なんでこいつを拾っちまったのか自分でも解らねぇ。
あまつさえ、自宅に匿い、こっそり呼び寄せて医者にも診せた。
解らねぇ。

なぜおれが大人しく、こいつの寝息を聞いているのか。
なぜ、時折その熱い額に手を置いてみるのか。
なぜ、吹き出す汗をそっと拭ってやるのか。
なぜ、薬を飲ませる度におれの全身にこんな甘い痺れが走るのか…?

嘘だ。
みんな嘘だ。
本当は、解ってまさぁ。
それは………。

玉響 壱

桂を橋の上で拾って3日目の夕刻、おれは柄にもなく家路へと急いでいた。
普段、滅多なことでは戻らない家に毎日のようにすっ飛んで帰るので、屯所ではちょいとした話題になっているようだ。
ご多分に漏れず、通ってくる女ができたーという類のものだ。

噂を真に受けた近藤さんが、今度会わせて欲しいなんて、花婿の父になりきっての寸劇まで披露してくれたのには閉口した。
土方の野郎に至っては泣かすんじゃねぇぞ、ときたもんだ。ふん、笑わせるぜむっつりスケベが。
それに、女を泣かすのはあんたの十八番じゃありやせんか?忌々しい。
おれがあんたの想い人と一つ屋根の下で寝泊まりして、その夜毎その寝顔を拝んでいると知った時のあんたの顔、見てみたいもんですぜ。

おれは物音一つしない静かな家に入るとすぐ、桂を寝かせている床の間へ向かう。
「っ…は…」
途中、部屋の中から吐息と共に切な気な小さな声が漏れ聞こえてきた。
その声がおれの心を掻き乱す。
なんだってぇんでぇ、まったく。土方じゃあるまいし、男の声に反応するなんて、らしくねぇ…。
襖にほんの少し隙間を作ってあったので、そっと中の様子を覗いてみる。
段々近藤さんじみてきたようだが、なに、覗いている相手が違わぁ。若い娘と攘夷志士じゃぁ、天と地ほどの違いがあるってもんでさぁ。
限られた視界で確認できたのは、桂がどうやら自力で半身を起こし、布団の上に座っているらしいことくらい。
表情もなにも見えやしねぇ。
おれがこんな近くから様子をうかがっていることにも気付かねぇなんて、普段のこいつでは考えられねぇ。だから、まだ熱があるのかもしれねぇ。
部屋に入ってって熱を計った方がよくねぇだろうか?と考えてから、おれは可笑しくなった。
桂はおれのことを知らねぇ。今、いきなり部屋に入ったら驚かすだけだ。幸い刀は取り上げてあるが、いきなり飛びかかってでも来たら傷に障る……ああ、やっぱり可笑しいですぜぃ。なんでおれがあんたの熱や傷の心配なんかしてるんでしょうねぇ。
解ってまさぁ。本当は。

月明かりに照らされたあんたの額が、あんまりにも青かったのがいけなかったんでさぁ。
血の海の中に横たわっていてもなお、清冽な頬が。
かすかに漏らしていた息の甘さと、担ぎ上げたその痩躯の軽さが。
なによりも、普段晒されることのない項の白さが。

…しんすけ…
桂が悲しげに呟いた。
今、なんて言いやした?
しんすけ。高杉…晋助?
万事屋の旦那でもなく、当然土方でもなく…高杉?
なんででぃ。
意外な名前になにか抑えきれない衝動に襲われる。
「へぇ、案外と丈夫ですねぇ。もう起き上がれるんですかい?」
気が付いた時にはそう言いながら、おれは桂の前に姿を現した。しばらく様子を見ているつもりだったのに、おれの庇護下にいながらそれを知らず高杉の名を一人呟く桂を許せずに。
驚愕に見開かれる桂の両の目。綺麗な琥珀色のスクリーンに、おれの顔だけがくっきりと映っている。
たったそれだけのことが、おれの心を宥めるなんてねぇ。


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