浸透圧 その6

「ヅラ子をご指命?ああん、妬けちゃうわぁ。お客さんいい男だものぉん。ヅラ子、今呼んでくるからお席の方で待ってらしてぇん」
…ヅラ子。やっぱマジでそれが源氏名か?で、やっぱこの店でバイトしてんのか?
おれの目の前にうようよいるのは、髭のそり跡も青々としたいわゆるおかま達で、この店とは『かまっ娘倶楽部』という薄気味悪いおかまバー。
腹の傷はもう治ったってぇのに、頭がまだ痛ぇ。

桂…じゃない、ヅラ子の話を聞かされている間に意識を失ったらしいおれは、気がつくと屯所の自室で寝かされていた。
なんでこんなことになっているのか判らないおれに、山崎が知る限りの事情を説明した。
なんでもあの夜、おれが屯所に電話をかけてきて、誰でもいいから迎えに来い!と言ったのだそうだ。
(誰がそんなこと言うか!そりゃ、桂だ。あんな似てないモノマネに騙されやがって!)
場所も説明せずに、それきり何も喋らなくなったおれを皆が心配して大騒ぎした挙げ句、携帯のGPS機能を思い出した、と。
(そこはさっさと気付いとけや!)。
腹立たしいことにおれを見つ出したのは沖田だそうで、通話中になっている携帯を握りしめ、それはそれは無様に路地裏に転がっていやしてねぇ、だと。
又聞きだから一字一句間違えないよう伝達しせねば、と気を遣うのは勝手だが、その前に表現の方に気を遣え!とおれは 心の中で山崎に思いっきり一発くれてやった。
実際ぶん殴っても罰は当たらねぇ言われようだったが、生憎そんな根性はなかった。なにしろ腹が痛かったのだ。
で、おれのそばには大男が転がっていて、なぜか髪紐らしきものできっちり縛られていたのだとか。
それも右手首と左足首を背中で結わえられるというとんでもねぇ縛り方。
中途半端なエビぞり状態にされた男は苦悶の表情を浮かべながら、少しでも楽な体勢をとろうと必死になっていたそうだ。
まったくやることに容赦がねぇ。第一、あんなでかい男をえびぞらせるなんて、やっぱとんでもねぇ馬鹿力だ。
とりあえず訳が分からないままそいつもろとも屯所に連れ帰り、ひとまずおれを寝かせようと着物を脱がせたところ腹から血が出てるわ、懐に奇妙な袋を入れてるわで、また騒動になったのだそうだ。
(全くなんでも騒ぐ連中だ。上司の顔が見てぇもんだ。おれ以外のな。)

どうやらおれは、例の匕首できっちりやられていたらしい。
全くもってみっともねぇ話じゃねぇか。

なんにせよ、おれが眠っている間に袋の中身が転生郷としれたため、皆で大男の取り調べをしながらおれが目覚めて何らかの説明を加えるのを待っていたーということだった。

おれは桂のことも含めて、事の顛末を正直に近藤さんに語った。
妙な男がおれとぶつかった拍子に落としたのが、実は転生郷だったこと。
そのせいで、売人グループと思われる連中と関わる羽目にったこと。
そこに桂が来たこと。
自分を負傷させたのはその中の誰かで、桂ではないこと。
それが証拠に、大男を縛り上げたのも、屯所に連絡を入れたのもおそらく桂であること、等々。
ただ、ヅラ子と桂が名乗っていたことは伏せておいた。
何となく、その方がいい気がした。
ひょっとしたら細かい点ではつじつまが合わなかったかもしれねぇが、おれの怪我を自分のせいだと思いこんでしょげかえっている近藤さんには怪しむ余裕もなかったようで、おれの話はそのまま受け入れてもらえた。

おれと近藤さんは転生郷を残したままにした桂の意図を考えた。
そして、それは後はおまえたちでなんとかしろーというサインなのだということに落ち着いた。

幸い、手当をされることなく放っておかれた腹の傷は見た目ほどには酷くはなく、おれは起き上がれるようになるとすぐに、とんでもない落とし物をしていったあの男や、でかぶつの手下どもを探し出すことに必死になった。
その甲斐もあって、売人グループは一網打尽。
その連中の取り調べの最中にも、「桂」という名は怨嗟と共に何度も口にされたが、「ヅラ子」という名前は出されなかったのは運がよかった。
桂にも、多分、おれにとっても。
買った男も見つけ出してすぐに捕縛した。
取り調べてみるとその男はあくまでも個人使用が目的で、グループの連中が疑っていたような密偵やおとり捜査員ではなかった。
男を病院送りにし、事件は一応の解決をみ、珍しく(?)真選組のお手柄としてそれなりに大きく報道されたのがつい先頃。
だから、顛末は桂も承知していはずだとは思ったのだが、会ってきちんと報告するべきだとなぜかおれはそう思ったのだ。

さすがに売人グループの調査のついででは桂の居所を知ることは出来なかったが、着物美人のヅラ子さんはその道では有名なようで、2、3その手の店を回っただけですぐにバイト先が割り出せた。
源氏名とはいえ正直に名乗りすぎじゃねぇか?
おれとしては助かったが、その危機感のないことにあきれ果てる。
あいつの頭ん中見てみてぇ。
そうしてこの前の一件後の初めてのオフの日、おれはヅラ子さんに会う為にかまっ娘倶楽部へと足を向けたのだがー

