明日は今日の夢

「あがれや」
「自分で引っ張ってきておいてその言い様はなんだ」
「いつもは招かれざる客を今日ばかりは歓迎してやろうってんだ、感謝してもらいてぇよ」
「まったく口の減らん……」
普段と変わらない憎まれ口の応酬をしながら、桂は暗澹たる気持ちに囚われていた。
さて、おれはどんな顔をしてここから帰ることになるのだろうか。

どうやら無事に記憶を取り戻したらしい銀時と出くわしたのが数分前。
銀時!
嬉しさに手を挙げたことを瞬時に後悔した。
向こうから歩いてくるのは紛れもなく銀時であると今度ばかりは一目で判ったのだが、同じくらいすぐ、あからさまに機嫌のよろしくなさ気な表情をぶら下げていることにも気付いてしまった。
怒っているのか?……いや違うな。あまり覚えのない貌だ。拗ねている時の貌に一番近い気もするが……。原因は、銀時に言わせればきっとおれということになるのだろうな。
見慣れた流水文様の着物を着た男の仏頂面に、桂は溜め息をつく。

記憶を失ったままの銀時と出会い、その哀しい内心を吐露されてから数日しかたっていない。ふと気を緩ませれば未だ生々しくあの日の記憶が蘇ってくる。首筋に触れた和毛の柔らかい感触。背に回された腕の温もり。丸められた背がひどく頼りなげに見えたこと。なにもかもが。
らしくもなく感傷的にならずにすんだのは、ずんずんとこちらに歩み寄る銀時から立ち上るどす黒いオーラのせい。
なんだか面倒なことになりそうだ。
予感ではなく確信。しかも恐ろしいまでに禍々しいときている。
今更逃げ隠れするわけにもいくまいよ。
桂はそう思い切ることにした。

「よぉ、ヅラぁ」
「ヅラじゃない桂だ」
いつもと同じ遣り取りがかわされるが、桂は騙されない。 銀時のいつもと変わらぬ気怠そうな雰囲気は故意に演出されているものだし、何気なさを装った口調も、桂にとっての警告音。本能は逃げることを勧めてくるが、理性でなんとか踏みとどまる。
野犬に出会ったとき、走って逃げるのは禁物と言うではないか。あ、いや、それは肉球に失礼か。
らちもないことをぼんやりと考えながらも、銀時の出ようを見極めるまで自分からは特に動くまいと決めた桂だったが、いきなり恐ろしい力で腕を掴まれ決心が揺らいだ。痛みに抗議の声を上げても、振り払おうともがいても、銀時がガッチリ捉えて放さない。 そのまま引き摺るようにして万事屋に連れてこられる羽目になったのだが……。

