだよ!
「てめぇこそどうした。休暇まで取って猫の飼い主捜しか?似合わねぇな」
「行き掛かり上仕方ねぇんでさぁ」
「その通り。自分で拾ったものは自分で責任をとるべきだ」
「拾った?総悟がぁ?」
確か、雨の中様子を見に庭に出たら飛びつかれたーって話じゃなかったか?
「雨の中子猫を保護したのはそやつだ」
幾分残念そうにヅラ子さんが教えてくれる。確かに「自分に」飛びついてきたとは言ってなかったよなぁと納得する。が、
どれだけヅラ子さん家に入り浸ってやがるんだこいつは。てか、攘夷浪士の隠れ家を見つけたらほいほい遊びに行かねぇで、まずおれや近藤さんに報告しやがれ!
「あまり大げさにするのもどうかと思いやしてね、役割分担をしただけのことでさぁ」
「なにが役割分担だ、聞こえの良い嘘を言うな。世話も飼い主捜しもおれが引き受けると言ったのに、勝手に休暇まで取りおって」沖田の空いたグラスに目を止めると、新たにオレンジ色の液体を注ぎながら、
「ま、そのお陰でこの二、三日、いきなり飛んでくる物騒なろけっと弾で市民生活が脅かされることが
なかったし、たずね人も見つかったのだから、よしとせねばならんようだな。結果おーらいというやつだ」揶揄するように言う。
「そうでもしねぇと、あん……ヅラ子さんの遣り方じゃ、色々と問題がありやしたんでねぇ」
「何が問題だ。貴様らがあちこちに貼りまくっている手配書などよりよほど素晴らしい貼り紙を鋭意作成中だったのだぞ」
「貼り紙?」
「よくある”探しています”とか”預かっています”ーってやつでさぁ」ヅラ子さんにかわって沖田が答えた。
「百歩譲って貴様だけが聞き込み役をしてもだな、おれの貼り紙も使えばもっと早く見つかったかもしれではないか」
ヅラ子さんは不服そうだ。それに、言っていることも正論に聞こえる。
「あのビラ、そりゃ、人目を引く出来映えだったことは認めまさぁ。けどー」咎めるような視線をヅラ子さんに向け、「いくらなんでも連絡先に自宅住所と電話番号まで
記載するのはやり過ぎでさぁ」どこかゾッとしたような顔で咎めている。
住所に電話番号だぁ?
「あんた、本気でそんなもん貼り出す気だったのか!?」
「無論だ。飼い主がせっかく貼り紙に目を止めてくれても、どこに連絡していいか判らないようでは困るではないか」
真顔で言うのが怖ぇ。てか、そりゃ携帯か?それともまさかひいてるのかよ固定電話!
「あちこちに貴様らの立てた高札があるからな。いくらおれの手配書を貼ったところでなんの役にも立たんのだし、少しの間借りてもよかったろうに」
上から貼るつもりだったのか!?どんな嫌がらせだ、そりゃ!
多分、おれは形容しがたい表情で沖田の方を見たのだろう、おれの視線に気付いた沖田も「おまけにでかでかと”〜〜〜〜〜”って記名まで……。考えられねぇや」
さすがに桂小太郎とは言えず言葉を濁しながらも、いかにもうんざりした様子で頭を振った。
これほど困惑した沖田の顔など見たことねぇが、気持ちは解る。警察をおちょくろうとしてのことなら、腹は立っても理解は出来る。が、今回はそうじゃねぇ。
おれたちを揶揄する気持ちが微塵もないと思うほどおれもお人好しじゃねぇが、それでも、多分、子猫の飼い主探しによかれと純粋に思ってのことには違いねぇんだ。だからこそ怖さが増す。
この年になってまだ良識や分別ってもんが備わってねぇのか、あんたには!
