「鈍色の」 後篇

気づかなんだか?おれの近くに眼鏡をかけた地味な男がいたろう。もっとも、あの人混みでは無理もないかーという前置きで始まった桂の話。
「実は、松平から内々の伝言があると呼び出しを受けてな、ここにいた」
ぼそぼそと話をしながら二人、帰路に通りかかったのはまさしくあの日、銀時が桂を見かけたその場所で。桂はわざわざあの時と同じようにそこに立ってみせた。

「松平って、あの、松平だよな?……地味な眼鏡をかけた男って本人の変装かなにかか?」
「おれを呼んだのは本人だが、ここにいたのは代理の男だ」
そう言って桂はすぐ右斜め後ろを指さした。無駄に律儀に位置関係の説明をしてくれているらしい。その上で、いかな本人が変装していてもあの存在感は消せるものではない、と言われて銀時も頷いた。 きっと、バレる。バレないわけがない。しかもあのおっさんが桂と歩いてたりしたら悪目立ちするに違いないーてか、一般人より警察関係者や攘夷関係者がきっと気づいて大パニックになるだろう。今現在、桂本人から話を聞かされている自分だって頭の中は「?」だらけだ。 攘夷志士の桂がよりによってなんで警察庁の長官に呼び出された挙げ句、ほいほい応じたのか理解はしかねる。 けれど、松平絡みの一件なら土方の態度には納得がいく。知らぬふりを貫くようキツク言われてでもいたのだろう、見事なまでのシカトっぷりだった。内心、銀時と同じく「?」が飛び回ってたには違いないが。にしても、面白くない。
そんな銀時をよそに桂は、「今までも時折、連絡を取り合うことはあってな」とんでもないことをさらりと言う。 桂からそれ以上詳しいことは語られなかったが、裏では稀に手を組むことすらあるのではないかと銀時は判じた。
「にしてもよ、応じてやる義理はねぇんじゃねぇの?電話一本ですませればいいじゃん」
「あの場におれがいることが大事だったのだ」
「んじゃ、場所の指定くらいはおめぇがしたの?」
「いや」
「……なんかおめぇ向こうの言いなりにばっかなってね?」
「なんだ、心配してくれてるのか?」
「バッ……自惚れてんじゃねえよ!そんなやばそうな話に興味なんてねぇよ!」
必死に否定した。だって、どの顔下げて心配してるなんて伝えられようか?桂と松平ならどうせ物騒な話に決まっている。しかも攘夷絡みだ。今更攘夷の話に とやかく言える資格などない。そんなのとっくに自分で放棄したのだから。そのくせ、桂が「だろうな」とあっさり話を止めてしまったのは全然面白くないのだから困る。
攘夷だのなんだのに興味はない。これは本当だ。けれど、その松平の代理とかいう桂の連れには興味がある、大いに、だ!なんとかその点だけでも聞き出したい。やむなく「眼鏡の男ってなんでそうキャラが薄いんだ。やっぱ眼鏡が本体だからか?」グラサン男は濃いのによ ーと巫山戯てみせても「坂本のことか?確かにな」で終わり。
なんでここで坂本だよ。出すならあの松平のおっさんだろうが!「松平の話題→代理人の話」というおれの考えた話の流れを早々にぶった切るんじゃねぇよ!
急に黙り込んだ銀時を訝しんだらしい桂が自分の方を見ているのに気づいたがそれどころではない。早急に作戦の立て直しをはかるべく、銀時は、普段滅多なことでは働かさない頭を必死で回転させているのだ。あーでもない、こーでもないと まとまらない策を練っている間に、上手い具合に桂の方から救いの手がさしのべられた。
「にしても、相変わらず貴様は目ざといな」と言ったのだ。あの距離からあの人混みの中でおれを見つけるなど、と。
「それってさり気に自慢してね?」
「そうか?」不思議そうに言うので、「おめぇもおれがいるのに気づいてたんだろ?あの距離から、あの人混みの中って条件は同じじゃん。だから、おれを見つけたおめぇも目ざといってことになるじゃんか」噛み砕くように説明してやった。桂は、 「そう言われてみればそうだな」驚いたように言い、「そういう取り方も出来るのだな。気をつけねば」 真面目くさった様子で何度も頷くのが面白くて「ま、おれ相手なら自慢してもいいんじゃね?ガキの頃、隠れてるおれを見つけ出せなかったことを思えば」からかうように言うと、「ああ、確かに貴様は隠れるのがとびきり上手かったな」懐かしむように言いはしたが「先生に高杉、それとおれ以外には見つけ られるものではなかった」とんでもないことを言い出した。
「は?なに言ってんの?おめぇがおれを見つけられたことなんてねぇじゃん。いっつも焦れたしん……高杉がおめぇの代わりにおれを見つけて……てか、覚えてねぇの?」
とんだ思い出補正もあったもんだと呆れた銀時は、真実を思い出させようと熱を込めて言った。
「ん?そうだったか?」本気で覚えてないらしく、惚けた風に言うのが憎たらしい。
「そうだったか?じぇねぇよ!おめぇどんだけ図々しいの!それともぼけたのか?」
おれはハッキリ覚えてるってぇのに。どんだけおめぇに見つけて欲しかったか。でも、いっつも見つけてもらえなくて、どんだけつまらなかったか。
「おれの記憶では、しん……高杉は何故かおれが視線を送りもせず、探そうともしなかった場所からおまえを見つけ出していた気がしたのだが……」