「…ヅラ子です」
愛想もくそもねぇ声が降ってきた。
「なんだ、貴様か」
おれを見るなり愛想のなさに拍車がかかった気がしたが、そんなことはどうでもいい。ただ、ああ、また会えたーと思うだけ。
で、何をしに来た?と問いたげな視線がおれを射貫く。
気合いでのまれてなるものか、とグッと腹に力を入れて(あ、ちょっと傷にひびいた…)、意図的に落ち着いた声で伝えた。

「みんな、終わった」とだけ。
桂は、こくりと頷き「知ってる」と言った。
それだけ。
そのあとは、桂がくるくる回すマドラーの音と、かき回される氷がグラスにぶつかる音だけがやけに大きく聞こえるのみ。
違う。
おれはこんな話をしに来たのではない。
もっと違う。何か…。
「で、わざわざそんなことを言いに?」
そうだ、もっと違うなにか。
なのに、なにも浮かばない。
そのくせ、おれの口は勝手に喋りだしてしまう。
「だってよ、アレをおれの懐に入れたままにしておいたってこたぁ…」
「勘違いするなよ。貴様等にやってもらった方がおれたちの手間が省けて良かったのだ。その時間や労力をよそに回せたからな」
ふん、とおれに皆まで言わせず小馬鹿にしたように言う。
おーお、言ってくれるじゃねぇか。
「じゃ、なにか。おれは、おれたちはおめぇにいいように使われたのか?」
「どうしてそうなる?貴様等が追っても得られる結果は同じだったのだ。そのきっかけやプロセスなどはどうでもよくはないか?」
「…………」
「それに、その程度の仕事をはさせられると思う程度には、おれは貴様等をかっておる」
「褒めてるつもりか?だがな、全然喜べねぇぞ。むしろ腹立たしいぜ」
「なんでおれが貴様等を褒めねばならん?だがな、喜んでおいた方が良いぞ、芋」

片方の口端を揚げて、シニカルな笑みを浮かべ、おれの目をじっと見てくる。
ああ、今はヅラ子さんじゃねぇ。
おれのよく知る桂そのものだ。
「そもそも、それくらいの利用価値があるゆえ、おれ達からは貴様等に積極的に危害を加えようとはしていないのだからな」
思わず身構えたおれに浴びせられたのは痛烈な一言。
あまりのことに返す言葉も浮かばないおれに
「貴様等を潰すのは簡単なのだぞ。大将の、首を取ればよい」
とにやりと笑う。
こいつ、なんてこと言いやがる!
近藤さんを殺ろうってか?
それが誰であろうと、おれは絶対に許さねぇぞ!!
「せんがな」とまたにやり。
ったりめーだ、おれはその思いを込めて睨み付けてやる。
それにも余裕の笑みで「本当に簡単なことだぞ」と返してくる。
こいつは!
「真選組は近藤あっての組織だ。近藤がいなくなれば所詮烏合の衆。大儀も何も持たぬ殺戮者の群れに成り下がるやもしれんな」
痛いところを突かれてる。
そうだ。もし、近藤さんを失うようなことにでもなったら、おれたちは果たして警察官としての自我を保っていられるのか?
真っ先に、沖田がそして自分が仇討ちに奔走するシーンが頭に浮かぶ。
それ以上は想像するのも怖ぇ。

「おい」
押し黙るおれに、ヅラ子さんの声が聞こえてきた。
「どうしたのだ?なにやら落ち着きがないぞ、芋。さては先ほどの話がこたえたのか?せん、と言うておるのに」
相変わらず桂らしい物言いのくせに、どこか暢気な言い草ぐさに、こちらの肩の力までも抜けちまう。
と同時に、やっぱりヅラ子さんと桂はよく似ていやがる、と当たり前のことを強く感じた。
この二人の境界線はおれが初めに感じたよりももっと曖昧なもんだ。
それに気付いちまったんだ、落ち着かなくて当然じゃねぇか。
おれは桂じゃなくてヅラ子さんに会いに来たってーのに、やっぱりあんたはあいつであいつはあんたなんだからな。
しかも、あんなとんでもねぇ話を聞かされた後だってぇのに、その話に内容に打ちのめされたってーのに、おれの目には変わらずあんたが綺麗に見えちまうんだぜ。
あんな、あんな恐ろしいことを平気で言いやがるあんたが、だ!
それに、おれにはあんたに言わなきゃなんねぇことがある。
それなのに、まだそれが素直に言い出せてねぇときてる。
「それとも、腹の傷でも痛むのか?大したことがないようだったので放っておいたのだが…」
と、器用に作った水割りをおれに差し出しながらとんちんかんなことを言い出す。
ああ、あんたそういう奴だよな。
おれにも段々解ってきた。
にしても、大したことねぇって?言ってくれるぜ。あれでおれは気を失ったし寝込みもした。
おれの顔色をまた読んだのか、戦時中はあの程度の傷など日常茶飯事だったというようなことをさらっと言ってくれやがった。
そうか、あんた戦争経験者だっけ。
攘夷戦争の生き残り、かつての英雄様は豪勇だ。

ちくしょう、これ以上は負けてられねぇ。
グッと口をかみしめるおれを、ヅラ子さんがじっと見ている。
その綺麗な黄玉色の瞳には、簡単な言葉一つ満足に口に出せない男の面。
おれぁ、こんな情けない面さらしてんのか…そう思うとやりきれなくなった。
覚悟を決めて大きく深呼吸をすると、
「すまねぇ」
それだけ言えた。

やっと。


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