雪中花 前篇

隊士募集の遠征にはろくな思い出がねぇ。
自分のへたれオタク化はともかくとして、もう少しで近藤さんを失うところだった記憶は今でもおれに悪夢を見させる。
だからー
今度の遠征には局長自らでなく、代理で済ませようと主張したのは確かにおれだった。
けれど、おれには近藤さんの側を離れるつもりは毛頭なかったというのに、「言い出しっぺのてめぇが行けや、土方このやろー」という沖田の一言にあろうことか近藤さんまでもが同意した。
しかも、「なにも武州に拘る必要もねぇでしょう。どっかずーっと遠くの方まで行きやがれ、で、当分帰ってくるんじゃねぇぞぉ」と何故か越州へと送り出されこうやって鉄道に揺られている。

「行きは気楽な一人旅だ。江戸のことは気にせず小旅行気分を楽しんでこい」という近藤さんの言葉をありがたいと思いつつもとうていそんな気にはなれず、土方はこの先のスケジュールで頭がいっぱいだ。
隣も向かいも座席は空で、思いっきり苦虫をかみつぶしたような顔を見ているのは窓ガラスに映るもう一人の自分。
ただでさえ陰鬱なこの時期、車窓から見える景色はトンネル内での真っ暗闇か、激しく舞い踊る雪片だけ。聞こえてくるのは鉄道の音のみで、他の全ての物が息を凝らしているような静けさの中、天井の蛍光灯の青白い明かりが更なる寒さを誘っていた。
こんなんでこの先大丈夫なのか?

車内だというのに刻々と気温が下がっていくのを体感していた土方の心配は的中し、目的地まであと少しということろで鉄道は停止した。
折悪しくもう日が暮れようという時刻が迫っていたため、乗客は全員一旦降ろされて近くの宿に避難させられるという。
それぞれ防寒具をしっかり着込み、手に荷物を持って雪の中をだらだらと行進した。
唯一の救いは、乗客を受け入れてくれることになった宿までそう遠くなかったことと、その宿が少しは名の知れた温泉宿だということだった。

宿に着いた乗客達はまず2、3人ずつのグループに分けられ、部屋を割られた。当然、グループ毎の相部屋だ。
土方は、地味な身なりの中年男と二人で狭い和室に押し込められた。
まぁまぁの部屋だな。
見知らぬ男と二人というのは少し気が重かったが、それでも暖房の効いた部屋は暖かく、土方は寒さで強張っていた体がほぐれていくのを感じていた。
土方は自分が部屋の手前の方を使うと言い、男には部屋の奥に行くように促した。
出入り口に近い所に陣取ろうとするのは一種の職業病だ。変事があればすぐに飛び出していける。
暖かい部屋の中で防寒着を着ている必要もないので土方は重いコートを脱ぎ、部屋に備え付けてあるハンガーを手に取った。
それを窓枠に掛けて乾かそうとした時、じっとこちらを見ている男の視線に気付いた。
「なにか?」
土方が問うと、男は自分のぶしつけな視線に気付いたのか慌てて目をそらすと、「いえ、そんな服を着てらっしゃるので…」と幾分おどおどしながら言った。
土方はあくまで公務中なので、防寒具の下はいつもの真選組の制服姿だ。犯罪者はもとより、善良な市民をも威圧するには充分だ。
「ああ、公務中なんで。でも、ここは管轄外なんでいきなり夜中に出掛けたりして迷惑を掛けたりはしませんよ(多分…と心の中で付け加える)。念のためおれは入り口に近い方で寝させてもらいますが」
「あ、そうですか、そりゃ…どうも…。まぁ、お気遣いなく…」
男はどことなくぎこちない返事を返すと、友達三人が隣の部屋を割り当てられたので様子を見てくると言って、部屋を出て行った。
いい年をしておどおどした男だと訝しく思ったものの、土方は自分の制服姿に動揺してのことだろうと結論づけ、それ以上深く考えることはしなかった。

