惑志 桂

痛いほど自分の手を握りしめ、早足で歩く男は一度もこちらを見ない。
それどころか、話しかけてくることすらしない。
ただ、機械的に足を動かして前へ前へと己を導くのみ。
このままされるがままに歩調を合わせていればよいのか、それとも何か話しかければいいのか、桂はしばし戸惑った。
しかし

「銀時、道が違うぞ?」
この角を曲がらねば万事屋には着けぬ。戻れ。
桂が足を止めるのに構わず、銀時は腕を引く。強く。
「銀時!」
声音に咎める色が混じっているのに気付いたらしい銀時が桂の腕を引くのを止め、やっと振り返った。
「今夜は万事屋へは帰らねぇの」
「なぜだ?」
「おめぇの今いる隠れ家に行く」
「…貴様、道を知っておるのか?」
「…知らねぇ」
はぁ、と桂が溜息をつく。
もう、本当にどうしてやろうか、この男。
「銀時、おれがこの道を歩いていたのは貴様の所へ行こうとしていたからであって、おれの家に帰るために歩いていたわけではないのだぞ」
「だから?」
「この道ではおれの家には行けぬ」
「ちょ、マジ?」
「しかも随分戻らねばならんぞ」
「そういう大事なことはもっと早く言えや莫迦ヅラ!」
「貴様がおれの家に行こうとしていたなんてわかるか!それに莫迦でもないしヅラでもないわ!」
なんで急におれの家になどと。
約束は万事屋だったはずではないか。
「…梅」
「ん?」
「綺麗なんだろ?白梅が」
「そんなところから聞いていたのか。もっと早く声を掛けてくればよいものを」
「結構楽しそうにしてたから邪魔しちゃ悪いかなぁーって思ってよ」
嘘をつけ。
ほら、その口調が、声音が、既におれを咎めだてているではないか。
暗くとも判る。
おまえの表情も、だ。
「…おまえに梅を、しかも夜に愛でる趣味があるとは意外だったな」
手に取るように解る銀時の心の裡を、だが、桂は知らんふりをして話を続ける。
ここで迂闊なことを言うと、銀時ときたら芋づる式に嫌なことを思い出すのに決まっている。しかも現実と虚構を綯い交ぜにして。 そうして自分で自分を苦しめる羽目になるのだ、この厄介な男は!
「銀さんは夜の梅大好きですよー」
「貴様、それは羊羹だろうが」
「だっておめぇ、そこもうすぐ越しちまうんだろ?バレてんだから」
「…まぁな」
「おれだけ拝んでねぇってのもしゃくだしよ」
やはり自分の知らないことを沖田が知っていることに我慢ならんらしい。
いくら持って回った言い方をしても、そんなことくらいお見通しだ。

「…こっちだ、おれについて来い」
桂はそう言って銀時に背を向ける。
「ちょ、なんでそんな偉そうなの?」
「貴様には家の中も見せてやるぞ?必要なら冷蔵庫の中でも風呂の蓋でも」
沖田と違ってなー等という野暮なことは言わない。これで充分。銀時には伝わる。
「なんでここで風呂の蓋が出てくるんだよ、おめぇ訳わかんねぇよ」
とふて腐れたようなもの言いをしながらも、とみに銀時の機嫌はよくなっていく。
全く現金な。
「ちぇ、しょーがねーなー。じゃ、上がってやるよ」
そういう声はいつも通りの銀時の声。
「なんだ貴様こそ、その偉そうな態度は」
「ちゃんと上がってやっから、サービスしろよ?」
「…あいにく酒はないぞ。茶くらいなら出してやる」
「そうじゃなくって………」
思わせぶりに言葉を止めてニンマリと笑んでみせる銀時に、桂は今日何回目かの溜息をつく。
けれど、その両の頬が、両の耳がほんのり薄紅色に染まっていることを銀時は知っている。
例え星の一つも瞬かぬ闇夜といえども。

今度こそ二人は歩調を合わせて家路を急ぎはじめる。
二人の後にはただ黒々とした夜が残された。



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