「来るぞ!」
「わーってるよ!」
「だったらぼさっとするな!」
「てめぇこそ、足手まといになるなよ!」
「貴様、誰に言っている」
「もちろん、てめぇだよ、桂」
「桂じゃない!ヅラ子だとさっきから言っておろうがぁぁぁぁ!!」
って、なんでおれはこいつにいきなりアッパーくらってんだ?てか、ヅラ子ってなんだ!!!
誰かおれに説明してくれぇぇぇぇ!

浸透圧 その1

仕事帰りに性懲りもなくつれないだけの女の店に行き、性懲りもなくカモにされた挙げ句、性懲りもなく叩き出されたおれの上司は、これまた性懲りもなくおれの携帯にSOSの連絡をしてきた。
深夜、金もなくへべれけに酔いつぶれ、「屯所まで帰り着ける自信がないぃ!」とどうやら鼻水をすすりながら泣きつくので、タクシーで店の前まで迎えに行った。
あまりの酒臭さと泣き声の大きさに閉口し、一緒に車内に籠もるのを即座に諦めたおれは近藤さんだけをタクシーに放り込んだ。かなり迷惑な客には違いないが運転手には予め多めの金を渡して、仕事の内と諦めてもらう。
いい加減あんな暴力女なんざ諦めりゃいいのによ、と思わないでもないが、近藤さんが惚れるくらいだ、どこか他の女とは違った美点ってもんがあるんだろう。
確かに美人っちゃ美人だし、芯も強い。
しかし、あの万事屋をもってして”ゴリラに育てられた女”ってんだからな。
あ、ゴリラ関係でお似合いなのか?
いやいやいやいや、いくらなんでもそれはねぇな。
すまねぇ、近藤さん。

やれやれ。せっかくのオフだったってぇのに、締めがこれかよ…。
さすがに人通りも少なくなってきた時間帯に素面で繁華街を一人歩く虚しさが、おれに埒もないくだらない考え事をさせているようだ。
気分転換でもーと思い袂から煙草とライターを取り出そうとした時、うっかり立ち止まったのが全ての元凶だった。

後ろから走って来ていたらしい男が、おれが急に立ち止まったせいでだろう、思いっきりぶつかってきた。
「あ、すまねぇ」
咄嗟に謝り、ぶつかった拍子に男が落っことした小さな袋を拾ってやろうとしてその場に屈んだ。
なのに、そのおれをまるっきり無視してそいつは全力で走り出した。
「おい!おまえ、これ落としたぞ!」
充分聞こえているはずなのに、男はこちらを振り向きもしないで走り去ってしまった。
とりあえず、追いかけようと拾ったものを袂に入れかけた時、奇妙な連中がおれの前に現れやがった。

「すみません、それをこちらに渡して下さいませんか?」
丁寧におれに話しかけてきたそいつは、見た目こそは上品そうだった。が、そのでかすぎる体躯や強面からただようきな臭さは、素直に言うことをきくのをためらわせるのに充分だった。
しかも、付き従っている手下連中にいたっては、怪しげを絵に描いたような有様。
「ダメだ。生憎、これの持ち主はおまえらじゃねぇことをおれは知ってんだよ」
「それは違います。あの男が我々から盗んで走って逃げていただけです」

誰が信じるかよ、そんな与太話。
「おれにおまえの言うことを信じてやる義理はねぇ。事情はこれから一緒に警察に行って、そこで言うことだ」
そう言っておれは袋を袂にしまい込んだ。
すると、案の定、見せかけの上品さをかなぐり捨てた男たちがおれを取り囲みやがった。
お約束すぎて涙がでらぁ。三文芝居もここまでひどいのは早々みあたらねぇ。
とはいっても、おれはオフとあって着流し姿。帯刀もしてねぇ。やっぱちっとまずかったか?
しかし、連中の方こそどう見ても丸腰だ。
数では当然かなわねぇが、負ける気は全くしてねぇ…のに…
「そこで何をしている?」
なんて、どこぞの正義漢が口をはさんできやがった。
全く迷惑な話だ。
おれは大丈夫、怪我するから向こうへ行ってろ!そう言ってやろうと思って開いたはずの口が思わず固まってしまった。
凛と辺りに響いた声は確かに男のそれだったのに、その声の持ち主は、夜目にもそれとわかる程の妙齢の美女だった。


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