「不協和音」7
「ヅラ子さん、あんた…」
思いがけない邂逅。
だが、正直嬉しいよりも驚きのほうが勝っているらしい今の土方は、言葉を詰まらせた。
「なるほど、今は貴様がこの屋敷の主か。なら、話は早い。邪魔をする」
返ってこない答えに苛つくでもなく、ここに土方がいることを不審がるでもなく、ヅラ子は土方の脇を通り抜けてさっさと家の中へと入ってしまった。
呆然とその後を追い、吸い寄せられるように辿り着いたのは不思議にもというか、やはりというか、あの座敷。
沖田同様、真剣な眼差しを注いでいるのも、やはりあの掛け軸で。
なんだってんだ、一体?
「こら、襖くらいキチンと閉じんか」
後ろに立つ土方に気付いたヅラ子に一括された。
慌てて、言われた通り襖を閉じると、土方は
「その呪……いや、白描画になにかあんのか?」
と問うてみた。
「ほう、年嵩な分少しはものを知っているようだな」
「それくらいは常識だろうがよ」
受け売りーという沖田の言葉を思い出しながら、けれど、土方には黙っているだけの思慮があった。
さきほど、”呪いの”という言葉を呑み込んだのと同じ。
それどころか、心外だ、と言わんばかりの渋面をつくってみせる余裕までみせたのだ。
ヅラ子はふ、と軽く微笑むと、すまん、と詫び、どう思う?と続けた。
「ああ、まぁ。ぶっちゃけ絵の良し悪しは解らねぇが、綺麗な絵だとは思う」
「綺麗、か…ただそれだけならば、な…」
「ちょ、まさかあんたまで呪いの掛け軸だなんて言わねぇだろうな!」
「呪い?誰がそんなことを?」
「そりゃ…」
沖田の莫迦に、万事屋のーと言いかけて土方は詰まった。
違う。
おれだ。
最初に言い出したの、おれじゃねぇかぁぁぁぁぁ!!
「や、なんでもねぇ」
ヅラ子はきょとんと小首を傾げはしたが、それ以上追及することなく視線を土方から外すと、またしても吸い寄せられるように掛け軸へと向けた。
「…重い」
「はぁ?」
「あの掛け軸にはな、願い…というか、理想が込められているのだ」
「四君子ってやつか?」
「ほう、知っておるのか」
「なんか、こう梅が強くて、竹が真っ直ぐとか…ってやつだろうが」
「まぁ、そんなところだ」
蘭や菊のことまでは沖田から聞いていなかったのでー無理矢理話を止めさせたせいなのだがー、もし続きを求められでもしたら、と内心冷や汗ものだったが、
ヅラ子にそれ以上追及されることなく、土方は安堵で胸をなで下ろした。
「あんた、これがここにあることを…」
どうして知ってる?という言葉を土方は呑み込んだ。
聞かずとも答えはすでに知っている気がしていた。
「預かり物ではあったが、一応おれの持ち物でもあったからな」
一週間ほどの短い間だったがなーとヅラ子は溜息をついた。
「…道理で…招かれざる客ばかり来ると思ったぜ」
「おれ以外にも誰かここに来たのか?」
「あー、おれが逮捕しなきゃなんねぇような連中じゃねぇよ。そうできるもんなら喜んでしょっ引いてやりてぇ奴らには違いねぇが」
その答えに満足したらしくヅラ子はそれ以上の興味を示しはしなかったものの、微かに眉を顰めたのを土方は見逃さなかった。
「おれの言ったことでなんか気にくわねぇことでも?」
「いや、気に障ったのならすまんが、貴様の”碌でもねぇ”でちと思い出してな」
「そりゃまた一体なにを思い出したってぇんだ?」
「おれがここを出ていった最大の原因だ」
またしても”呪い”という二文字が土方の頭に去来したが、即追い払った。
その可能性はさっき否定された…とみていいはずだ。多分。
それでも、その原因がなにかを知っておかないと、後でまたぞろ不安になっても困るわけで、加えて土方の知る限り、何かに怯えるということなど天地がひっくり返ってもありそうもないこの男を、追い払うような原因とは一体なにかを知っておいた方が
よいと判断して、
