浸透圧 その7

「おれぁ、この前、あんたが転生郷を横流しして、資金源にしようとしてるんじゃねぇか…って」
怪訝そうに、綺麗な眉がひそめられる。
「でも、春雨に殴り込んだのがあんた…じゃない…そのキャプテンなんとかって奴なら」
「なんとかじゃない、カツーラだ!」
やれやれ、なにをそうムキになる必要があるってんだ?
でも、あんたそういう人だったよな。
おれ、だいぶあんたに慣れちまったみてぇだ。
喜んで良いのか、悲しんで良いのか解んねぇけどよ…。
「ああ、そのカツーラさんなら、あんたが横流しだのしようなんて思うはずがねぇのによ…」
だから…すまん、と続けたかったのだが…
「ふん、そんなことか!」という一言でばっさり切られちまう。
おいおい、おれぁ、これでも随分後悔したんだぜ。
口には出さねぇが、あんたを傷つけちまったんじゃないかと痛ぇ腹抱えながらもやきもきしたってぇのによ。
「いいか、芋。おれは貴様等に何と思われようと痛くも痒くもない」
貴様等、とここでも十把一絡げ扱いかよ。
ま、そうだろうがよ。
「いや、違うな。貴様等だけではない。己以外の誰であっても、だ。おれはおれの信じるように、正しいと思うことをやるのみだ。それを誰にどのように思われようが、そんなことはどうでもよい」
ああ、やっぱりこいつは強ぇ。
見た目とは全然違う。
そりゃそうか。
そうでなきゃ、今のご時世、攘夷党党首なんてはれねぇか。
「それにしても、そんなことを気に病むとは、貴様案外と硝子のはあとだな」

そう言って、ヅラ子さんは艶然と微笑んだ。
ああ、やっぱ綺麗じゃねぇか。
その微笑みを見て、おれは悟った。
あんたに謝らなきゃならねぇと思った気持ちに嘘はねぇが、それはただの口実だったてぇことに。
おれは、あんたに、ただ会いたかっただけなんだな。
なんてこった。
あんたは、あの桂だってぇのによぉ。
やばい。
やばいぞ、おれ。
てか、めちゃくちゃ気まずくなってきた!
今からどうすりゃいい?
このままここにいたらとんでもねぇことを言っちまいそうだ。
だれか何とかしてくれ!
おれの焦りが伝わったらしく、ヅラ子さんが訝しむような様子でこっちを見ている。
「どうしたのだ、芋。黙りこくって気持ちが悪いぞ」
言葉は辛辣なのに、小首を傾げて尋ねてくる様は、今のおれには目の毒でしかねぇ。
なのにー
「ひょっとして酔ったのか?」
え?
なに顔近けてきてんだ?
やべ。
今、おれはどんな顔をしてんだ?

