「不協和音」8
忌々しい沖田の義兄認定されただけでも大概腹立たしいのに、奴の不始末まで自分の躾の悪さと断じられて、
さすがの土方もなんらかの反論を試みるべきだ、とは思った。
思ったのだが…なにしろヅラ子(桂)ときたら、関心がなければ人の話を聞かない、理解しない、ししようとすらしないという三重苦。
もちろん本人は痛くも痒くもない。周囲にとってだけの三重苦だ。
だめだ。
論破なんて出来っこねぇ。
それ以前におれの言葉なんてまず通じねぇ!
「あーその、なんだ。それは上司としてよく言いきかせておくようにするから」
これが精一杯のこたえ。
「上司」にアクセントを置いて強調したのが唯一の反撃だ。
それでも、その答えで満足したのか、ヅラ子はこの話は終わりだとばかりに土方を睨むのを止めた。
しかし、その上司自らが、自称ーどころか本物のー敵、に叱られているのだから始末が悪い。
この大いなる矛盾を桂がどう思っているのかさっぱり解らないのが困りもの。
ついでに大人しく叱られている自分もだ。
やれやれだぜ。
気付けば、ヅラ子はまた掛け軸を見つめている。
なにがそんなに気になるんだか。
「あんた、なにがそんなに気になってるんだ?」
「この屋敷にはしばらく住んでおった。子どもが五月蠅くするまで…
だーかーら!また話がみえねぇ。てか、堂々巡りしかけてねぇか?
…そして、本当の主が亡くなるまではな」
「亡くなった?」
ヅラ子は軽く頷くと、土方の問いに促されるようにしてその亡くなった屋敷の主とやらの話を続けた。
攘夷戦争の古強者であったこと。
その時の傷が元で温和しく隠棲生活をしていたものの、気骨は衰えず、何くれとなく自分たち攘夷志士たちを陰ながら支えてくれていたこと。
「この屋敷も全くの好意から、無期限で好き勝手使ってもよいと譲り受けた」
これだけ堂々とした構えの立派な屋敷ともなると、かえって盲点となりやすい、と。
急逝は、非常に残念であった、と。
桂は、遺族はまったくあずかり知らぬこと余計な詮索はするな、と釘を刺したとき以外は終始淡々とした口調のままで話を終えた。
「で、あの掛け軸は?」
肝心の話を聞いていない。
結局あの掛け軸は一体何なんだ?
そもそも、あんたは何をしにここに来た?
「あれは老人の残した宿題だ」
「はぁ?」
今日聞かされた話の中で、一番わけがわかんねぇ。
「てか、おれにかけられた願い、というべきか…」
「こうなってほしい的なもんか?」
「まぁ、そんなところだ」
なら…なぜここを出る時持って行かなかった?
追い立てられて逃げるように出たわけでないのなら、なぜ?
「…もしかしたら、おれは、逃げ出したくなっていたのかもしれん」
ぼそりと告げられた言葉は、普段の桂の傲岸さのかけらもなく溜息のようにあえかで、それ故土方の胸を突いた。
おそらく、その老人はあの掛け軸に、というよりむしろ四君子という題材に深い思い入れがあったのだろう。
当然、桂にも。
先ほどあの絵を綺麗だと言った自分に、ただそれだけならば、と返し、重い、とも呟いた桂の真意を垣間見た気がした。
なのに。
「と、いうのは嘘だ」
「はぁぁぁぁ?」
「全部が全部ではないぞ?んー…十分の九くらい?」
小首を傾げながら、そんな惚けたことを言う。
まったく、こいつは。
「そこ、なんで疑問形なんだ。十分の九が嘘なら、それはほとんど嘘ってことだろうが」
あとの残りはなんだってんだ?
