惑志 土方

先ほどまで降り続いていた雨が急に止み、それと足並みを揃えるかのように今日という日が終わろうとしていた。
今夜は静かだ。
土方は少しだけ自分の前を歩く近藤に歩調を合わせながら歩いている。
背中には後をついて歩く沖田の気配を感じていた。
珍しく三人で飲みに行った帰り、それより更に珍しいことに、近藤が志村姉のことでぼやかず、結果、悪酔いをしていない。
男三人、こうやって静かに歩くのも悪くねぇ。まるで昔に返ったようだ。
後ろの奴はとんでもない男に成長しちまったが、あの頃はまだ可愛い気があったってもんだ。
いつになくしっとりとした道行きに、柄にもなく感傷的になっていた土方の物思いを破ったのは、その昔は可愛かったという男の声。
「ありゃあ、ヅラ子さんじゃねぇですかい?」
ちっ、また近藤さんの前でくだらねぇ嘘を。
よく「あ、UFO」とか巫山戯る野郎がいるが、それと同レベルじゃねぇか。
第一、この天人様々のご時世に、未確認飛行物体なんかふふらふら飛んでねぇよ!ったく酔っぱらいが。
おれがそんなんで動揺するか!
「あっれぇ、土方さん反応無しですかい?」
「総悟…酔ってんのかてめぇ、くどいんだよ」
「でも、ほらあれストーカーをくっつけたままこっちへ来まさぁ」
ストーカーと言う言葉に反応して、土方は沖田の方を振り返り、彼の指し示す方へ目をやった。
そこには確かにヅラ子と、いかにも彼女ー否、彼だーの後をつけてますと言わんばかりの挙動不審な男の姿があった。
あいつは、ひょとしてあの時の?
渋るヅラ子と一緒に夜泣き蕎麦を食べたときの記憶を辿る。
土方自身はこれっぽちも覚えていないが、ヅラ子に付きまとうストーカーをトッシーが土方のふりをして撃退したと聞いた。
まさか、同じ奴じゃねぇだろうな?
いや、新手でも困るけどよ。
「おーい、ヅラ子さんこっちでさぁ」
沖田が馴れ馴れしく脳天気な声で呼びかけた。
それまでこちらの方へ小走りで向かっていたヅラ子がその声に足を止め、「うっ」と声を詰まらせたのを土方は見た気がした。
> 「ヅラ子さんって…トシの?」
「そうでさぁ、半端ねぇ入れあげっぷりで恥ずかしいことこの上ないったらありゃしませんぜ、みっともねぇから腹切って詫びろよ土方」
自分をネタにする上司と部下に挟まれて、土方は反論もしない。
ヅラ子の後ろにいる男をじっと睨んでいるだけ。
ちっ。からかい甲斐のねぇ。
沖田は、土方が無反応なのを見て取ると、矛先を余所に向けた。
「ヅラ子さーん、聞こえませんかい?早くこっちに来なせい。一見ゴリラにしか見えねぇかもしれませんが、このお人は真選組の局長でさぁ」
だから、安心しなせぇ。
そう言う沖田は、きっと悪魔のような笑顔を浮かべている。
土方は絶対に振り返るまいと心に決めた。
ヅラ子も同じ思いらしく、足を止めたまま。
だが、生憎一本道で、他に足を向ける選択肢はない。
前門の虎、後門の狼。
三人とストーカーが見守る中、覚悟を決めたヅラ子はやむなく静かに歩き出した。三人の方に向かって…。

「…今晩は」
ヅラ子は三人の側まで来ると、小さく挨拶して頭を下げた。そのまま通り過ぎようとする袖を引き、沖田が止める。
「なっ…」
「そんなに急ぐことありやせんでしょう?おれ達がストーカーに話しつけてやりまさぁ。さぁ行け、土方!」
「なんでおれだぁ!」
「い、いえ…お気遣いなく」
「これは気遣いなんかじゃありません!公僕としての当然のつとめです。ストーカーなどという卑劣な行為は即刻止めさせるべきです!なぁ、トシ?」
「あんたが言うのかよ!」
「貴様が言うな!」
胸をはる近藤に、すかさず入る土方とヅラ子の突っ込み。
「え?ヅラ子さん…今なんて?」
「い…いえなんでも」
「前と同じ奴か?」
慌てて首を振り、近藤を誤魔化すヅラ子に、土方が訊く。
ヅラ子はゆっくりと頷いて見せた。
近藤の前でこれ以上話をしたくないのだろう。声で正体がばれないとも限らない。
しょうがねぇ。前も一応土方を名乗って注意したらしいんだ。ここはおれが行くのがいいだろう。
土方は四人から離れた所に隠れているつもりらしい男の方近づいていく。
それを見て、沖田は待ってましたとばかりに「このお人はおれが無事に送り届けまさぁ」と近藤に申し出た。
「断る!」
「や、でも、あんた…ヅラこさんでしたっけ?やっぱり夜の一人歩きは拙いですよ、総悟に送らせます」
「いいと言っておる」
「よくありません!あ、それともトシの方がいいですかね?」
「そっちも断る!」
「まぁまぁヅラ子さん…」
沖田がそう言いながらヅラ子に近づき「おれに送られなせぇ。さもないと近藤さんの前で正体ばらしますぜ」と耳打ちする。
ギッと睨み付けるのに構わず「あんたはおれたちから逃げられるかも知れませんが、店の方に迷惑がかかりやすよ?」と追い打ちをかけるのも忘れない。
「…こちらの方に送っていただきます」
消え入るような声でヅラ子が答えると、沖田は笑いを噛み殺しながら「じゃ、行きやしょう、ヅラ子さん」と隣に並ぶと近藤に別れを告げた。
「おう、任せたぞ総悟。ちゃんとお宅まで送って差し上げろ」
親切心丸出しの笑顔で近藤が沖田に答えると、ヅラ子も近藤に丁寧に頭を下げる。
それを見届けてから沖田は今し方通ってきたばかりの道をヅラ子と共に戻り始めた。

ストーカーを注意(恫喝?)して土方が近藤の側に戻ったときにはヅラ子は沖田と共にとうに姿を消しており、「総悟ぉぉぉぉ!?」という土方の虚しい叫びが辺りに谺したのはそのすぐ後。


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