がっかりして肩を落としているところにそんなことを言われ、銀時は混乱した。
そうだったろうか?
そう言われてみれば、焦れったいほどに桂は自分の隠れている場所の近くに来ることすらなかった気もするが……それって……え?なんで?
「ー貴様、本当は見つけて欲しかったのだろう?」
ズバリ言われて言葉を失った。
思わず立ち止まる銀時に「先生に見つけて欲しくて必死で隠れている貴様をわざわざ見つけ出すなど、全く気が利かん……」ほうっとため息をもらし「思えば高杉は”先生、先生”だったからな。貴様が羨ましくてつい邪魔をしたのだろう。考えればあれも不憫な……」初詣の帰りだというのに もう一度溜め息をつく。しかも高杉がらみで。
いや、それ違うから。
不憫なのはおまえの頭!
なんで肝心なとこだけ勘違いしてんだよ!
それでも……隠れている銀時に気づいていながら知らないふりを続けていたのか、幼い日の桂は。 そして、それに気づいて苛ついていただろう高杉……んだよ、結局そういう機微に一番疎いのはおれってことになんじゃねぇの。
唐突に明かされた十数年前の真実、鈍かった、そして今の今まで気づかなかった自分の迂闊さを呪いたくなる。 桂のことをとやかく言えたものではないのだ。
高杉の話になったせいか桂の声音にどこかしんみりとした色を感じた銀時は、ひとまず本心を押し隠し「あー、なんだ。バレてたんだ?」明るくおどけてみせる。 そんな銀時の様子に桂は少し得意げにふふと短く笑った。
久しぶりの柔らかな笑顔に「そんだけはしっこいお子様だったヅラ君が、あいつらに利用されただけなんてこたぁねぇよな?」気掛かりだったことを素直に訊けた。
「ヅラじゃない、桂だ。それに狗に一方的に利用された覚えはない」桂は力強く言う。せいぜいが持ちつ持たれつだ、と。
「向こうはおれをここに呼ぶことで抑止力の一つにしたかったのだろうし、おれは同志たちだけで事に当たらずにすんだ。狗も使いようでな」
「おめぇの連れの役割は?」
「別件について松平からの伝言を受け取っただけだ。わざわざ場所をここに指定したのは一石二鳥を狙ったのだろう、まったく抜け目のない」
「納得できねぇなぁ。抑止力云々ならあのおっさん一人だけで十分じゃん。どうせてめぇはキャバクラ遊びでもしてたんじゃねぇの」
なのに、わざわざ敵の桂に頼るのが気に入らない。
「御大だと抑止力どころかむしろ着火剤になりかねん。敵を煽ってどうする」
「むしろ、毒をもって毒を制する方を選んだっつーことかよ」
「嫌な言い方をするな。言っただろう、”持ちつ持たれつ”だ」
どういう言い方であろうと、結果、桂が真選組の役に立ったのは間違いなさそうだ。
あいつらは仕事じゃん!給料もらってるじゃん!都合のいいときだけこいつを巻き込んでボランティアさせてんじゃねぇよ!
むかつくが、口には出せず、「……ひょっとしておれらが今日、無事にここに来れてんのは、おめぇらとあいつらのお陰?」 人で溢れかえっている神社でどうこうするといったような、かなり際どい話だったのかと危ぶんで遠回しに訊くにとどめる。
「さぁな」
桂ははぐらかすが、答えはそう外れてないはず。事件になりかけた一件についての詳細はこれまた語られることがないだろうが、どうせ過激派の物騒な目論見を事前にぶっつぶしたとかそんな類。敵味方入り乱れてご苦労なこった。
「にしても、土方がおれたちに必死に気づかないふりをしているのはなかなか見物だった」
あそこまでキレイに無視されると、すぐ側まで行ってからかってやりたくなるのを我慢するのが大変だったぞーだなんて、どんな冗談。
思い切り叩いてやろうと振り上げられた銀時の手は、桂の髪にうっすらと積もった雪を払うのに使われた。次いで薄い肩に積もる雪にも。そうでもしてないと、なんだか泣きそうになってしまったのだ。 楽しげに細められた目と、寒さに紅潮した頬があまりにも幼い日そのままでー。
では自分もーとばかりに上げられた白い手には冷たい作業を許さず握り込んだ。銀時より少し小さい手は雪よりもなお冷たくて、銀時の肝までもを冷やす。どうやら長居をさせすぎたらしい。
「おら、帰んぞ」
「それはいいが……おい、銀時」
右手をかえしてもらえないどころかそのまま引っ張られ、つんのめりになった桂から抗議とも困惑ともとれる声が上がったが、離してなどやらない。
一体どうしたのだと、真面目な目が訴えているがそれも無視。むしろ握る手にますます力を込めた。どうせまた叱られるだろうと覚悟をしていたら、「逆だ、逆。右手で右手を掴まれては歩けんではないか!」 やっぱり叱られたのだけれどー。気のせいでなければ、漆黒の髪からのぞく耳朶が赤い。
「んじゃ、リクエストにこたえて」
左手も掴んでぐっと引き寄せた。
苦しいと、腕の中でもがく桂の表情は見えないが、銀時には判る。
「なんだ晋助、貴様、銀時を見つけてしまったのか」
咎めるようながっかりしたような幼い小太郎の声を思い出す。
今、桂はあの時とそう大差ない表情をしているのに違いない。多分、きっと。

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