それにこたえるつもりか、ヅラ子はつ、と人差し指を立てると、くいっと手首ごと曲げて自分の足元を指差してみせた。
「畳縁を見てみろ」
言われるがままに畳縁を見はしたものの、そこにはごく普通の畳に畳縁しかなく、土方の疑問は残されたまま。
「一文字に風帯と同じ素材、柄であろうが」
その様子を見て取ったのだろう、解説らしきものが加えられた。
当然、一文字だの風帯だのという言葉は土方にとって耳慣れないものであり、何のことかも知りはしなかったが、掛け軸の幾箇所かに
畳縁と同じ模様があることに気付くと、多分このことを言っているのだろうと察して頷いた。
「畳が先か、表装が先かは知らんが、いずれにしても誂えたのに違いない」
「そりゃまたたいそうな…」
「で、あろう?だからこそ、持ち出すのに忍びなかった。それが残りの理由だ」
「なるほど」
どこまでが本気なのかは解らないが、ヅラ子がー桂がーそう言うのであれば土方は信じるしかあるまい。
けれど。
「桂」
「桂じゃない、ヅラ子だ」
そこはキッチリ訂正する。
どんなときでもマイペースだ。
「…ヅラ子さん、あんたはなんで戻ってきたんだ?」
「おれとて、ここにこの画が残っているとは思いもせなんだからな、はじめは当然ご遺族の元を訪ったさ。そうしたら、おれと同じ理由でこの屋敷においてきた、と言われてな、それでまた舞い戻る羽目になった。それだけのこと」
「じゃなくて、理由だ。なぜ一度は捨て置いたこの画にこだわる?」
「ー十分の一だろうが百万分の一だろうが、ただの画に己を左右されてはたまらん。おれとしたことが、少々気弱になっていたとみえる」
なので、もう一度キチンと対峙せねば、とな。
言うや否や、はっはっはーと高笑いする。
自嘲的なかげりを微塵も感じさせず、それどころかすっかり自己完結してしまっている独りよがりっぷりがいかにも、桂らしい。
「それでも重いのか、まだ?」
「重いな、やはり」
「で、どうするんだ?」
「ご遺族は、一度差し上げた物なのでおれの好きにすればいいと仰った。ご老人と同じで欲も得もない方で…だからこそ、貴様のような者でもこの屋敷に住まわせて貰えるのであろうがな」
「大きなお世話だ」
「ご老人の遺志は変わらぬし、おれとて、おれ以上の者になれぬと嘆いてみても何も変わりはせん」
当たり前のことだが、画は画以上のものではない。
だからー
「貴様がここにいる間、貸しておいてやる」
「まてまてまてまて、どこをどうおせばそんな結論に達するんだ!?」
いくら桂がぶっ飛んだ性格や思考をしているからといって、この成り行きは意外すぎる。
てか、納得できない。
「徳も学識も、礼節もおれよりはるかに貴様の方に必要だからだ」
「あんたのその自信は一体どこからくるんだ!?」
「おれは開けた襖を閉めさせる程度の躾しかかなわんかったが…貴様なら暇は充分あるはず」
ほう、あれもあんたの仕業か。あんたのいうことならあいつはきくんだな。
「荷は重いぞ、土方」
人の悪い笑みを浮かべて短く言い放つと、ヅラ子はあっさりと消えた。
会釈するでなし、別れを言うでなし。
どんないじめ?
まぁいい。
厄除けくらいにはなんだろう。
義弟でもなんでもないあの悪ガキでも、この座敷にだけは手を出すまい。
この掛け軸がここにある以上。
呪いから厄除けたぁ、また随分な出世じゃねぇか、なぁ、おい。
引越祝いと厄払いを兼ねて一献傾けようと思いついた土方は、続きを思い出せない詩を調子っぱずれに吟じつつ厨から酒器を持ち出してきた。
酌み交わす相手も肴もなくとも、あの画がある。
月と己の影と酒を楽しんだ男もいたくらいだ、それで上等。
花 間 一 壷 酒
独 酌 無 相 親
挙 杯 邀 明 月
対 影 成 三 人
…………………
土方は、盃を掛け軸に向けてほんの僅かに持ち上げると一息に干した。
やはり、続きは思い出せず同じ数句を繰り返しながら。
詩に導かれてか、細い月がいつしか姿を現していたことを土方は知らない。
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