「あのなぁ、ヅラ子さん……あんた……」
「無駄ですぜ、土方さん。このお人に指名手配犯らしくーなんて言うのが洒落になんねぇことくらいわからねぇんですか。それじゃまるでブーメランテオリスみてぇじゃねぇですかぃ」
「なにわざとらしく不思議技名使ってんだ!普通にブーメランって言いやがれ!」
「飛去来器とは上手いことを言うではないか。出来ればうんと大きな弧を描いてから、敵の住まいに飯をたかりに来る奴や、バイト先にまで顔を出す奴らに派手にぶつかってもらいたいものだな」
軽い言い争いにしたり顔で割って入られ、おれたちは返す言葉もなく、それからはただ静かに水割りとジュースの入ったグラスを機械的に口に運んだ。
「土方さん、ひょっとして信じたんですかい?」
歌舞伎町が本格的に喧噪に取り込まれていくという時刻、おれと沖田は二人して大方の人の流れに逆らって歩いていた。
沖田から迷い猫の飼い主について書かれたメモを渡されると、ヅラ子さんは律儀に礼を言ったが、すぐに「用はすんだであろう?ここは未成年のいていい場所ではない」と立ち去るように促しもした。
「そうだ、お子様はそろそろ帰るこった」
加勢したつもりが、部下の監督不行き届きだとおれもまた譴責を免れなかった。
完全なとばっちりだ。だが、”子ども”をちゃんと連れ帰るようにと仰せつかってしまい、二人まとめて追い立てられるようにして店を出された、その帰りのこと。
「なにが?てか、なにをだ?」
沖田の言いたいことは解っていたが、素直に答えてやる義理はねぇ。うまくかつがれたと認めることも、だ。
「そう言うてめぇこそどうなんだ?」
「おれですかい?たとえ方法が解っても、おれは猫なんかになっちまうのはまっぴらでさぁ。ただー」
「ただ、なんだ?」
「どっかの莫迦をからかうにはもってこいじゃねぇかとは思いやしたけどね」
「莫迦とはなんだ!」
「語るに落ちるって言葉ひょっとして知らねぇんですかい、土方さん?いい年して、情けねぇったらねぇや」
憎々しげな物言いに、殴ってやろうかと拳をあげかけてーやめた。
誰に聞かせるわけでもなく、「あーあ、これでまた宿替えされちまいまさぁ」と平坦に言う声に、淡い寂寥が混じっていた気がした。
総悟のことなので空耳だったかもしれない。いや、十中八九空耳だったろうが、そういうことにしておこうと思った。
もしかしたら、こいつこそ疑ってしまったのではないか?そう思い当たったので。
目の前で庇護される猫を見て、おのれの立ち位置をはっきりと思い知らされてしまったのでは?自分も、この猫と大した変わりはないかもしれないのだと。
下手をしたら、心の底では”敵”とすら認めてもらえてはおらず、まとわりつく若輩者を無碍に出来ず、嫌々ながらもあやされているだけなのでは、と。
己が姿をだぶらせてしまったその猫を見ていたくなくて、桂の側に置いておきたくなくて、それで……。
嫉みではなく、嫌悪感に突き動かされた。その方が、庇護してしまった小動物哀れさに飼い主捜しに奔走したなんて信じるより、ずっと「らしい」。
おれも莫迦だが、こいつも大概莫迦だ。
「ニタニタ笑うの気味悪いんでやめてくだせぇ。それに、道、間違えてますぜ。もうボケちまったんで?」屯所はあっちだと指さす。
莫迦の言うことだと思えばさほど腹も立たねぇ。今は、な。
「間違っちゃいねぇよ。この先に旨いめし屋があるんだ、てめぇもついて来い」
「……なに企んでるんですかぃ?おれぁ犬のエサはごめんでさぁ」
「なぁに、ただの気まぐれだ。同病相憐れむって言葉知らねぇのか?それにおれたちゃ猫以下、いや、猫未満同士。仮に犬のエサでも文句は言えねぇ身分じゃねぇか」
沖田が露骨に嫌そうな顔をしたので胸がすいた。
今夜はこれくらいで勘弁してやらぁ。
啀み合って食うめしは旨くも何ともねぇからな。
さっきまでかろうじてあかね色を残していた空は闇の色に取り込まれ、月が光を増していく。
本格的に暗くなる前には着きたいと歩みを速めても、少し離れて同じ速度でついてくる気配。それを心地よいと感じていることに驚きながら、土方は段々と灯りの増えていく町を抜けていった。
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