「その原因ってのは?」
と聞いてみた。
「ここはよい屋敷であろう?庭も広い」
なのに、帰ってきたのはこんな答えで。
「だから、こんないい屋敷をなんで出てったのか聞いてんだよ。おれらはあんたがこんな豪勢な屋敷に住んでるなんて掴んでなかったぜ。まだ」
”まだ”、と付け加えたのは警察の意地。
相手は虫も殺さぬような顔をしていながら、実際は高笑いしながら平気で真選組のパトカーに手製の爆弾を投げつけるような男なのだ、これ以上侮られるような
発言はなるべく避けたい、その一心だ。
「おれも気に入っておったのだ」
「いや、だから…」
「なのに、たった一週間で出ていく羽目になったのだぞ!?」
「あの…ヅラ子さん?」
「貴様のせいだ」
「おれ?なんでおれ!?」
恨みがましく睨まれて土方は大いに慌てた。
なまじ整った顔立ちでじっと睨まれるとかなり怖い。
幸い今は女物の着物を着ているのでーさもないと土方のほうとて職務を思い出さねばならないところだったわけだがー
帯刀していないのが幸いだ。
下手をしたら…抜かれかねない勢いだ。
しかも、土方には全く覚えのない罪をきせられているわけで、狼狽えないほうがどうかしている。
「待ってくれヅラ子さん、話が全然見えねぇんだが」
「ここに落ち着いてすぐから子どもが騒がしくていかん」
「こども?近所のガキか?」
「近所のこどもと貴様が何の関係があるのだ!」
「や、ねぇけどよ。あんたの話は解りづれぇんだよ」
「貴様が人の話の腰を折るからであろうが!」
「わーった、わーった。聞く聞く、ちゃんと最後まで聞くから、どうか聞かせてください」
ヅラ子はふん、と鼻をならし、
「とにかく、だ。どうも躾がなっておらんようでな」
と言うといかにも忌々しげな様子でグッと腕組みをした。
だから、それがおれに何の関係が?と問いたい衝動を堪え、土方は話の続きを待った。
「やれ飯を食わせろだの、夜勤明けで眠いから横になりたいだのと…」
…それは
おれも
聞いた気がする…。
沖田、か!
いつの間に!?
迂闊だった。
道理で色々変だとは思ってたが…。
「ここはいわば適地だぞ?なんだそれは!」
敵に懐かれてるあんたにも問題があるんじゃねぇのか?
白描画だの、四君子だの、あんたが教えたんじゃねぇのか?
敵、と言いながらやけに親切じゃねぇか…とは口が裂けても言えない。
言いたくない。
もし、それをこの場で認められてしまったら、沖田に水をあけられたような気がしてしまうことだろう。
確認さえしなければ、自分の夢想を信じていられる。
あの人が弟に教えたのだ、と。
「優しい姉がいたそうではないか」
今…なんて?
ひょっとしてこいつは人の心がよめるとでも?
そんなはずはないと重々解っていながら、それでも、ひどく怖ろしい言葉を浴びせられたような気がして土方を慄然とさせたが、
更に追い打ちをかけられる事態が待っていた。
「若くして亡くなられたそうだが…。貴様、聞くところによると将来を誓った仲だったそうではないか?」
妬心の微塵もなく、淡々と継がれた言葉。
だが、それでも土方を打ちのめすには充分すぎるほど充分でー。
嘘おり交ぜてなんてこと喋ってくれてんだ、沖田!
ふざけやがって!
あんのやろう…まさか、それでおれを牽制でもしてるつもりなのか?
掛け軸のことといい、いつの間に。
あんたら、いつそんな話してんだ?
思わぬ伏兵と、その戦法に土方が頭を抱え始めたその時、
「いわば、奴の義理の兄のようなものではないか!弟ならば、兄が責任を持ってちゃんと躾ることだな、土方」
弟?
沖田が?
兄?
誰が?
おれが?
はぁぁ!?
冗談じゃねぇぞ!勘弁してくれ!
桂は…ヅラ子はこうしてまたしても強烈な一撃を土方に与えたのだった。
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