雪中花 中篇

「ちょ…おま!こんな所で何してやがる!」
思いがけず桂の姿を認めて驚愕した土方は、自分がここに来た目的も忘れて大声で話しかけた。
「見てわからんのか?風呂に入ってるのだ。浴衣を着たままこんな所に入ってくるなど貴様こそ何をしている?」
例の癖で小首を傾げながらおっとりと問われる。いつもなら頭を傾げた拍子に長い髪がさらりと流れて揺れるところだ。今は入浴中のためか、 長い髪が高く結い上げられているので、残念ながらその様は見られない。
「おれは…その…仕事みてぇなもんだ!」
「みてぇ?」
「仕事じゃねぇけど、仕事なんだよ!ていうか、一応仕事だが、本来の仕事じゃねぇんだ!」
「訳がわからん。…おれを捕まえに来たわけではなさそうだがな」
「てめぇがこんな所にいるなんて誰が知るか!しかもここは管轄外だ」
「列車を止められたのか?」
「はぁ?」
「雪で列車が止まったとかで、乗客達がこの宿に避難したと聞いた。貴様もそうか?」
「あ、ああ、そうだ」
桂の言わんとしていることをやっと理解した土方は、返答をしながらも男たちの様子をさりげなく窺ってみた。
男たちは、思いがけない土方の登場に驚きを隠せない様子ではいたが、そろいも揃って四人とも、食い入るような視線を桂に向けている。
ーこいつら、やっぱり!
土方は男たちに腹を立てはしたものの、それでも憐憫の情をもよおさずにはいられなかった。なにしろ何も知らない男達が期待の眼差しを向けているのは、あの桂なのだ。
馬鹿だ。
気の毒な馬鹿どもだ…。
こいつらの期待が裏切られるのは時間の問題だ。放っておいても全く問題はねぇ。全く…こんな所まで来て馬鹿馬鹿しい。
「ここにはもう用はねぇ」
土方はそう言うと踵を返したが、場の空気にも男たちの視線にも全く気付かない桂ののんびりした声が後ろから追いかけてきた。
「貴様は入らんのか?」
「おれ?」
思いがけないお誘い(なのか?)に土方は振り返りざま桂に再確認する。
「貴様が土方であろう?そこにおられる方の中にも土方という名の御仁がおられるのか?」
桂は四人の男達の方を向いて確認するように問いかけた。男達は一斉にぶんぶんと首を横に振ったが、どことなしか顔が赤い。きっとそれは長湯のせいだけじゃないはず。
たとえ出歯亀といえども流石に同情を禁じ得ず、土方はこの茶番をすぐに終わらせてやろうと決意した。なにしろ、ひどく寒いのだ。放っておいても良いのだが、いっそのことさっさと終わらせて、さっさと戻ろう。それがいい。
そこで、ニンマリと作り笑みを浮かべて男たちの方を意味ありげに見やると、
「おう、裸の付き合いってもの悪くねぇな、男同士」
とわざと「男」と強調するように言った。
土方がそう言い終わらないうちに、どぷん、と妙な音をたてて、男の一人が湯舟に沈んだ。それを目の端に捉え、土方はしてやったりとほくそ笑む。
「どうされた!」
思いがけない成り行きに驚いた桂が水面から腰を浮かすと、残りの三人の男達は、それでも瞬時に期待に満ちた視線を向けた。
「お…おい…」
誰かがそう言って絶句した後、風呂には不思議な沈黙が満ちた。
「助けなくてよいのか?」
その沈黙の意味を多分唯一人理解していないであろう桂が、湯舟に沈んだままの男を指差す。
「うわぁぁぁぁっ!!!」
「おい、しっかりしろ!」
「大丈夫か、おい、何とか言え!」
桂に指摘されて我に返った男たちは慌てて仲間を湯舟の底から掬い上げると、大騒ぎをしながら脱衣場の方へと運んだ。
「気の毒に。のぼせたのだろうか?」
等ととんちんかんなことを言う桂に、土方は返す言葉もない。
「取りあえず貴様も入れ、風邪を引くぞ」
「や…おれは…」
「入らぬのか?わざわざこんな所まで来て?」
そうされることに土方が弱いのを知ってか知らずか、桂はまた小首を傾げる。
「おれが気になるのか?」
と続ける言葉に心臓が跳ねそうになる土方の予想をドキッパリと裏切る無頓着さで
「ここは管轄外であろう?それでもやはりおれが気に入になるのなら、もう出るから入れ替わりでどうだ?」 なんてまるで見当外もいいところだ。
「…そんなことねぇよ、気の済むまで入ってろ。おれも入る」
軽い頭痛を覚えながらも出来るだけ平静を装って、土方はのろのろと一旦脱衣所へと戻った。
男たちの姿はそこにはもうなく、あちこちに散らばった行李の乱れようが這々の体で逃げ帰ったらしいのを雄弁に物語っている。
ったく。しょーもねぇ野郎どもだぜ。
けど…
おれもてめぇらと一緒に逃げるべきだったのかもしれねぇ…と柄にもなく逃げ腰になりそうなのを土方は必死に耐えていた。


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