急の宿泊客のため乗客達に給される食事は握り飯が二個という淋しいものだったが、空腹よりも疲れが先で、一刻も早く寝床に入りたいというのが本音。 ただ、一旦芯まで冷えきった体を温泉で温めからにしたい、と備え付けの浴衣に着替た土方は風呂場へと向かった。
流石にそこそこは名の知れた宿らしく規模はそれなりに大きくて、内湯だけでなく混浴の露天風呂もあるということだったが、この寒い中露天風呂に入りに行くのはよほどの酔狂かエロ親父だけだろうと、土方は迷うことなく内湯を選んだ。
目の前にそれらしき暖簾が見えた時、湯上がりの休憩所の様な場所からくぐもった声が聞こえ、それがなんとはなしに自分と同室の男の声に思えた土方はつい立ち止まり、中の様子をそっと窺った。

中にいたのは四人の男で、一人は土方の思った通り同室の中年男だ。後の三人は、先ほど男が言っていた友達だろう。
いくら男四人の地味なグループとはいえ、その話しようがいかにも精彩も明るさもない陰気くさい話し方だったので、かえって土方の注意をひいた。
こいつら、この不景気で自殺でもしようってんじゃねぇだろうな…。

数分後、土方は外の露天風呂へと続くドアを開けていた。
注意深く聞き取った男達の話は、集団自殺でも何でもなく、ただ覗き目的に混浴露天風呂に行こう、というつまらない話だった。 ただのエロ親父の集団じゃねぇか!
一時でも聞き耳を立てた自分を悔やんだが、乗りかかった船とばかり話の終わりまで付き合う内に、ある種聞きようによっては物騒な言葉もさかんに飛び出して来たので念のため様子を見に行こうと決めたのだった。
こんな激しい雪の中、わざわざ露天風呂に入るような酔狂な女が居るとも思えなかったし、混浴と知って入っているのだから唯の覗きなら放っておいてもいいのだが、先ほど部屋で男が警察官である自分におどおどした様子を見せたことが無性に引っかかった。
ちっ…損な性分だぜ。

そうぼやきながらも土方は、露天風呂へ行く者のために用意してあるらしい長靴に足を入れた。
長靴は他にも用意されていたのだろうが、土方の見る限りこの一足しかない。 しかも、男達の脱ぎ捨てていったであろう草履が行儀悪くそこいらに散乱していた。
あいつらどれほど急いでやがったんだ。
露天風呂は宿から随分下った所にあるらしく、闇の中、階段が下へ下へと延びていた。
階段の右側は岩肌が凍て付いて、氷の固まりとなっている。その氷が、細い下り道にまではみ出していて、流石の土方も足をとられそうになる。
左側は吹き抜けで、風が吹く度に降る雪が流されて、ゆかたの襟首から容赦なく忍び込んでくる。
階段にはどういう訳かビニールシートが掛けてあるが、氷の上よりもよく滑り、最悪の状態だった。
氷の上に踵からしっかりと足を乗せ、慎重に一歩また一歩と、それでもつるりんといきそうになり、急いで左側の手摺りを掴む。転ぶよりはましだが、手摺りは十センチばかり雪をかぶっていて手が一気に悴んだ。

二十数分ほどかかったろうか、やっと脱衣場らしき小屋の前に着いた時、土方は宿に入る前よりもっと冷えきっていた。
小屋の出入り口は男女別になっているが、脱衣所の奥にある扉を開けると中は一つの温泉に、男女が一緒に入る仕組みとなっていた。

風呂に入りに来たわけではないので、着衣のままそこを通って外に出てみると、土方の両目を真っ白な雪が一瞬にして襲った。
存外と小さな風呂で、おまけに風呂を覆うような屋根があったため、それでも男たちの姿をすぐに捉えることが出来た。
やっぱり居やがった、スケベ親父ども。
しかもその男たちの向かい側、互いにもしも足を伸ばせばぶつかるくらいの位置に、予想を裏切る華奢な女ー否、あれはそんなもんじゃねぇ、もっと碌でもねぇもんだーがいて土方は湯中りにも似た眩暈を覚えた。

こんなところでなにのんびり風呂になんか入ってやがる、桂!



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