残火 後篇

怖かった?
このおれが、ですかぃ?
このお人は一体何を言い出すやら…。
「おれには見えるぞ。小さな野火を見つけて面白がって見ている内に、自力では消せないほどの大きな炎となってしまい愕然としている子供の姿が」
ひょっとしたら見てるだけではなく、更に煽るような真似をしでかしたのかもしれんな。
「………」
「もっと早くに消そうとしていれば、あるいは大人に知らせるなりしていれば火は大きくならずにすんだというのに」
愚かなことだ。
桂はぽつりぽつりと独り言を続ける。
…独り言にしちゃちょいと饒舌すぎですがねぃ。
「思いの外大きくなりすぎた火が、己だけならともかく己が何よりも大事に思っているものにまで迫るのを目にして、ようやく鎮火に奔走する子供の姿もな」
「そりゃまた、馬鹿な餓鬼がいたもんですねぇ…」
「ともあれ火が消えて初めておのれの過ちを振り返る余裕が出来ると、今度は怖くなったらしい」
ああ、大馬鹿だな。貴様の言う通りだ。
「もしそんな餓鬼が、あんたの…」
「あんだじゃない、桂だ!」
「…桂さんの身近にいたらどうしやす?」
桂はピタリと包帯を巻く手を止めると、おれの顔をまじまじと見つめた。
「なんだ、貴様。なんか気持ち悪い」
って…そりゃないですぜ。
「いーから、教えて下せぇ、桂…さん」
桂はまたしても気持ち悪そうにおれを見たが、今度はすぐに言った。
「叱る」
「叱る?」
「当然だ。積極的に悪いことはしてはしておらんとはいえ、思慮浅いせいで周囲に迷惑をかけたのであれば叱らねばならん」
「で?」
「幼い者であれば諭す。本当はどうすべきであったかを懇々と説いてやる。二度と同じ過ちをせぬようにな」
「もしー」
「もし。そうだな、もしも貴様くらいの歳の者であれば特に何も言わんな」
みなまで言わずとも、その先を百も承知の桂が言葉を引き取った。
「へい?」
「貴様は…てか貴様くらいの歳になれば、己の短所など充分心得ておるであろうし、その上それを自分で矯正出来てしかるべき歳だ」
だから、あれこれ言っても仕方がない。本人とてそれを十分承知のはずだ。傷口に塩をぬるのは趣味ではない。
だがなーと、桂はにたりと笑みを浮かべた。
それは、いつもおれ達から逃げる時に浮かべている人を小馬鹿にするような笑みで、おれはなんだか嫌な予感がした。

「て、てててててて!いきなりなにするんでさぁ!」
案の定、桂は包帯を一気に締め上げた。それはもう、渾身の力で。
油断してる時にそりゃねぇでしょうが。
おれぁ人をいたぶるのは好きでも、いたぶられんのは大嫌いなんでさぁ。
「おいたをしたおっきな子供は罰を受けねばならんのだ!」
そう言いながらまだまだキリキリと音がしそうな程強く締め続ける。
「あんた、さっき言ってたことと全然違いやせんか?これじゃ傷口に塩をぬるどころか擦りこんでまさぁ!」
「心の痛みなど、今暫くは身体の痛みで紛らわせておけばよい」
贖罪だの何だの考えるな。全然似合わん。それこそ気持ちが悪い。
今度ばかりはあんた呼びを咎めることなくそう呟いた桂は、相変わらず包帯を締め続けている自分の手元をじっと見ていた。 俯き加減なので表情までは窺えないが、睫の長さが強調されて、おれはいつしか大袈裟に叫ぶのを止めて、そのつくりだす陰から目を逸らせられなくなっている。
なんだか参りやすねぇ…。

突然、その睫がパッと視界から消えたと思うと、何かを探るように全身を緊張させた桂がいた。
一体何事かと思う間もなく「立て!急げ!」と矢継ぎ早に命じられ、心地よい静寂の中から追い立てられるようにして立ち上がらされる。
「なんだっていうんですかい、あ…桂」
「あんたじゃない、桂だ!とにかく急げ、ほれ!」
「まだ、あんたとは言ってねぇじゃないですかい」
「言おうとしたではないか。それに、そんなことより急げと言っておろうが!」
「何をですかい?」
「ここを片付けるのを手伝え。それが終わったら貴様もとっとと出て行け」
戸惑うおれに、桂はもうそこまで来ているぞ、貴様とてはち合わせするのは嫌であろうがーと言った。
誰が、とは訊かずともなんとなく解る気がした。
確かにこんな処ではち合わせするのは拙い。というかかなりやばい。

桂は目にもとまらぬ速さで窓という窓、戸という戸を開け放った。
そうやって部屋に籠もる血の臭いを追い出す間に、先ほどまでおれに宛がわれていた新聞紙が手際よく小さく丸められ、後で他のゴミと一緒に燃せるようにだろう外に出される。
例の布団針が収納されているクッキーの缶を奥に仕舞い終えるや否や、開け放たれていた窓や戸が今度は次々に締められる。
へぇ、速ぇのは逃げ足だけじゃないんですねぃ。
しかも、物音らしい音を一切たてない。日常生活全てが隠遁者のそれのようだ。
妙な感心をしていると、「頃合いだ。裏から出ろ」と命じられた。
「頃合い?」
おれの問いに桂が答えるよりも先に表から飛び込んできたのは「ヅラ君いるー?」という気怠げな声。

全く、怖ろしくタイミングがいいじゃねぇですかい。
おれはおそらく驚いた顔でもしていたのだろう。桂は何故だか勝ち誇ったような表情をして見せた。
「いる。入れ」と答える桂の声と、表の扉が開けられる音とに追いたてられるようにして、おれは裏の扉から外へと出た。
いいようのない胸の痛みと共に。 

手伝え、と言われた割におれにはどんな仕事も課せられなかったことに気付いたのは、家から出されてしばらく経ってからだった。


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