「……久しいな」
顎で座るように指示された長椅子に大人しく腰をかけ、当たり障りのなさそうなことを言う桂を銀時は鼻で嗤い、「この前会ったじゃん」と軽くいなす。
「覚えているのか?」
「覚えてるぜ、桂さん」
どうやら早々に戦闘は開始されたらしい。桂は受けて立つべく背筋をより一層しゃんと伸ばした。
「頭を打ったお陰でやっとおれの本名を覚えられたのか。それは重畳だな」
余裕綽々、淡々と答えてやる。
「なんでも、おれとあなたは”古い”お友だちだとか?」
銀時も負けじと応戦するつもりらしい。慇懃無礼な口調がそう告げている。
「そうだ。元服をすませる前からの付き合いだ。それに違いなかろう?」
「おれが言ってんのはそーゆーことじゃねぇの」
銀時はあっけなく押さえていただろう感情を迸り出す。こうなったら勝負早い、と桂は淀みなく続ける。
「では、なんと言えば貴様は満足だったのだ?”竹馬の友”とでも言えば良かったのか?それとも”かつての盟友”とかが好みか?」
「違ぇよ」
ひときわ低い声に、銀時の不機嫌さに拍車がかかったのが判る。が、なぜそんなことに銀時がこだわるのかは解らない。さて、ここからが問題だ。何がどう違うのかを問うてやるのがいいか、やらぬがよいか。
問うてやった場合、嬉しそうに自分でべらべら喋り出すときもあれば、「そんなことも解らねぇの?」とばかりに逆ギレされることもままある。問うてやらなければ、「気になんねぇのかよ」と責められる場合もあり、 沈黙に耐えかねて、あっけなく白状するときも。それが、さすがの桂にも未だによめない。相手は何しろ銀時なのだ。思考や主張に一貫性があるわけもなく、機嫌も猫の目のようにめまぐるしく変わる。銀時は桂のことをひどく面倒くさい奴だと 思っているが、それは桂としても同じこと。銀時はひどく扱いづらい子どもと同じ。構い過ぎるとつけあがり、放っておくと……拗ねる。
どうころんでも五分五分で責められるのなら、こ度は放っておこうと桂は決めた。
銀時は黙りを決め込んだ桂の真意を確かめようとしてか、しばらくじっと様子を窺っていたが、「なんでいちいち”昔の”とか”かつての”をつけんだよ」沈黙に耐えかねたらしく、ふて腐れたように言った。 「ーあん時だってわざわざ”古い”とか言いやがって」
ある程度予想はしてたが問題はやはりそれか、と桂は胸を撫で下ろした。実に解りやすい。
「貴様とそれほど親しくはない、と言った後だったからな。そうとでも言わねば辻褄が合わんだろうが」
他意はないと穏やかに言う。さて、次はなぜ”親しくはない”と言ったかの説明かーと考えながら。
「”それほど親しくない”ってなんだよ?」
もう、訳わかんねぇよー髪を掻きむしりながら叫ぶ姿は、駄々っ子と変わらない。
「それはだな、おたずね者のおれと”親しい”など、記憶のないおまえが知る必要はないからだ」
桂は予て用意してあった、もっともらしい理由を邪気のない貌ですらすら述べた。銀時は疑わしさを顕わにしていたが、ここは桂の笑顔が勝ったらしく、それ以上ぐずられることはなかった。
が。
「……なぁ」
「どうした?」
笑顔の仮面を被ったまま、桂は穏やかに訊いてやる。さっきは沈黙を守ったが、二度も続けて沈黙を保つと”冷たい奴”に認定され、ぐずぐず文句を言われるに違いない。
「もしおれが、今おめぇに”あなたはおれとどういう関係ですか?”って訊いたらなんてこたえる?」
なるほど、こちらが本題か。さっきまでのはただの前哨戦だったとは……意外に思いながら、桂は銀時をずるいと思わざるを得ない。
判断をおれに丸投げか?自分でもわからないものをおれに答えさせようというのだから、恐れ入る。
「竹馬の友にして、かつての盟友ーでどうだ?」
腹立ち紛れ、銀時の嫌がりそうな答えをわざと口にする。
「んなのはわかってんだよ。おれが知りてぇのは”今のおれら”だ」
本当に図々しい。そんなこと、おれの一存で決められると思っているのだろうか、この莫迦は!
「貴様が思っているのと同じだ」
意味ありげに言ってやると、一瞬銀時の貌に期待の色が浮かんだが、すぐに霧散し、結局不安でいっぱいの表情に落ち着いた。
ややこしい奴。では、期待にこたえてやろう。
「普段は招かれざる客と、その客を時折は自ら招き入れる気まぐれな万事屋の主人だ」
それだけ言い、桂は身軽に立ち上がった。
「さて、答えは出たようだし、おれはそろそろお暇するとしよう」
「そんなの答えになってねぇだろうがよ!」
「まだ不服か?では、貴様の模範解答とやらをおれに教えろ」できるものならなーとは胸の裡でだけ付け加える。
思った通り黙りを決め込んだ銀時をあっさり見捨て、桂は万事屋を後にした。

もちろん解っている。
銀時がなにを願っているか。
どんな言葉をねだっているのか。
だが、言えぬ。
おれはおまえを過去に縛り付けたくない。
銀時も、桂の想いを慮っているからこそ自分からは言い出せないのだと知ってはいるが……。

過去よりも明日に生きて欲しいと願う男と、今日を生きるためにも過去を取り戻したいと願う男。
二人の想いが交差するのは、誰よりも過去に囚われて生きる男の謀に巻き込まれるのを待たねばならない。
明日よりも、昨日よりも、今を生きることの大切さを金輪際理解しようとは思わないだろう哀しい男の。

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