「あ…」

人間、たった一人不安に駆られている時に憎からず想っている相手が訪ねて来てくれたら、どれだけホッとするだろう。

だが、突然の訪問者に、更に不安を募らせながら恐る恐る開けた玄関の扉の先ー目の前に立っていたのは他ならぬ思い人だったなどと…引っ越し早々、そんな莫迦げた話は、ない。 あってはならない。

訂正。
驚くほど低い確率ではあっても、起こり得ないとまでは言い切れない。
だから、あっても悪くはない。
悪くはないどころか、正直舞い上がるほどに嬉しいだろう。
が、残念ながら普通、ない。

現実にそんなことが起こったりしたら、喜ぶどころか、あまりの偶然にただ驚くのが関の山といったところか。

なのに

「どうして貴様がここにいる?」

今日はすでに二度も同じ事を問われ、あるはずのないことが己の身に起こり、あげく思い人に仏頂面で睨み付けられるように問われてなお、驚愕よりも先に 喜悦の感情がこみ上げてくるのを自覚してしまうと…
おれもたいがい終わってる。
土方十四郎はそう思った。



「不協和音」1



この物件、つい先ほど決まってしまったばかりなんだそうですよ。申し訳ございません。
あ、すみません、それ情報がちょっと古いみたいでね。
残念でしたねぇ、一足違いだったようで。
エトセトラ、エトセトラ……

言い方はそれぞれ違えども内容は皆同じ。おまえに貸す家などない!ってことだ。


おかしいだろう、と土方は思う。

貴重な休日の半分を使って不動産屋をしらみつぶしにあたっているというのに、まだ一つたりともよさそうな物件に出会えていない。
いや、どこの店でもそれなりの物件はすぐに見つかりはする。あくまでも書類や画面上での話だが。
普段屯所につめている身故、土方も雨露凌げればなんでもーとまで極端ではないにせよ、そこそこ静かで落ち着けそうな 所ならどこでもいいのだ。決して選り好みをしているわけではない。
選り好みをしているのはむしろ店、もしくは家主のほうだ。


これで何軒目だ?

土方は店に用意されたカタログやチラシ、場合によったらパソコンで、これは、と思う所を選び出し、それを店主に見せる。
店主は、はいはい、と機嫌良く二つ返事で家主に借り主が見つかりました!とまるで己の手柄のように連絡を入れ、 電話の向こうの家主に告げる為だろう、おもむろにこう訊いてくるのだ。

お客さん、お名前とご職業は?と。

そうして

そうして、土方が正直に「土方、職業は警察だ」と答えると、今までの全てが一瞬で終わってしまうのだ。

結局土方は、すごすごとその店をから出ていくしかない。

土方という名前が悪いのか?それとも警察が悪いのか?

土方としては、警察という答えが気に入られない原因であると思いたい。
不本意ではあるが!
しかし、土方、の名の方が断られる原因であると考えるよりは マシだ。

だが

店によっては土方が一歩足を踏み入れた途端、「うちではそちら様のお気に召すような物件は扱っちゃいませんよ」ととりつく島もないあしらいを 受けたことを思えば、やはり………


なんでだぁ?

普通、警察が家を借りたいと言えば、喜ばれることはあっても嫌がられることはないだろう。

身元はこれ以上ないくらいちゃんとしてるし、収入も安定している。番犬代わりは癪だが、防犯の面でも悪くない話だ。

なのに、なぜこう次から次に断られる?おかしいだろうよ!

次同じ事訊いてきやがったら、名は井上、職業は会社員です!とでも言ってやろーか?ああ?


暑い中、これまた散々歩き回って見つけた喫煙所で、土方は思い切り悪態をつきながら、ゆっくりと紫煙を燻らせながら考えを巡らせる。
やっと、肺の隅々にまで心地よくニコチンが行き渡り人心地つくと、流石に身元を偽る等という警察官らしからぬ行為をチラとでも考えた己を恥じるゆとりや、 そもそも警察が偽名を使わなければならない社会ってどんなだ?と、自分に突っ込みを入れる余裕も出て来た。

だが、このままじゃまずい。

どうしたもんか……。


寝泊まりする場所に不自由はないが、微々たるものとはいえ家財道具の置き場に困る。
なにしろ、昨日まで使っていた屋敷が使いものにならなくなってしまったのだ。

地震、雷、火事、沖田と、いつだったか彼の思い人が忌々しげに口にしたのを耳にしたことがあったが、 普段から身をもって思い知らされている土方にしてみても言い得て妙だと思ったものだ。
そして、正に今、我が身に降りかかっている災難も、全てあいつのせいなのだ!

沖田。

なんのかの理由を付けては隙あらば土方にバズーカを向ける男。
向けるだけならまだしも、実際にトリガーを引くのだから始末に負えない。

今回も土方は無事だったが、替わりに彼の住まいがまたしても大いなる犠牲を強いられた。

どうして犯罪者でもないおれが、こう点々と住まいを変えなけりゃなんねぇんだ。
今月これで二度目だぞ!?



待て、ちょっと待て!

ひょっとして、これが原因か?

なんてこった。
おれは肺だけじゃなく、脳にまでニコチンが必要なのか?
月に二度も家を吹っ飛ばされて引っ越ししてりゃ、嫌われて当然じゃねぇか!

くそ、沖田の奴!

おれはなんにも悪くねぇ。
むしろ被害者だろうが!

だが、家を貸す方にしてみりゃどっちが被害者だの加害者だのは関係ねぇ。
問題は、おれが住んでる家は遅かれ早かれ沖田によって なんらかの損害を被るという事実だけだ。


仕方ねぇ…この際、やっぱ偽名を使うしかねぇか…。

ばれた時は職務上の問題とか言って切り抜けりゃいいだけのこと。


どうやら暑さで少々おかしくなっちまってたらしいな。
このおれが、ちょっと断られたくらいで可愛らしく引き下がるなんてー


つい今し方、身元を偽ろうという考えを恥じたばかりだとこともすっかり忘れ果て、警察らしからぬ不穏な方針を定めると、土方は決然とオアシスを後にした。


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