「帰れ!」
「そんなこと言わねぇで、入れて下せぇよ」
「断る」
「あー、ほら、こんなに血が出てますぜ」
「余計に断る」
「このままだとあんたん家の玄関先で失血死しちまいますぜ?あー、死ぬ死ぬ」
「死ぬ死ぬといって人を脅す奴で、実際死んだ者など見たことないわ!」
「じゃ、おれが第一号ですかねぃ」
「………マジでか?」

わざと弱々しいく縋るおれの声に、薄く開けられた扉の隙間から琥珀色の瞳が覗く。
本当にたまらねぇ。
やっぱ、あんたは大馬鹿ですぜ。

残火 前篇※「小夜終」と「玉響」の後日譚です

「なにを突っ立ってる?」
「へい。まさか入れて貰えるとは思ってなかったんでねぇ」
戸惑ってるんでさぁ…。
「玄関先にいつまでも居られたらかなわん。それだけだ」
「それにしたってですぜ…」
「文句があるなら今帰れ、すぐ帰れ!とっとと帰れ!」
「しっしっ、ってー犬じゃねぇんですから…ひょっとして幕府の狗ってノリですかい?」
「違うわ!」
はいはい、大人しくしてまさぁ。だから、刀の柄に手をかけるのは止して下せぇ。今は。

「て、ててててっ、痛いじゃねぇですか!」
「やかましいわ!人に面倒をかけおって」
「もうちっと優しくしてくれても罰はあたりやせんぜ?」
「優しくして欲しいなら、余所をあたれ」
「つれないじゃねぇですかい。おれ達の仲で」
「どんな仲だ!?いい加減なことを言うな!」
「そりゃ、決まってるじゃねぇですか。熱い一夜を一緒にす…ぶほぉお!!」
「…それ以上言ったら、斬るからな」
そういうことは、人に鉄槌打ちをくらわす前に言って欲しいもんですぜ、桂ぁ。

「何故だ?」
「へい?」
「貴様、何故ここを知っている?何故ここに来た?何故おれに懐く!」
「一つ目、帰巣本能?二つ目、怪我してるから。三つ目、若契の……あ、嘘嘘、勘弁して下せぇ」
桂がどこから取り出したものか、おれに太い針(布団針か、あれ?)を見せつける。妙なことを言うと口を縫うぞ、という脅しらしい。
刀を向けられるより、なんだかおっかねぇ気がするのはなんででしょうかねぇ。いい勉強になりやした。
素直に頭を下げたおれに満足したのか、桂は針を一旦薬箱にしまった。何で薬箱なのかも理解に苦しみまさぁ。しかも、その薬箱ときたら…

「あんた、なんでよりによってそんな缶なんですか?」
桂がおれを家へ入れ、すぐに取り出したのが新聞紙と大きなクッキーの空き缶。その缶が赤と白のギンガムチェックときている。
「ん?可愛いであろう?」
三十路一歩手前のあんたの趣味の方が可愛いってのがねぇ…困りまさぁ。
おれは広げられた新聞紙の上に座らされ、その缶から取り出された消毒液やらガーゼやらの世話になっている。
「全く…この程度の怪我で死ぬ、などとは大袈裟な」
憎々しげに言いながらも、桂はせっせとおれの手当を続けている。
あんた、そんなんだからおれなんかに懐かれちまうんですぜ?自分で種をまいてるって自覚はねぇんですか?
「身体の怪我じゃねぇんです」
心の方でさぁーとおれは少し項垂れ、しおらしい振りをしてみせる。
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
そう言いながらも、少し気遣わしそうな顔が隠しきれていないのがこのお人らしい。一旦拾った犬や猫を絶対に元の場所に捨てに行けねぇタイプ。
一度、対価というお題目で半ばーいや、完璧にー脅すようにして関係を持たされた相手にこの世話の焼きっぷり。情の厚いタイプだろうとは思っていたが、 これ程とは…自分から押しかけておいてなんだが、実際呆れ果てるしかねぇ。おれの言うこっちゃねぇが、こんなんでよく党首なんかが務まってるもんだ。
おれの感心をよそに相変わらず桂は無言で淡々と作業を進め続け、手際良く動く両の掌がまるで白い蝶みてぇにひらひら舞う。
「…何も訊かないんですねぃ?」
「訊いたではないか。貴様は真面目に答えなかったがな」
「そうじゃありやせん…」
おれは覚えてますぜ。あの日、あんたが口にした名前。
しんすけ。
あの後すぐ、あんたらと高杉らとは決裂したらしいですがねぇ…。あんたみてぇに情の深い人が、本当に高杉を斬ったりなんぞ出来やしたか?って 訊いたら、あんたどんな顔しやす?
「わざわざおれのところに来るなど、なにか訊きたいのは貴様の方ではないのか?」
「…へぇ…まぁ…」
「歯切れが悪いな芋」
「芋でも訊いたら、答えてくれるんで?」
「…いや」
「でしょうねぇ」
今は桂が首を横に振るとつられるようにしてさらさら流れる髪があるのに安堵しながら、おれは答える。
「解っててなぜ来た?」
「自分でもわかりやせんや」
何故か今は屯所にじっと籠もっていたくなかった。
別に伊東を哀れんでるわけじゃねぇ。おれは近藤さんや土方みてぇに甘くはねぇ。あいつは自滅した。ただ、それだけなんでぃ。なのに…
「貴様…怖かったのではないか?」

桂は手は止めることもおれの方を見ることもなく、まるで独り言のように言った。


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