「はい、これ。ヅラ子の落とし物ですってよ」
おれの窮地(?)を救ってくれたのは、気怠そうな声。
声を追ったおれの視線の先にいたのは、くるくるツインテールのおかまが一匹。いや、違う。こいつは…
「パー子、貴様も今日は仕事だったのか?」
ヅラ子さんが親しげに呼ぶ。
はぁぁ、パー子?
なんだそれ?
こいつはどう見てもあの万事屋じゃねぇか。
どうなってんだ?
こいつもここで仕事してんのか?
ありえねぇ…こともないか。
化け物揃いのこの店じゃ、こいつでも結構マシな部類のはず…だ。
気のせいじゃなく、万事屋は完璧に不審そうだ。
こってり紅が塗られた唇がすこし不服そうにゆがめられている。
そりゃそうだ。
ヅラ子さんは攘夷志士でおれは真選組。
とてつもなく奇妙な取り合わせだろうよ。
「さっき店に総一郎君が来て、『これをヅラ子さんって人に返してぇんでさぁ』って。落とし物なんだってよ、おめぇんだろ?」
おかま言葉はやめて、いつもの話し方で万事屋がヅラ子さんに差し出したのは、あの髪紐。
総悟ぉぉぉ?
油断も隙もねぇ!
「しかも、『もし店出てるんなら、ぜひ直接渡してぇんですがねぇ』ーだとよ。一応いねえって言っといたけど、なに、あれ?」
ああ、そりゃ完璧にばれてらぁ。
おれのことも。
ヅラ子さんの事も。
なんでだ?
おれは近藤さんにだってひとっことも言ってねぇってぇのによ!
おもしろがってにたにた笑ってやがる総悟の顔が目に浮かぶ。
「ん。おれのだ。総一郎くんとやらが誰かは知らんがな」
ヅラ子さんはそう言って、万事屋の手から髪紐をあっさり受け取った。
そうして、紐の片方の端をつまんでだらんと下げてみて、「もう使えんな、これは。擦れて所々切れている。残念だ」と小さくため息。
そりゃ、あんだけ酷使したんだ擦り切れもするだろうよ。
髪紐は髪を結わえるもんで、人間の手首を足首と縛り付けるためのもんじゃねぇからな…。
「あとでてる彦くんに謝っておかねばな」
今度は大きくため息をつくヅラ子さん。
てる彦くん、そりゃあ一体?
「ヅラ子ったらぁ、お客さんの前で他の男の話はダメよぉ。ほら、大串くんなんか焦ってるしぃ?」
だれが大串だ!
てか、他の男ってなんだぁ?
「あんなに大事にしてたのに、何に使ってそんなボロボロにしちゃったの?なんでそれを総一郎くんが持ってたの?で、なんでそれがおめぇのだってバレてんの?」
おれのもやもやをそのままにして、万事屋がヅラ子さんにたたみかけるように質問の雨を降らせる。
先にてる彦ってやつの話を聞かせろよ!
こいつ、おれになんか恨みでもあんのか!…って今更か…。
「この前の夜、これで縛った。生憎持ち合わせがなかったんでな」
って、説明になってねぇだろ、それ!
なんも解んねぇぞ、万事屋は。
なのにー
「ふーん。この前の捕り物?また転生郷だっけ?」

…なんでそれで解るんだよ、万事屋……
「真選組のお手柄ってことになってるけど、あれにおまえも関わってたってーのね?」
そういう万事屋の顔が不機嫌そうなだけでなく、気遣わし気な色も含んで見えたので、おれはなんだか見てはならないようなものを見た気になった。
そして、おれは気付いたのだ。
ああ、こいつもか、と。
そして、当然むこうもおれの事に気付いてやがるってことにも。

「で、今回は春雨の集団と切った張ったはやらかしてねぇんだろうな?」
…今回は?
こいつ、桂と春雨の一件を知っていやがるのか?
たった二人の侍が春雨を襲撃したという…例のあの……一件を?
おい、まさか…おまえが?
そういやぁ池田屋の時、こいつら一緒にいやがったっけ。
もし、もしおれの考えが当たってんなら、もう一人の侍ってのは…おいおい、こいつら一体どういう繋がりなんだ?
愕然としているであろうおれの顔を見て、万事屋が勝ち誇ったようにニタリと笑う。
けっ、勘に障る。
にしても前々から思ってたが本当に馬鹿だ。
攘夷志士と関わりがあるなんて、てめぇから真選組にアピールしてどうする気だ?
違う。
これはわざとだ。
なるほど、今やおれも同類、同罪だと万事屋に見なされてるだけだ。
ふん。
よく解ったぜ。
それで先制攻撃ってわけか?
実に解りやすい野郎だ。
それならおれもーと横に座っているヅラ子さんの肩をぐっと抱き寄せた。
万事屋がひきつったような表情をしたのは、おれのせいだったのか、それともおれの背後に迫る影のせいだったのかー?

おさわりは禁止だ、とママのごつい腕でテーブルに叩きつけられるまでおれに残された時間はわずか数秒だけ………。


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